学則 / 学則一
副墨之子。洛誦之孫。執以廢其祖不知其可。而况之子之孫。非冥令之肖。則嬴氏之呂者。以此而操觚乎。籀斯之迹。粲然盈簡。而彼不可讀。吾不可讀。吾必從事夫黃備氏之所爲。句有須。丁有尾。纍纍乎星羅。擾擾然蜉蝣之來集。而後可得而言也已。是迺黃備氏之詩書禮樂也。非中國之詩書禮樂也。則其禍殆乎有甚於侏儷鴃舌者也哉。
新字:副墨之子。洛誦之孫。執以廃其祖不知其可。而況之子之孫。非冥令之肖。則嬴氏之呂者。以此而操觚乎。籀斯之迹。粲然盈簡。而彼不可読。吾不可読。吾必従事夫黄備氏之所為。句有須。丁有尾。纍纍乎星羅。擾擾然蜉蝣之来集。而後可得而言也已。是迺黄備氏之詩書礼楽也。非中国之詩書礼楽也。則其禍殆乎有甚於侏儷鴃舌者也哉。
書き下し
副墨の子、洛誦の孫、執りて以て其の祖を廃すること、其の可なるを知らず。而るを況んや之の子の孫、冥令の肖に非ずんば、則ち嬴氏の呂なる者をや。此を以てして觚を操らんか。籀・斯の迹、粲然として簡に盈つれども、彼れ読むべからず、吾れ読むべからず。吾れ必ず夫の黄備氏の為す所に従事し、句に須有り、丁に尾有り、纍纍乎として星羅し、擾擾然として蜉蝣の来り集まるがごとくにして、而る後に得て言ふべきのみ。是れ迺ち黄備氏の詩書礼楽なり、中国の詩書礼楽に非ざるなり。則ち其の禍ひ殆ど侏儷鴃舌より甚だしき者有らんかな。
現代語訳
書き写した文字の子、暗誦の孫(『荘子』)を持ち出して、その祖先を廃してよいとは思えない。ましてその子のまた孫で、真の血筋を引く者でなければ、嬴氏(秦の王家)を名乗りながら実は呂氏の子であるようなものだ。そんなもので筆を執って文章を書こうというのか。史籀や李斯の古い文字は竹簡にくっきりと満ちているのに、あちらのままでは読めず、こちらのままでも読めない。そこで私も黄備氏のやり方に従い、句にはひげ(送り仮名)をつけ、字には尾(返り点)をつけて、それが星のように連なり、カゲロウが群がり集まるように書き込まれて、ようやく読み上げることができるというありさまだ。これは黄備氏の詩書礼楽であって、中国の詩書礼楽ではない。そうなると、その禍は「蛮人のさえずり」よりもひどいものになるかもしれない。
解説
この章句が説くこと
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