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学則 / 学則七

雖然。不知命。無以爲君子。豈翅處世。雖學問之道莫不皆然已。天命之謂性。人殊其性。性殊其德。達財成器。不可得而一焉。孔門諸子。各得其性所近者。豈仲尼之敎有所不足乎。譬如時雨化之。莫不生焉已。大者大生。小者小生。豈不欲小者大生邪。實命不同。君子知命。故不强之。及乎器之成也。雖聖人有所不及焉。故聖人不敢强之。是故人可皆爲聖人者。非也。性可易者。非也。君子之不器。水可舟而陸可車者。非也。世俗所尙。人也。非天也。故務世俗所尙。以求人知者不知命也。

新字:雖然。不知命。無以為君子。豈翅処世。雖学問之道莫不皆然已。天命之謂性。人殊其性。性殊其徳。達財成器。不可得而一焉。孔門諸子。各得其性所近者。豈仲尼之教有所不足乎。譬如時雨化之。莫不生焉已。大者大生。小者小生。豈不欲小者大生邪。実命不同。君子知命。故不強之。及乎器之成也。雖聖人有所不及焉。故聖人不敢強之。是故人可皆為聖人者。非也。性可易者。非也。君子之不器。水可舟而陸可車者。非也。世俗所尚。人也。非天也。故務世俗所尚。以求人知者不知命也。

書き下し

然りと雖も、命を知らざれば以て君子と為る無し。豈に翅だ世に処するのみならんや。学問の道と雖も、皆然らざる莫きのみ。天命之を性と謂ふ。人其の性を殊にし、性其の徳を殊にす。財を達し器を成すは、得て一にすべからず。孔門の諸子、各〻其の性の近き所を得たり。豈に仲尼の教へに足らざる所有らんや。譬へば時雨の之を化するが如く、生ぜざる莫きのみ。大なる者は大に生じ、小なる者は小に生ず。豈に小なる者の大に生ずるを欲せざらんや。実に命同じからず。君子は命を知る、故に之を強ひず。器の成るに及びてや、聖人と雖も及ばざる所有り。故に聖人は敢へて之を強ひず。是の故に人皆聖人と為るべしとする者は非なり。性易ふべしとする者は非なり。君子の不器を、水には舟すべく陸には車すべしとする者は非なり。世俗の尚ぶ所は人なり、天に非ざるなり。故に世俗の尚ぶ所を務めて、以て人の知るを求むる者は、命を知らざるなり。

現代語訳

それでも、天命を知らなければ君子とはなれない(『論語』)。これは世渡りに限ったことではない。学問の道でも、すべてそうなのである。「天が命じたものを性という」(『中庸』)。人はそれぞれ性が異なり、性によってそれぞれ徳が異なる。才能を伸ばし器を完成させるやり方は、一つに揃えることはできない。孔子門下の弟子たちは、それぞれ自分の性に近いところを身につけた。それは孔子の教えに足りないところがあったからだろうか。ちょうど時宜を得た雨が万物を育むように、育たないものはない。ただ大きいものは大きく育ち、小さいものは小さく育つ。小さいものが大きく育つことを望まないわけではない。まことに天命が同じではないのである。君子は天命を知っているから、無理強いしない。器が出来上がってしまえば、聖人でさえ及ばない点がある。だから聖人もあえて無理強いはしない。それゆえ、人は誰でも聖人になれるというのは誤りである。性は変えられるというのは誤りである。「君子は器ならず」を、水では舟になり陸では車になる万能のことだとするのも誤りである。世間が尊ぶものは人の作ったものであって、天ではない。だから世間の尊ぶものに努めて、人に認められようとするのは、天命を知らない者である。

解説

第七則は「命を知る」ことを学問の土台に据える。人は天から異なる性を受け、それぞれの徳と器を成す。孔門の弟子も各自の性に近いものを得たのであり、時雨が大小それぞれを育てるように、無理に同じ型へはめることはできない。徂徠はここで、人は皆聖人になれる、気質は変えられるという朱子学の前提を真っ向から否定する。君子不器を万能人と解する説も退ける。社員全員に同じ理想像を押しつけるのでなく、各人の持ち味に合った器を育てるという人材観の核心がここにある。

この章句が説くこと

天命性人材器聖人朱子学

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