学則 / 答屈景山書
及乎菅童子西游也。聞足下周旋甚勤李陰君喜以見諗。且言足下亦有意於不佞焉。因扣之。以識其爲屈先生之裔。則予不佞亦喜甚。及聞足下從五馬東下也。懸榻以竢者久之。詎意竟外之交足下不得斯須以長乎。是日乃得接尺一愈益信遺範之弗泯。而幸素願之有愜哉。
新字:及乎菅童子西游也。聞足下周旋甚勤李陰君喜以見諗。且言足下亦有意於不佞焉。因扣之。以識其為屈先生之裔。則予不佞亦喜甚。及聞足下従五馬東下也。懸榻以竢者久之。詎意竟外之交足下不得斯須以長乎。是日乃得接尺一愈益信遺範之弗泯。而幸素願之有愜哉。
書き下し
菅童子の西游するに及ぶや、足下の周旋甚だ勤むるを聞き、李陰君喜びて以て諗げらる。且つ言ふ、足下も亦た不佞に意有りと。因りて之を扣き、以て其の屈先生の裔たるを識る。則ち予不佞も亦た喜ぶこと甚だし。足下の五馬に従ひて東下するを聞くに及ぶや、榻を懸けて以て竢つ者之を久しうす。詎ぞ意はん、竟外の交はり、足下斯須も以て長ずるを得ざらんとは。是の日乃ち尺一に接するを得て、愈〻益〻遺範の泯びざるを信じ、而して素願の愜ふ有るを幸ふかな。
現代語訳
菅童子(菅氏の年少者)が西へ遊学したとき、あなたがたいへん親身に世話をしてくださったと聞き、李陰君は喜んで私に知らせてくれた。またあなたも私に関心をお持ちだという。そこで尋ねてみて、あなたが屈先生の子孫であると知り、私もたいへん喜んだ。あなたが藩主(五馬=太守)のお供で江戸へ下ると聞いたときには、腰掛けを用意して長いあいだお待ちしていた。思いもよらなかったのは、藩の外との交わりが、あなたにはわずかの間も許されなかったことである。この日ようやく書簡を手にして、祖先の遺した手本がなお失われていないことをいよいよ確信し、かねての願いがかなったことを幸いに思う。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『翁問答』上卷之本大臣は家の重脊、君の腹心なれば、高位大禄を与へ、大方の事打任せて計らはせ、礼儀正しく敬て、情深く有る可し、位刑賞威恵の権柄をかりそめにも貸し預けぬものなり、大臣より下の諸士は其位分相応の程々を能く分別して、真実に情深く侮り軽しめず、夫々の器量を能く見分けてさし使ひ、忠臣あるには、其大小軽重に従ひて、褒美を与へ位を揚げ、知行を加增して群臣の勧めとす、士は国の幹君の爪牙なれば、其心を失ふ可からざる事勿論なり、扨農工商は国の資なれば、一入憐みはくみて、其利を利として、其楽を楽む如く、政を成すは君の仁礼を行ふ大槪なり、
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『翁問答』下卷之本又周公旦はその御子伯禽魯国の主となりて、はじめて国入したまふ時、周公旦伯禽を戒めて曰く、我は文王の子、武王の弟、成王の叔父なり、我天下に於いて亦賤しからず、然れども我一沐に三たび髪を握り、一飯に三たび哺を吐き、起ちて以て士を待つ、猶ほ天下の賢人を失はんことを恐る、子魯に之かば慎んで国を以て人に驕ること無かれ、この聖戒の心は我親は文王なり、我兄は武王なり、当今の天子はわが甥なり、我位は摂政家宰なり、天下に我をこすべきものなく類すくなき尊位なり、しかれども一たび髪を洗ふうちには、三たびあらひさして髪を握りて目見えにきたる諸士をあいしらひ、一たび飯を食するうちに、三度口にくゝみたる食物をはきいだして、諸士をあいしらひぬれども、なほ天下の諸さふらいにおごりたる無礼のあいしらひありて、賢人のうらみあらん事をおそれつゝしむばかりなり、汝魯国へゆきて国を鼻にあてゝおごり、無礼にして人をあなどりかろしめる事なかれ、我ごとく慎むべしと教へいましめ給ふなり、
