学論抄録 / 築城は度量数称を知り形勢を整える法
軍志曰、夫天下皆城也、然城之制、其善者寡也、故備講築城之法而後可設城、宜乎言也、若夫三才圖會所載、其形婉圓三匝、無出入、無分段、無經緯錯綜、則誠不足與語矣、但武備志中論壘制有言、曰、大小不限、曲直無拘、但內容丁衆、外遠俯逼而已、然大不如小、小則堅、直不若曲、曲則易守、故宋藝祖筆塗趙韓王城圖、不使端直、金粘沒喝一覲汴城、便謂易攻也、蓋粘沒喝夷人乎、西夷城圖如蓮華、名曰八葉城、頗協其法、宜乎、其言如此、古曰、都城過百雉、國之害也、當知大小有制、孫子曰、地生度、度生量、量生數、數生稱、稱生勝、戰勝之出於度量數稱也、一句揭示、粲然如日星、而吉備公所傳八陣九地結營向背之法、亦在于知度量數稱也、怪哉、世兵家者流、講此者少也、夫戰勝之道、在于形勢中節、而勢者由形而生、離形論勢者、猶捕影握風、勞力莫所獲也、苟其形未全、則猶五體不具人、何以可得運動折旋隨意耶、兵法曰、地形者兵之助也、凡物皆得助而功成、兵勢之發動、似乎水因地制流、故兵之在險、猶魚在水、得水而活、失水而死、孫子於地道所以言死生也、而其得因地制形度量中節之道、莫近於講築城之法也、其法也相攸卜居、而遠近廣狹定焉、因利制權、而進退動靜生焉、城定如地、郭遠如天、分區域、具陰陽、四面八向、布列有準、次序有倫、
新字:軍志曰、夫天下皆城也、然城之制、其善者寡也、故備講築城之法而後可設城、宜乎言也、若夫三才図会所載、其形婉円三匝、無出入、無分段、無経緯錯綜、則誠不足与語矣、但武備志中論塁制有言、曰、大小不限、曲直無拘、但内容丁衆、外遠俯逼而已、然大不如小、小則堅、直不若曲、曲則易守、故宋芸祖筆塗趙韓王城図、不使端直、金粘没喝一覲汴城、便謂易攻也、蓋粘没喝夷人乎、西夷城図如蓮華、名曰八葉城、頗協其法、宜乎、其言如此、古曰、都城過百雉、国之害也、当知大小有制、孫子曰、地生度、度生量、量生数、数生称、称生勝、戦勝之出於度量数称也、一句掲示、粲然如日星、而吉備公所伝八陣九地結営向背之法、亦在于知度量数称也、怪哉、世兵家者流、講此者少也、夫戦勝之道、在于形勢中節、而勢者由形而生、離形論勢者、猶捕影握風、労力莫所獲也、苟其形未全、則猶五体不具人、何以可得運動折旋随意耶、兵法曰、地形者兵之助也、凡物皆得助而功成、兵勢之発動、似乎水因地制流、故兵之在険、猶魚在水、得水而活、失水而死、孫子於地道所以言死生也、而其得因地制形度量中節之道、莫近於講築城之法也、其法也相攸卜居、而遠近広狭定焉、因利制権、而進退動静生焉、城定如地、郭遠如天、分区域、具陰陽、四面八向、布列有準、次序有倫、
書き下し
軍志に曰く、夫れ天下は皆城なり、と。然れども城の制、其の善き者は寡し。故に備さに築城の法を講じて後、城を設くべし。宜なるかな言や。夫の三才図会の載する所の若きは、其の形婉円三匝にして、出入無く、分段無く、経緯錯綜無し。則ち誠に与に語るに足らず。但だ武備志中の塁制を論ずるに言有り、曰く、大小限らず、曲直拘はる無し。但だ内は丁衆を容れ、外は遠く俯逼するのみ。然れども大は小に如かず、小なれば則ち堅し。直は曲に若かず、曲なれば則ち守り易し、と。故に宋の芸祖、筆もて趙韓王の城図を塗り、端直ならしめず。金の粘没喝、一たび汴城を覲て、便ち攻め易しと謂ふ。蓋し粘没喝は夷人か。西夷の城図は蓮華の如く、名づけて八葉城と曰ふ。頗る其の法に協ふ。宜なるかな、其の言此くの如し。古に曰く、都城百雉を過ぐるは、国の害なり、と。当に知るべし、大小に制有るを。孫子曰く、地は度を生じ、度は量を生じ、量は数を生じ、数は称を生じ、称は勝を生ず、と。戦勝の度量数称より出づるなり。一句揭示し、粲然として日星の如し。