学則 / 学則二
雖然。不朽者文。其書具存方夫世之未載言以遷也。管晏老列亦類也。何惡其道不同也。不求諸道而求諸辭。不昧者心邪。朱離鴃舌。何啻言與言殊。其所以錯辭者亦殊耳。吾奉于鱗氏之敎眎古修辭。習之習之。久與之化。而辭氣神志皆肖。辭氣神志皆肖。而目之眎。口之言。何擇。夫然後千歲之人。旦莫遇之。是之謂置身仲尼之時。從游夏親受業也。是之謂與古爲徒也。亦何假彼之故爲。
新字:雖然。不朽者文。其書具存方夫世之未載言以遷也。管晏老列亦類也。何悪其道不同也。不求諸道而求諸辞。不昧者心邪。朱離鴃舌。何啻言与言殊。其所以錯辞者亦殊耳。吾奉于鱗氏之教眎古修辞。習之習之。久与之化。而辞気神志皆肖。辞気神志皆肖。而目之眎。口之言。何択。夫然後千歳之人。旦莫遇之。是之謂置身仲尼之時。従游夏親受業也。是之謂与古為徒也。亦何仮彼之故為。
書き下し
然りと雖も、朽ちざる者は文なり。其の書具さに存するは、夫の世の未だ言を載せて以て遷らざるに方たればなり。管・晏・老・列も亦た類なり。何ぞ其の道の同じからざるを悪まん。諸を道に求めずして諸を辞に求む。昧からざる者は心か。朱離鴃舌、何ぞ啻に言と言と殊なるのみならん、其の辞を錯く所以の者も亦た殊なるのみ。吾れ于鱗氏の教へを奉じて、古を眎て辞を修む。之を習ひ之を習ひ、久しくして之と化す。而して辞気神志皆肖る。辞気神志皆肖れば、而ち目の眎る、口の言ふ、何ぞ択ばん。夫れ然る後に千歳の人、旦莫に之に遇ふ。是れ之を身を仲尼の時に置き、游・夏に従ひて親しく業を受くと謂ふなり。是れ之を古と徒と為ると謂ふなり。亦た何ぞ彼の故を仮るを為さん。
現代語訳
しかし、朽ちないものは文章である。古代の書物がすっかり残っているのは、それが、世が言葉を乗せて移り変わってしまう前に書かれたものだからである。管子・晏子・老子・列子の書もその類である。その説く道が儒の道と違うからといって嫌う必要はない。そこには道を求めるのでなく、言葉を求めるのだ。曇らないのは心であろう。異民族のさえずりのような言葉の違いは、単に語と語が違うだけでなく、言葉の組み立て方も違うのである。私は于鱗氏(李攀竜)の教えを奉じて、古代を手本に文辞を修めてきた。習いに習い、長い時間をかけてそれと一体となると、言葉づかいも気息も精神も志も、すべて古人に似てくる。そうなれば、目で読むものと口で語るものとに何の違いもない。そうなって初めて、千年前の人に朝夕会うことができる。これこそ孔子の時代に身を置き、子游・子夏に従って直接教えを受けるということであり、古人を仲間とするということである。どうしてあの注釈を借りる必要があろうか。
解説
この章句が説くこと
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