福沢諭吉小品集 / 瘠我慢の説・第7段
左れば当時積弱の幕府に勝算なきは我輩も勝氏とともにこれを知るといえども、士風維持の一方より論ずるときは、国家存亡の危急に迫りて勝算の有無は言うべき限りにあらず。いわんや必勝を算して敗し、必敗を期して勝つの事例も少なからざるにおいてをや。然るを勝氏は予め必敗を期し、その未だ実際に敗れざるに先んじて自から自家の大権を投棄し、ひたすら平和を買わんとて勉めたる者なれば、兵乱のために人を殺し財を散ずるの禍をば軽くしたりといえども、立国の要素たる瘠我慢の士風を傷うたるの責は免かるべからず。殺人散財は一時の禍にして、士風の維持は万世の要なり。これを典して彼を買う、その功罪相償うや否や、容易に断定すべき問題にあらざるなり。 或はいう、王政維新の成敗は内国の事にして、いわば兄弟朋友間の争いのみ、当時東西相敵したりといえどもその実は敵にして敵にあらず、兎に角に幕府が最後の死力を張らずしてその政府を解きたるは時勢に応じて好き手際なりとて、妙に説を作すものあれども、一場の遁辞口実たるに過ぎず。内国の事にても朋友間の事にても、既に事端を発するときは敵はすなわち敵なり。然るに今その敵に敵するは、無益なり、無謀なり、国家の損亡なりとて、専ら平和無事に誘導したるその士人を率いて、一朝敵国外患の至るに当り、能くその士気を振うて極端の苦辛に堪えしむるの術あるべきや。内に瘠我慢なきものは外に対してもまた然らざるを得ず。これを筆にするも不祥ながら、億万一にも我日本国民が外敵に逢うて、時勢を見計らい手際好く自から解散するがごときあらば、これを何とか言わん。然り而して幕府解散の始末は内国の事に相違なしといえども、自から一例を作りたるものというべし。
書き下し
左れば当時積弱の幕府に勝算なきは我輩も勝氏とともにこれを知るといえども、士風維持の一方より論ずるときは、国家存亡の危急に迫りて勝算の有無は言うべき限りにあらず。いわんや必勝を算して敗し、必敗を期して勝つの事例も少なからざるにおいてをや。然るを勝氏は予め必敗を期し、その未だ実際に敗れざるに先んじて自から自家の大権を投棄し、ひたすら平和を買わんとて勉めたる者なれば、兵乱のために人を殺し財を散ずるの禍をば軽くしたりといえども、立国の要素たる瘠我慢の士風を傷うたるの責は免かるべからず。殺人散財は一時の禍にして、士風の維持は万世の要なり。これを典して彼を買う、その功罪相償うや否や、容易に断定すべき問題にあらざるなり。 或はいう、王政維新の成敗は内国の事にして、いわば兄弟朋友間の争いのみ、当時東西相敵したりといえどもその実は敵にして敵にあらず、兎に角に幕府が最後の死力を張らずしてその政府を解きたるは時勢に応じて好き手際なりとて、妙に説を作すものあれども、一場の遁辞口実たるに過ぎず。内国の事にても朋友間の事にても、既に事端を発するときは敵はすなわち敵なり。然るに今その敵に敵するは、無益なり、無謀なり、国家の損亡なりとて、専ら平和無事に誘導したるその士人を率いて、一朝敵国外患の至るに当り、能くその士気を振うて極端の苦辛に堪えしむるの術あるべきや。内に瘠我慢なきものは外に対してもまた然らざるを得ず。これを筆にするも不祥ながら、億万一にも我日本国民が外敵に逢うて、時勢を見計らい手際好く自から解散するがごときあらば、これを何とか言わん。然り而して幕府解散の始末は内国の事に相違なしといえども、自から一例を作りたるものというべし。
現代語訳
そうであれば、当時の弱り切った幕府に勝つ見込みがなかったことは、私も勝氏とともに知っています。しかし、士風の維持という一方から論じるならば、国家の存亡の危急に迫って、勝算の有無は言うべき限りではありません。まして、必ず勝つと見込んで敗れ、必ず負けると覚悟して勝つ例も少なくないのですから、なおさらです。ところが勝氏は、あらかじめ必敗と決めつけ、実際に敗れるに先んじて、自ら自家の大権を投げ捨て、ひたすら平和を買おうと努めた者ですから、戦乱のために人を殺し財を散らす禍を軽くしたとはいえ、立国の要素である瘠我慢の士風を傷つけた責任は免れません。殺人と散財は一時の禍であり、士風の維持は万世の要です。これを質に入れてあれを買う、その功罪が相償うかどうかは、簡単に断定できる問題ではありません。 あるいはこういう人がいます。王政維新の成否は国内の事であって、いわば兄弟や朋友の間の争いにすぎない。当時、東西で相敵対したとはいえ、実は敵であって敵でない。ともかく幕府が最後の死力を尽くさずに政府を解いたのは、時勢に応じた上手なやり方だった、と巧みに説を作る者もいますが、それは単なる言い逃れの口実にすぎません。国内の事でも朋友間の事でも、すでに事の端が開かれたときは、敵はすなわち敵です。それなのに今、その敵に敵対するのは無益で、無謀で、国家の損失だとして、ひたすら平和無事に誘導してきたその士人たちを率いて、ひとたび敵国外患が来るとき、士気を奮い、極端な辛苦に堪えさせる術があるでしょうか。内に瘠我慢がない者は、外に対しても同じです。これを筆にするのも不吉ですが、万一にも我が日本国民が外敵に遭って、時勢を見計らい、手際よく自ら解散するようなことがあれば、これを何と言えばよいでしょうか。そして、幕府解散の始末は国内の事に違いありませんが、自ら一つの先例を作ったものというべきです。
解説
この章句が説くこと
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『政談』諸役人職分支配を分つ事譬へは国境郷村の境山垂れ等分明ならす、度々所々の公事絶ゆることなし、是兼ねて其の所を支配する人明かに我か支配を知らぬ故なり、其の支配所を知りて事出つへき所は下より申し出てすとも、申し立てゝ御当家の御定めありたきことなり、御当家の御定め無きに遠国の事を在江戸の奉行之を捌かんとするとも詮方なし、これによりてかろきみのう撿使につかはせはかりもの格を取証拠無けれは捌かれぬ故小田原又は信玄又は信長公又は太閤なとのときの奉行の書物を証拠とす、これは先方の時分にて惣体の模様違ひたる時代を証拠に引くこと埓もなきことなり、或は室町家或は鎌倉或は往古の綸旨等を証拠に引くも年数遥かに隔りて埓もなきことは、是れ皆奉行をする面々兎角何ことも先例を引き付けたるくせにて引くましき先例を引く也、是れ皆御当家の御定めなき故也、
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尚書・周官古に學びて官に入り、事を議するに制を以てすれば、政乃ち迷わず。
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