学則 / 学則五
故曰。大德不踰閑。小德出入可也。又曰。本立而道生。貴夫生也。彼謂窮天下之理。謂察一念之微。皆不知道之言也。故辨是非。別淑慝。疏瀹澡雪。剔抉以盡。不俾一毫人欲之存者。皆非也。叚使盡之。苟不有所養。其介然小者。安能長乎。亦舊耳。無術之過也。自秦以功令治天下。禮樂泯焉。其流風餘烈。被百世未已。申韓之道。移人耳目以至今日。長養之道斷。而殺伐之氣塞宇宙。後賢人君子。皆生其中。所以差也。故學道者立其大者。而小者從之。
新字:故曰。大徳不踰閑。小徳出入可也。又曰。本立而道生。貴夫生也。彼謂窮天下之理。謂察一念之微。皆不知道之言也。故弁是非。別淑慝。疏瀹澡雪。剔抉以尽。不俾一毫人欲之存者。皆非也。叚使尽之。苟不有所養。其介然小者。安能長乎。亦旧耳。無術之過也。自秦以功令治天下。礼楽泯焉。其流風余烈。被百世未已。申韓之道。移人耳目以至今日。長養之道断。而殺伐之気塞宇宙。後賢人君子。皆生其中。所以差也。故学道者立其大者。而小者従之。
書き下し
故に曰く、大徳は閑を踰えず、小徳は出入して可なり、と。又た曰く、本立ちて道生ず、と。夫の生を貴ぶなり。彼の天下の理を窮むと謂ひ、一念の微を察すと謂ふは、皆道を知らざるの言なり。故に是非を辨じ、淑慝を別ち、疏瀹澡雪し、剔抉して以て尽くし、一毫の人欲の存するを俾さざる者は、皆非なり。仮使ひ之を尽くすとも、苟も養ふ所有らずんば、其の介然たる小なる者、安くんぞ能く長ぜんや。亦た旧のみ。術無きの過ちなり。秦の功令を以て天下を治めしより、礼楽泯ぶ。其の流風余烈、百世に被りて未だ已まず。申韓の道、人の耳目を移して以て今日に至る。長養の道断えて、殺伐の気宇宙に塞がる。後の賢人君子、皆其の中に生まる。差ふ所以なり。故に道を学ぶ者は其の大なる者を立てて、小なる者之に従ふ。
現代語訳
だから(子夏は)「大きな徳が節度を越えなければ、小さな徳は多少はみ出してもよい」と言い、また(有子は)「根本が立てば道は生じる」と言った(いずれも『論語』)。「生じる」ことを重んじているのである。あの「天下の理を窮める」と言い、「一念のかすかな動きを察する」と言うのは、どちらも道を知らない者の言葉である。だから是非を弁別し、善悪を区別し、洗い清め、えぐり取ってすべてを尽くし、ほんの毛一本ほどの人欲も残さないようにしようとするのは、すべて誤りである。たとえそれをやり尽くしたとしても、養い育てるものがなければ、わずかに芽生えた小さな善がどうして伸びられよう。結局もとのままである。術がないことの過ちである。秦が法令によって天下を治めて以来、礼楽は滅んだ。その流れと名残は百世にわたって今も尽きない。申不害・韓非の法家の道は、人々の耳目を変えて今日に至っている。長く養い育てる道は断たれ、殺伐とした気が天地に満ちた。後世の賢人君子はみなその中に生まれた。だから道を誤るのである。それゆえ道を学ぶ者は、大きなものを打ち立てれば、小さなものはそれに従ってくる。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『童子問』卷上問ふ、易知易行・万世不易の理の、実に至極為ることは、既に命を聞くことを得たり。然れども心中猶ほ未だ釈然たること能はず。願はくは易く暁りやすきの語を以て、申ねて諭を垂れよと。曰く、人の外に道無く、道の外に人無し。人を以て人の道を行ふ、何の難知難行か之れ有らん。