学則 / 答屈景山書
東都物茂卿。謹復書西京屈君足下。七月中元日。李陰菅君致足下所賜書。拆封讀之。具言欲一造艸盧相見而藩法嚴不能者狀。縷縷幾乎千有餘言。其降挹之恭。傾倒之懇。優渥特至。誦其辭。則雄渾雅健。不乏采縟。不覺令人起敬嘆唶弗已。
新字:東都物茂卿。謹復書西京屈君足下。七月中元日。李陰菅君致足下所賜書。拆封読之。具言欲一造艸盧相見而藩法厳不能者状。縷縷幾乎千有余言。其降挹之恭。傾倒之懇。優渥特至。誦其辞。則雄渾雅健。不乏采縟。不覚令人起敬嘆唶弗已。
書き下し
東都の物茂卿、謹みて書を西京の屈君足下に復す。七月中元の日、李陰菅君、足下賜ふ所の書を致す。封を拆きて之を読むに、具さに一たび草廬に造りて相見えんと欲すれども藩法厳にして能はざる者の状を言ふ。縷縷として千有余言に幾し。其の降挹の恭、傾倒の懇、優渥特に至る。其の辞を誦すれば、則ち雄渾雅健、采縟に乏しからず。覚えず人をして敬を起こし嘆唶して已まざらしむ。
現代語訳
江戸の物茂卿(徂徠)が、謹んで京都の屈君(堀景山)殿にご返書申し上げる。七月中元(十五日)の日、李陰の菅君があなたからいただいた書簡を届けてくれた。封を開いて読むと、一度わが草庵を訪ねてお会いしたいが、藩の掟が厳しくてかなわないという事情が詳しく書かれていた。こまごまと千言あまりにも及ぶ。へりくだった恭しさ、心を傾けた懇ろさは、まことに手厚い。その文辞を口ずさめば、雄大で力強く、雅やかで健やかで、彩りにも欠けない。思わず敬意が起こり、感嘆してやまなかった。
解説
この書簡は、京都の儒者堀景山(屈景山)から寄せられた手紙への徂徠の返書の書き出しである。徂徠は自らを中国風に「物茂卿」と名乗り、相手を「屈君」と呼ぶ。景山は藩に仕える身で江戸の徂徠を訪ねられず、千言を超える手紙で思いを伝えてきた。徂徠はまず相手の謙虚さと文章の力を称える。論争に入る前に、相手の誠意と力量をきちんと受け止めて言葉にしているのである。意見の違う相手に返事を書くとき、最初の数行で何を認めるかが、その後の対話の質を決めるのである。
この章句が説くこと
書簡礼文章敬意堀景山対話
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