学則 / 学則一
然則如之何可也。亦唯言語異宜。其於黃備氏之業。可訓以故不可誦以傳。暫則假。久則泥。筌乎筌乎。獲魚舍筌。口耳不用。心與目謀。思之又思。神其通之。則詩書禮樂。中國之言。吾將聽之以目。則彼彼吾吾有有無無。直道以行之。可以咸被諸橫目之民。則可以通天下之志。何唯東方。則叚使仲尼乘桴。子路從之游。旦暮遇此。則迺謂之東海出聖人也。良不誣已。是謂之學則。迺申之以戒曰。若能不爲黃備氏者。迺能爲黃備氏者。嘻。若何必黃備氏之爲。
新字:然則如之何可也。亦唯言語異宜。其於黄備氏之業。可訓以故不可誦以伝。暫則仮。久則泥。筌乎筌乎。獲魚舎筌。口耳不用。心与目謀。思之又思。神其通之。則詩書礼楽。中国之言。吾将聴之以目。則彼彼吾吾有有無無。直道以行之。可以咸被諸横目之民。則可以通天下之志。何唯東方。則叚使仲尼乗桴。子路従之游。旦暮遇此。則迺謂之東海出聖人也。良不誣已。是謂之学則。迺申之以戒曰。若能不為黄備氏者。迺能為黄備氏者。嘻。若何必黄備氏之為。
書き下し
然らば則ち之を如何にして可ならん。亦た唯だ言語宜しきを異にす。其の黄備氏の業に於けるや、訓ずるに故を以てすべく、誦するに伝を以てすべからず。暫くすれば則ち仮り、久しくすれば則ち泥む。筌か筌か、魚を獲て筌を舎つ。口耳用ゐず、心と目と謀る。之を思ひ又た之を思へば、神其れ之を通ぜん。則ち詩書礼楽は中国の言なり、吾れ将に之を聴くに目を以てせんとす。則ち彼は彼、吾は吾、有は有、無は無、道を直くして以て之を行ふ。以て咸な諸を横目の民に被らしむべく、則ち以て天下の志を通ずべし。何ぞ唯だ東方のみならん。則ち仮使ひ仲尼桴に乗り、子路之に従ひて游ぶとも、旦暮に此に遇はん。則ち迺ち之を東海に聖人出づと謂ふも、良に誣ひざるのみ。是れ之を学則と謂ふ。迺ち之に申ぬるに戒めを以てして曰く、若し能く黄備氏と為らざる者は、迺ち能く黄備氏と為る者なり。嘻、若何ぞ必ずしも黄備氏を之れ為さん。
現代語訳
それではどうすればよいのか。やはり言葉の勝手が違うだけなのである。黄備氏の訓読という業は、語義を解き明かす(訓詁)には使ってよいが、それで読誦し伝えていくのに使ってはならない。しばらくなら借りものとして使えるが、長く使えばそれにとらわれてしまう。筌(うえ)だ、筌なのだ。魚を獲ったら筌は捨てる。口や耳を使わず、心と目とで相談する。考えに考え抜けば、神霊がそれを通じさせてくれるだろう。そうすれば詩書礼楽は中国の言葉のまま、私はそれを目で聴こうと思う。すると、あちらはあちら、こちらはこちら、有るものは有る、無いものは無いとして、まっすぐに道を行うことができる。それを天下のあらゆる民に行き渡らせることもでき、天下の人々の思いを通わせることもできる。どうして東方だけのことであろうか。そうなれば、たとえ孔子が筏で渡り子路がお供してきたとしても、まるで朝夕に会っているようなものになる。そうなって初めて「東の海に聖人が出た」と言っても、本当に偽りではない。これを「学則(学問の規則)」という。さらに戒めを重ねて言う。黄備氏にならずにいられる者こそが、黄備氏になれる者である。ああ、お前はどうして黄備氏のまねばかりしなければならないのか。
解説
この章句が説くこと
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