学則 / 学則六
故苟立其大者。撫而有之。孰非聖人之道也。漢顓門之學。人殊其說。亦傳所聞於師。七十子自出。豈無繆誤。失得更有之。並存而兼焉。道之不弃也。頴達作疏。乃執一家之言。明作大全。而穎達亦廢矣。學之益陋。所以弗及古也。故學問之道。苟立其大者。貴乎博。不厭雜。寧闕疑。以竢夫生。
新字:故苟立其大者。撫而有之。孰非聖人之道也。漢顓門之学。人殊其説。亦伝所聞於師。七十子自出。豈無繆誤。失得更有之。並存而兼焉。道之不弃也。頴達作疏。乃執一家之言。明作大全。而穎達亦廃矣。学之益陋。所以弗及古也。故学問之道。苟立其大者。貴乎博。不厭雑。寧闕疑。以竢夫生。
書き下し
故に苟も其の大なる者を立てて、撫して之を有せば、孰れか聖人の道に非ざらん。漢の顓門の学、人其の説を殊にす。亦た聞く所を師に伝へ、七十子より出づ。豈に繆誤無からんや。失得更〻之有り。並べ存して兼ぬるは、道の弃てざるなり。頴達疏を作るに、乃ち一家の言を執り、明大全を作りて、穎達も亦た廃す。学の益〻陋なる、古に及ばざる所以なり。故に学問の道は、苟も其の大なる者を立てば、博きを貴び、雑を厭はず、寧ろ疑はしきを闕きて、以て夫の生ずるを竢つ。
現代語訳
だから、もし大きなものさえ打ち立てて、それらを包み込んで自分のものにするなら、どれが聖人の道でないことがあろうか。漢代の専門の学問では、人ごとに説が異なっていた。それも師から聞いたことを伝えたもので、孔子の七十人の弟子から出たものである。どうして誤りがないことがあろう。得失はかわるがわるある。それらを並べて残し、兼ね備えておくのは、道を捨てないということである。ところが孔穎達が『五経正義』の疏を作ったときには一家の説だけを取り、明代に『五経大全』が作られると、今度は孔穎達の疏までも廃れた。学問がますます狭くなっていったのが、古に及ばないゆえんである。だから学問の道は、大きなものさえ打ち立てたなら、広さを重んじ、雑多なことを嫌わず、疑わしいところはむしろ空けておいて、やがて理解が生じてくるのを待つのである。
解説
この章句が説くこと
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