学則 / 答安澹泊書
大氏漢儒注。雖亦有紕繆。距孔子時未甚遠。其說皆出於七十子門人相傳授者。如宋儒之時。則歷世彌久。且自昌黎去陳言。而古辭之不傳於世者久矣。皆以今言視古言。且不識古文體勢。是以穿鑿甚多。又疎於禮。如濮議。諸儒聚訟。雖程朱二公。莫有明辨。今求諸儀禮。不竢多言。本自了了。又如家禮神主制。長尺有二寸。象十二月。凡禮用十二。唯天子爲然。祭四代。唯諸侯爲然。伊川乃用諸庶人。豈非僭邪。
新字:大氏漢儒注。雖亦有紕繆。距孔子時未甚遠。其説皆出於七十子門人相伝授者。如宋儒之時。則歴世弥久。且自昌黎去陳言。而古辞之不伝於世者久矣。皆以今言視古言。且不識古文体勢。是以穿鑿甚多。又疎於礼。如濮議。諸儒聚訟。雖程朱二公。莫有明弁。今求諸儀礼。不竢多言。本自了了。又如家礼神主制。長尺有二寸。象十二月。凡礼用十二。唯天子為然。祭四代。唯諸侯為然。伊川乃用諸庶人。豈非僭邪。
書き下し
大氏漢儒の注は、亦た紕繆有りと雖も、孔子の時を距つること未だ甚だ遠からず。其の説皆七十子の門人の相伝授する者より出づ。宋儒の時の如きは、則ち世を歴ること弥〻久し。且つ昌黎の陳言を去りしより、古辞の世に伝はらざる者久し。皆今言を以て古言を視、且つ古文の体勢を識らず。是を以て穿鑿甚だ多し。又た礼に疎し。濮議の如き、諸儒聚訟し、程朱二公と雖も明辨有る莫し。今諸を儀礼に求むれば、多言を竢たず、本と自ら了了たり。又た家礼の神主の制の如き、長さ尺有二寸、十二月に象る。凡そ礼に十二を用ふるは、唯だ天子のみ然りと為す。四代を祭るは、唯だ諸侯のみ然りと為す。伊川乃ち諸を庶人に用ふ。豈に僭に非ずや。
現代語訳
おおよそ漢代の儒者の注は、誤りもあるとはいえ、孔子の時代からまだそれほど遠くありません。その説はみな七十人の弟子の門人たちが代々伝え授けたものから出ています。宋儒の時代となると、経てきた年月はいよいよ長くなっています。しかも韓昌黎(韓愈)が「陳腐な言葉を去れ」と唱えて以来、古い言葉は長く世に伝わらなくなりました。宋儒はみな今の言葉で古い言葉を見ており、しかも古文の文体や語勢を知りません。そのため、こじつけが非常に多いのです。また礼にも疎いのです。たとえば濮議(宋の英宗が実父の濮王をどう祀るかをめぐる論争)では、儒者たちが寄ってたかって争い、程子・朱子の二公でさえ明快な判断を示せませんでした。今これを『儀礼』に求めれば、多くの言葉を要さず、もともとはっきりしています。また『家礼』の神主(位牌)の制度では、長さを一尺二寸として十二か月にかたどっています。しかし礼で十二の数を用いるのは天子だけであり、四代の祖先を祀るのは諸侯だけです。それを程伊川は庶民にまで用いさせました。これは分を越えた僭越ではありませんか。
解説
この章句が説くこと
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