学論抄録 / 天地人の三つの険と国を守る都城の備え
如武學、則一世寥々無聞者、呼、日出神武之國、豈非一大欠事耶、是以不自揣、屑々盡力焉耳矣、夫武備者國家之固也、爲固則必據于險、險也有天有地有人、三者闕一則不可也、孟子曰、天時不如地利、地利不如人和、蓋非單執人和、天時地利置而不問也、姑爲時君論此重於彼耳、易曰、天險不可升也、地險山川丘陵也、王公設險以守其國、險之時用大矣哉、吾聞諸師、曰、不可升者無形之險也、山川丘陵者有形之險也、無形者道也、有形者器也、器載道以固守其國、是人險也、道器一物、不可以上下爲階級、猶云字義在字上也、三險已全焉、則豈有喪身亡國之患乎哉、顧言天理人和、文學已備矣、但近日儒生廢武、故地利置而不論、豈足以爲三才一貫之道耶、按、自古帝王平定天下、必建都會以爲四方之極、而據形勝、擇便利、正所以爲久安長治計也、是故武王得天下、都于豐鎬、成王繼其志、即有宅洛之擧焉、我國神武創業也、恢廓皇都、規摹大壯、史所載昭々焉、是知、地險之設、都城之制、守國之先務也、明人謂、開闢以來、爲民虐者三大變、一曰禽獸、二曰洪水、三曰夷狄、古之聖賢王伯、勞心思、竭筋力以圖之、而其究皆歸于築防、又曰、天造地設、分疆畫境、各有界限、凡其界限之處、必有天然之險、其不足者、人力因而城之、此自然之勢也、亦理之當然也、其說有以可謂慮國家之急者矣、
新字:如武学、則一世寥々無聞者、呼、日出神武之国、豈非一大欠事耶、是以不自揣、屑々尽力焉耳矣、夫武備者国家之固也、為固則必拠于険、険也有天有地有人、三者闕一則不可也、孟子曰、天時不如地利、地利不如人和、蓋非単執人和、天時地利置而不問也、姑為時君論此重於彼耳、易曰、天険不可升也、地険山川丘陵也、王公設険以守其国、険之時用大矣哉、吾聞諸師、曰、不可升者無形之険也、山川丘陵者有形之険也、無形者道也、有形者器也、器載道以固守其国、是人険也、道器一物、不可以上下為階級、猶云字義在字上也、三険已全焉、則豈有喪身亡国之患乎哉、顧言天理人和、文学已備矣、但近日儒生廃武、故地利置而不論、豈足以為三才一貫之道耶、按、自古帝王平定天下、必建都会以為四方之極、而拠形勝、択便利、正所以為久安長治計也、是故武王得天下、都于豊鎬、成王継其志、即有宅洛之挙焉、我国神武創業也、恢廓皇都、規摹大壮、史所載昭々焉、是知、地険之設、都城之制、守国之先務也、明人謂、開闢以来、為民虐者三大変、一曰禽獣、二曰洪水、三曰夷狄、古之聖賢王伯、労心思、竭筋力以図之、而其究皆帰于築防、又曰、天造地設、分疆画境、各有界限、凡其界限之処、必有天然之険、其不足者、人力因而城之、此自然之勢也、亦理之当然也、其説有以可謂慮国家之急者矣、
書き下し
武学の如きは、則ち一世寥々として聞くこと無し。呼、日出づる神武の国にして、豈に一大欠事に非ずや。是を以て自ら揣らず、屑々として力を尽くすのみ。夫れ武備は国家の固めなり。固めを為すには則ち必ず険に拠る。険や、天有り地有り人有り。三者一を闕かば則ち不可なり。孟子曰く、天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず、と。蓋し単に人の和を執りて、天時地利を置きて問はざるに非ず。姑く時君の為に此の彼より重きを論ずるのみ。易に曰く、天険は升るべからざるなり、地険は山川丘陵なり、王公険を設けて以て其の国を守る、険の時用大なるかな、と。吾れ諸れを師に聞く、曰く、升るべからざるは無形の険なり、山川丘陵は有形の険なり。無形なる者は道なり、有形なる者は器なり。器は道を載せて以て固く其の国を守る。是れ人の険なり。道と器とは一物にして、上下を以て階級と為すべからず。猶ほ字義は字の上に在りと云ふがごとし、と。