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『韓非子』外儲說左下第三十三魯の哀公孔子に問ひて曰く、「吾聞く古者夔一足有りと、其れ果して信に一足有るか。」孔子対へて曰く、「不なり、夔は一足に非ざるなり。夔は忿戾悪心にして、人多く説喜せざるなり。然りと雖も、其の以て人の害を免るるを得る所以の者は、其の信を以てなり。人皆曰く、独り此の一あれば、足れり、と。夔は一足に非ざるなり、一にして足るなり。」哀公曰く、「審かに而り、固より足れり。」一に曰く、哀公孔子に問ひて曰く、「吾聞く夔は一足なりと、信か。」曰く、「夔は、人なり、何の故に一足ならん。彼其れ他に異なること無し、而して独り声に通ず。堯曰く、夔は一にして足れり、と。楽正と為さしむ。故に君子曰く、夔は一有り、足れり、と。一足に非ざるなり。」三。文王崇を伐ち、鳳黄の虚に至る、韈の係解く、因りて自ら結ぶ。太公望曰く、「何為れぞや。」王曰く、「上は、君と処るもの皆其の師なり。中は、皆其の友なり。下は、尽く其の使なり。今皆先君の臣なり、故に使ふべきもの無きなり。」一に曰く、晋の文公楚と戦ひ、黄鳳の陵に至る、履の係解く、因りて自ら之を結ぶ。左右曰く、「以て人を使ふべからざるか。」公曰く、「吾聞く、上は、君の与に居る所、皆其の畏るる所なり。中は、君の与に居る所、皆其の愛する所なり。下は、君の与に居る所、皆其の侮る所なり。寡人不肖なりと雖も、先君の人皆在り、是を以て之を難るなり。」季孫士を好み、終身荘にして、居処衣服常に朝廷の如し。而して季孫適ま懈り、過失有り、而して長く為すこと能はざるなり。故に客以て己を厭易すと為し、相与に之を怨み、遂に季孫を殺す。故に君子は泰を去り甚を去る。一に曰く、南宮敬子顔涿聚に問ひて曰く、「季孫孔子の徒を養ひ、朝服して与に坐する所の者十を以て数ふるに賊に遇ふは、何ぞや。」
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『弁名』王覇後世の儒者は口に能く徳を以て之を化すと言ふと雖も、然れども之を化する所以の術を知らず。是れ其の過は本と道を以て当然の理と為して、其の民を安んずるの術たるを知らざるに在り。故に又徳を以て仁義孝悌の類と為して、有徳の人を挙用して以て民を導くを知らざるなり。故に其れ務めて己の徳を以て之を導かんと欲す。是れ其の意既に急迫にして、自ら用ひて術無し、何を以てか能く民をして其の風に嚮はしめんや。又誤りて礼を以て法と為し、上下尊卑等威明白にして少しも差忒せざるを以て説と為す。則ち名家者流の意を出でず、豈に以て先王の天下を陶鋳するの術と為すに足らんや。夫れ桓文は先王に及ばずと雖も、猶ほ其の術有り。豈に後世の儒者の不学無術の倫の若くならんや。吁、古言を知らざるの失、一に斯に至る。悲しいかな。
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『甲陽軍鑑』品第十四一上の剛强成る男の仕形は、平生も陣の時は猶ほ以て人にもかまはず働き、前にも我しはざを分別にて工夫し、其塲へ出ては機のきいたる才覚を以て手抦をせんと思ふより、人にも一円搆はぬ者なり、二中の機のきいたる男は上の人に負けまじと機をきいて馳り廻り、上の人におとりて見へぬ者なり、三下の男は只の儀もなく上中の人がゆかば、我等もまいらんとて、ふたりの人に目をつけてつきそひまはる者なり、四其外の男は皆人なみと申すなり、上の男は侍百人の中にふたり、中の男は百人の内に六人、下の男は百人の中に十二人、残て八十人は並なり、
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『徂徠先生答問書』卷中されば人々如此心懸候故、見え兼るもことわりにて候。足下も御先祖様の時代の事御聞可被成候。今の世より見候へば、其時分に名を申候能人と申候は皆疵物にて候。是別の子細に無御座候。其時分はぬり隠し申候事無御座候故、疵見え申候。疵見え申候得ば、人才は見え申候。今時も世上の悪俗に染不申候人は疵多く御座候間、疵物にならでは人才はなき物と被思召、疵物の内にて御ゑらび可被成候。疵もなく才も長じ候人を御尋候はゞ、最前申候御物ずきの注文と申物にて、疵なき人は郷原か巧言令色か扨は庸人と可被思召候。以上。
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