学則 / 答安澹泊書
中年得李于鱗王元美集以讀之。率多古語。不可得而讀之。於是發憤以讀古書。其誓目不涉東漢以下。亦如于鱗氏之敎者。葢有年矣。始自六經終于西漢。終而復始。循環無端。久而熟之。不啻若自其口出。其文意互相發。而不復須注解。然後二家集。甘如噉蔗。於是回首以觀後儒之解。紕繆悉見。祇李王心在良史。而不遑及六經。不佞乃用諸六經。爲有異耳。
新字:中年得李于鱗王元美集以読之。率多古語。不可得而読之。於是発憤以読古書。其誓目不渉東漢以下。亦如于鱗氏之教者。葢有年矣。始自六経終于西漢。終而復始。循環無端。久而熟之。不啻若自其口出。其文意互相発。而不復須注解。然後二家集。甘如噉蔗。於是回首以観後儒之解。紕繆悉見。祇李王心在良史。而不遑及六経。不佞乃用諸六経。為有異耳。
書き下し
中年李于鱗・王元美の集を得て以て之を読むに、率ね古語多く、得て之を読むべからず。是に於て発憤して以て古書を読む。其の誓ひ、目は東漢以下に渉らず、亦た于鱗氏の教への如き者、蓋し年有り。六経より始めて西漢に終はり、終はりて復た始め、循環して端無し。久しくして之に熟し、啻に其の口より出づるが若きのみならず。其の文意互ひに相発して、復た注解を須ゐず。然る後に二家の集、甘きこと蔗を噉ふが如し。是に於て首を回らして以て後儒の解を観れば、紕繆悉く見ゆ。祇だ李・王は心良史に在りて、六経に及ぶに遑あらず。不佞乃ち諸を六経に用ふ、異なる有りと為すのみ。
現代語訳
中年になって李于鱗(李攀竜)・王元美(王世貞)の文集を手に入れて読んでみると、ほとんどが古語で、読むことができませんでした。そこで発憤して古書を読みました。後漢以後の書には目を通さないと誓い、これも于鱗氏の教えのとおりにして、もう何年にもなります。六経から始めて前漢で終わり、終わるとまた初めに戻り、輪のように切れ目なく繰り返しました。長く続けて熟してくると、まるで自分の口から出た言葉のようになっただけでなく、文の意味が互いに照らし合って、もはや注解を必要としなくなりました。そうなってから二家の文集を読むと、サトウキビをかじるように甘く味わえました。そこで振り返って後世の儒者の解釈を見ると、誤りがことごとく見えてきました。ただ李・王の二人は良い歴史を書くことに心があって、六経にまで手が回りませんでした。私はそれを六経に用いた、そこが違うだけです。
解説
この章句が説くこと
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