学則 / 学則二
宇猶宙也。宙猶宇也。故以今言眎古言。以古言眎今言。均之侏儷鴃舌哉。科斗貝多何擇也。世載言以遷。言載道以遷。道之不明。職是之由。處百世之下。傳百世之上。猶之越裳氏重九譯邪。重譯之差。不可辨詰。萬里雖夐乎。猶當其世。孰若奘之身游身毒邪。故之又故。子孫雲仍。烏識其祖千歳逝矣。俗移物亡。故之不可恃也。烏能置身仲尼之時。從游夏親受業邪。宇與宙果殊矣。
新字:宇猶宙也。宙猶宇也。故以今言眎古言。以古言眎今言。均之侏儷鴃舌哉。科斗貝多何択也。世載言以遷。言載道以遷。道之不明。職是之由。処百世之下。伝百世之上。猶之越裳氏重九訳邪。重訳之差。不可弁詰。万里雖夐乎。猶当其世。孰若奘之身游身毒邪。故之又故。子孫雲仍。烏識其祖千歳逝矣。俗移物亡。故之不可恃也。烏能置身仲尼之時。従游夏親受業邪。宇与宙果殊矣。
書き下し
宇は猶ほ宙のごとく、宙は猶ほ宇のごとし。故に今言を以て古言を眎、古言を以て今言を眎れば、之を均しくするに侏儷鴃舌なるかな。科斗・貝多、何ぞ択ばん。世は言を載せて以て遷り、言は道を載せて以て遷る。道の明らかならざる、職として是れに之れ由る。百世の下に処りて、百世の上を伝ふるは、猶ほ越裳氏の九訳を重ぬるがごときか。重訳の差、辨詰すべからず。万里夐かなりと雖も、猶ほ其の世に当たる。孰れか奘の身ら身毒に游ぶに若かん。故の又た故、子孫雲仍、烏くんぞ其の祖を識らん、千歳逝けり。俗移り物亡ぶ。故の恃むべからざるなり。烏くんぞ能く身を仲尼の時に置き、游・夏に従ひて親しく業を受けんや。宇と宙と果して殊なり。
現代語訳
空間(宇)の隔たりは時間(宙)の隔たりと同じであり、時間の隔たりは空間の隔たりと同じである。だから今の言葉で古代の言葉を見たり、古代の言葉で今の言葉を見たりすれば、どちらも蛮人のさえずりに等しい。古代中国の蝌蚪文字も、インドの貝多羅葉の梵字も、何の違いもない。世は言葉を乗せて移り変わり、言葉は道を乗せて移り変わる。道が明らかでないのは、もっぱらこのためである。百世の後に生きて百世の前のことを伝えるのは、越裳氏(南方の国)が九度も通訳を重ねて周に来朝したようなものだ。通訳を重ねるうちに生じた食い違いは、問いただしようがない。万里の距離は遠くとも、同じ時代のことである。玄奘が自ら天竺へ旅したのに勝るものがあろうか。注釈にまた注釈を重ね、子孫の子孫となれば、どうしてその祖先を知りえよう。千年はすでに過ぎ去った。風俗は移り、事物は滅びた。注釈は頼りにならない。どうして孔子の時代に身を置き、子游・子夏に従って直接教えを受けることができようか。空間と時間とは、やはり違うのである。
解説
この章句が説くこと
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