三険已に全くせば、則ち豈に身を喪ひ国を亡ぼすの患ひ有らんや。顧みるに天理人和を言へば、文学已に備はれり。但だ近日儒生武を廃す、故に地利は置きて論ぜず、豈に以て三才一貫の道と為すに足らんや。按ずるに、古より帝王天下を平定すれば、必ず都会を建てて以て四方の極と為し、形勝に拠り、便利を択ぶ。正に久安長治の計を為す所以なり。是の故に武王天下を得て、豊鎬に都し、成王其の志を継ぎ、即ち洛に宅するの挙有り。我が国神武の創業や、皇都を恢廓し、規摹大壮、史の載する所昭々たり。是れ知る、地険の設、都城の制は、国を守るの先務なるを。明人謂へらく、開闢以来、民の為に虐を為す者三大変あり。一に曰く禽獣、二に曰く洪水、三に曰く夷狄。古の聖賢王伯、心思を労し、筋力を竭くして以て之を図り、而して其の究は皆築防に帰す、と。又た曰く、天造地設、疆を分かち境を画し、各々界限有り。凡そ其の界限の処には、必ず天然の険有り。其の足らざる者は、人力因りて之に城く。此れ自然の勢なり。亦た理の当然なり、と。其の説は以て国家の急を慮る者と謂ふべき有り。
現代語訳
武学となると、世にひっそりとして聞くところがありません。ああ、日の出づる神武の国で、大きな欠落ではないでしょうか。そこで自分の力をはからず、こつこつと力を尽くすのです。そもそも武備は国家の固めです。固めをなすには必ず険(要害)に拠ります。険には天・地・人があり、三つのうち一つでも欠けてはなりません。孟子は「天の時は地の利に及ばず、地の利は人の和に及ばない」と言いました。これは、人の和だけを取って、天時と地利を放置して問わないという意味ではなく、しばらく時の君主のために、こちらがあちらより重いと論じただけです。易に「天の険は昇ることができない。地の険は山川丘陵である。王公は険を設けてその国を守る。険の時に応じた用は大きい」とあります。私は師から聞きました。「昇れないものは無形の険であり、山川丘陵は有形の険である。無形のものは道であり、有形のものは器である。器は道を載せて固くその国を守る。これが人の険である。道と器は一つのもので、上下を階級としてはならない。ちょうど字義が字の上にあるというようなものだ」と。三つの険がすでに揃えば、身を失い国を亡ぼす憂いはありません。顧みるに、天理と人和については、文学がすでに備えています。ただ近ごろ儒生は武を捨てているので、地の利は放置して論じず、どうして三才(天地人)を貫く道と言えるでしょうか。考えるに、古来、帝王が天下を平定すれば、必ず都会を建てて四方の中心とし、地形のすぐれたところに拠り、便利なところを選びました。まさに久しく安らかに長く治める計をなすためです。ですから武王は天下を得て豊・鎬に都し、成王はその志を継いで、洛に居を定める事業をしました。わが国の神武天皇の創業でも、皇都を広げ、規模は大壮にして、史に載せるところは明らかです。ここから分かるのは、地の険の設け、都城の制は、国を守る最初の務めだということです。明人は言いました。「開闢以来、民のために害をなす三大変があった。一は禽獣、二は洪水、三は夷狄である。古の聖賢王伯は心を労し力を尽くしてこれに対処し、その結局はみな防塁を築くことに帰した」と。また言いました。「天が造り地が設け、疆を分け境を画して、それぞれに界限がある。およそその界限のところには、必ず天然の険がある。足りないところは、人力でそこに城を築く。これは自然の勢であり、また道理の当然である」と。その説は、国家の急を慮るものと言えます。
解説
この章句が説くこと
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