夫れ人の霊を以てすと雖も、然れども羽ある者の翔り、鱗ある者の潜るが若くなること能はざる者は、其の性異なればなり。堯の服を服し、堯の行ひを行ひ、堯の言を誦するに於ては、則ち復た甚だ難き者無し。其の道同じければなり。故に孟子曰く、夫れ道は一のみと。若し夫れ人倫を外にして道を求むる者は、猶ほ風を捕へ影を捉ふるがごとく、必ず得べからざるなり。故に道を知る者は、必ず之を邇きに求む。其の道を以て高しと為し、遠しと為し、企て及ぶべからずと為す者は、皆道の本然に非ず、自ら惑ふの致す所なり。
-
『弁名』理氣人欲包犠氏網罟を為る、蓋し諸を離に取る、神農氏耒耜を為る、蓋し諸を益に取るが如し。易は本と象を取りて器を作るの義有り。故に爾か云ふ。形而上は、器未だ形を成さざる以前、唯だ易の道有るのみを謂ふ。其の形を成すの後に至りて、始めて其の器有り。皆器を制するを主として之を言ふ。下文遂に曰く、「化して之を裁する、之を変と謂ふ。推して之を行ふ、之を通と謂ふ。挙げて之を天下の民に措く、之を事業と謂ふ」と。是れ皆易を賛するの言なり。道器変通事業は、皆易を以て之を言ふのみ。上章に「戸を闔づる之を坤と謂ひ、戸を闢く之を乾と謂ふ。一たび闔ぢ一たび闢く之を変と謂ひ、往来窮まらざる之を通と謂ふ。見はるる乃ち之を象と謂ひ、形はるる乃ち之を器と謂ふ。制して之を用ふる之を法と謂ひ、利用出入して民咸之を用ふる之を神と謂ふ」と曰ふが如きも、是れ又た道器を以て対言せず。其の義以て見るべきのみ。豈に大謬に非ずや。
-
『慎思録』巻之四術者の陋なり。陰陽を指して道と為すは、猶ほ天地を指して道と為し、聖人を指して道と為すがごとし。此れ道の在る所を以て言ふ。其の実、天地陰陽は即ち是れ道の存する所にして、還た是れ道中に在る所の物なり。蓋し道を以て主と為して之を言へば、則ち天地万物は皆是れ道中の物なり。天地万物を以て主と為して之を言へば、則ち道は天地万物の中に在りて、之が主為る者なり。陰陽の如きは、則ち又天地万物の比に非ず。同異離合を以て之を言ふべからず。故に易に陰陽を以て道を言ふは、此を以てなり。
-
『弁名』理氣人欲仁斎先生曰く、「道は行ふ所を以て言ふ、活字なり。理は存する所を以て言ふ、死字なり。聖人は道を見ること実なり、故に其の理を説くや活なり。老氏は道を見ること虚なり、故に其の理を説くや死なり」と。又た曰く、「道は本と活字、其の生生化化の妙を形容する所以なり。理の字の若きは本と死字、玉に従ひ里に従ふ、玉石の文理を謂ふ。以て事物の条理を形容すべくして、以て天地生生化化の妙を形容するに足らず」と。此等の議論、皆痴人の夢を説くが如し。
-
『弁名』道小人の道長ずと曰ひ、戎狄の道と曰ふ者有り。皆其の由る所を以て俗を成し、自ら一道有るに似たり。故に之を言ふ。善人の道と曰ひ、父の道を改むること無しと曰ふ者有り。亦た其の由る所を言ふのみ。必ずしも先王の道ならず。凡そ其の意此を以て道と為して之に由る者なり。是の道や何ぞ以て臧しとするに足らんと曰ふ者有り。詩書礼楽は、皆先王の道なり。故に一言半句と雖も亦た称して道と為すのみ。
-
『慎思録』巻之三聖人の道は、本自ら分明なり。故に夫婦の愚も、以て与り知るべし。本自ら簡易なり。故に夫婦の不肖も、以て能く行ふべし。然れども世に之を知り之を行ふ者鮮きは、何ぞや。蓋し教無く習無きに因るなり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る