而して吉備公の伝ふる所の八陣九地結営向背の法も、亦た度量数称を知るに在り。怪しいかな、世の兵家者流、此を講ずる者少なきこと。夫れ戦勝の道は、形勢節に中るに在り。而して勢は形に由りて生ず。形を離れて勢を論ずる者は、猶ほ影を捕へ風を握るがごとく、力を労するも獲る所無きなり。苟くも其の形未だ全からずんば、猶ほ五体具はらざる人のごとし。何を以て運動折旋意に随ふことを得べけんや。兵法に曰く、地形は兵の助けなり、と。凡そ物は皆助けを得て功成る。兵勢の発動は、水の地に因りて流れを制するに似たり。故に兵の険に在るは、猶ほ魚の水に在るがごとし。水を得て活き、水を失ひて死す。孫子の地道に於いて死生を言ふ所以なり。而して其の地に因りて形を制し度量節に中るの道を得ること、築城の法を講ずるより近きは莫し。其の法や、攸を相て居を卜し、而して遠近広狭定まる。利に因りて権を制し、而して進退動静生ず。城は地の如く定まり、郭は天の如く遠し。区域を分かち、陰陽を具へ、四面八向、布列準有り、次序倫有り、
現代語訳
『軍志』に「そもそも天下はみな城である」とあります。しかし城の制は、よいものは少ないのです。だから築城の法を詳しく講じてから城を設けるべきです。まことにもっともな言葉です。『三才図会』に載っているものは、その形がゆるやかな円で三重に巡り、出入りがなく、区分がなく、縦横の組み合わせがありません。これは話にならないものです。ただ『武備志』の中で塁の制を論じて言うには、「大小は限らず、曲直にこだわらない。ただ内には兵や人を容れ、外は遠くから迫られるだけである。しかし大は小に及ばない。小さければ堅いからである。直は曲に及ばない。曲がっていれば守りやすいからである」。だから宋の芸祖(太祖)は、筆で趙韓王の城図を塗って、まっすぐにならないようにしました。金の粘没喝は、一度汴城を見て、攻めやすいと言いました。粘没喝は異民族の人でしょうか。西夷の城図は蓮華のようで、八葉城と名づけられ、その法にだいぶ適っています。なるほどその言葉のとおりです。古に「都城が百雉を過ぎるのは、国の害である」とあります。大小には制があることを知るべきです。孫子は「地は度を生じ、度は量を生じ、量は数を生じ、数は称を生じ、称は勝を生ず」と言います。戦いの勝ちが度量数称から出ることを、一句で掲げ示し、太陽や星のように明らかです。吉備公が伝えた八陣・九地・結営向背の法も、度量数称を知ることにあります。不思議なことに、世の兵家の流れはこれを講ずる者が少ないのです。戦勝の道は、形勢が節度に適うことにあります。勢は形から生まれます。形を離れて勢を論ずる者は、影を捕らえ風を握るようなもので、力を労しても得るところがありません。形がまだ全うしていなければ、五体のそろわない人のようで、どうして動きや向きの転換を思うままにできましょう。兵法に「地形は兵の助けである」とあります。およそ物は助けを得て功が成ります。兵の勢いの発動は、水が地に従って流れを制するのに似ています。ですから兵が険にあるのは、魚が水にあるようなもので、水を得て生き、水を失って死にます。孫子が地の道において死生を言う理由です。そして地に従って形を定め、度量が節度に適う道を得るには、築城の法を講ずるより近いものはありません。その法は、地相を見て居を定め、遠近広狭が決まります。利に従って権を制し、進退動静が生まれます。城は地のように定まり、郭は天のように遠く、区域を分け、陰陽をそなえ、四面八方に、配置に基準があり、順序に筋道があり、
解説
この章句が説くこと
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