福沢諭吉小品集 / 日本男子論・第22段
然かのみならず国の徳義の一般に上進すると共に、品行論はいよいよ穎敏となり、天下後世の談にあらずして、いやしくも不品行者とあれば今日の社会に許されざるを常とす。試みに見るべし、有名なる英国の政治家チャールス・ヂルク氏は、誠に疑わしき艶罪(ある人の説く所に拠れば全く無根の冤なりともいう)を以て政治社会を擯けられたり。我輩はもとより氏に私の縁あらざれば、その人の幸不幸についても深く喜憂するにはあらざれども、ただこの一事を見て、英国政治社会一般の徳風を窺い知るのみ。即ち、かの政治社会は潔清無垢にして、一点の汚痕を留めざるものというべし。斯くありてこそ一国の政治社会とも名づくべけれ。その士気の凜然として、私に屈せず公に枉げず、私徳私権、公徳公権、内に脩まりて外に発し、内国の秩序、斉然巍然として、その余光を四方に燿かすも決して偶然にあらず。我輩は、我が政治社会の徳義をして先ず英国の如くならしめ、然る後に実際の政事政談に及ばんことを欲するものなり。
書き下し
然かのみならず国の徳義の一般に上進すると共に、品行論はいよいよ穎敏となり、天下後世の談にあらずして、いやしくも不品行者とあれば今日の社会に許されざるを常とす。試みに見るべし、有名なる英国の政治家チャールス・ヂルク氏は、誠に疑わしき艶罪(ある人の説く所に拠れば全く無根の冤なりともいう)を以て政治社会を擯けられたり。我輩はもとより氏に私の縁あらざれば、その人の幸不幸についても深く喜憂するにはあらざれども、ただこの一事を見て、英国政治社会一般の徳風を窺い知るのみ。即ち、かの政治社会は潔清無垢にして、一点の汚痕を留めざるものというべし。斯くありてこそ一国の政治社会とも名づくべけれ。その士気の凜然として、私に屈せず公に枉げず、私徳私権、公徳公権、内に脩まりて外に発し、内国の秩序、斉然巍然として、その余光を四方に燿かすも決して偶然にあらず。我輩は、我が政治社会の徳義をして先ず英国の如くならしめ、然る後に実際の政事政談に及ばんことを欲するものなり。
現代語訳
それだけでなく、国全体の道徳が上向くにつれて、品行についての議論はますます鋭敏になり、天下後世のための話にとどまらず、不品行者とあれば今日の社会ではまず許されないのが常です。試みに見てください。有名なイギリスの政治家チャールズ・ディルク氏は、まことに疑わしい色恋の罪(ある人の説によれば、まったく根拠のない冤罪だともいいます)によって、政治社会から退けられました。私はもとより氏と個人的な縁がないので、その人の幸不幸について深く喜んだり憂えたりするわけではありませんが、ただこの一件を見て、イギリスの政治社会一般の徳風をうかがい知るばかりです。つまり、その政治社会は清らかで汚れがなく、一点の汚れも残さないものというべきです。このようであってこそ、一国の政治社会と呼ぶにふさわしいでしょう。その士気は凛として、私情には屈せず公の道は曲げず、私徳も私権も公徳も公権も、内に修まって外に現れ、国内の秩序は整って堂々とし、その余光を四方に輝かせているのも、決して偶然ではありません。私は、我が政治社会の徳義をまずイギリスのようにしたうえで、それから実際の政事や政談に及びたいと願う者です。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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啓発録・振氣此気は生ある者にはみなある者にて、禽獣にさへこれありて、禽獣にても甚しく気の立たる時は、人を害し人を苦しむことありまして、人に於てをや。人の中にても士は一番此気強く有之故、世俗にこれを士気と唱へ、いかほど年若な者にても両刀を帯したる者に不礼を不致は、此士気に畏れ候事にて、其人の武芸や力量や位職のみに畏れ候にてはこれなし。
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『呻吟語』外篇・品藻・士氣と傲氣士氣は無かる可からず、傲氣は有る可からず。士氣なる者は、人己の分に明らかにして、正を守りて詭隨せず。傲氣なる者は、上下の等に昧くして、高きを好みて位に素せず。自ら處する者は每に人に傲るを以て士氣と為し、人を觀る者は每に士氣を以て人に傲ると為す。悲しいかな。故に惟だ士氣有る者のみ能く己を謙りて人に下る。
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司馬法・用眾親に書するを絶つ、是れを顧みるを絶つの慮と謂う。
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孫子・作戦篇故に智将は敵に食するを務む。敵に食する一鍾は、吾が二十鍾に当たり、萁稈一石は、吾が二十石に当たる。
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尉繚子・兵教下今戦国相攻め、大いに有徳を伐つ。伍よりして両、両よりして師、其の令を一にせず、率ね民心をして定まらざらしめ、徒らに驕侈を尚び、謀患辨訟し、吏其の事を究め、累ねて且に敗れんとす。日暮れ路遠く、還るに剉気有り、師老い将貪り、争掠して敗れ易し。凡そ将軽く、塁卑く、衆動けば、攻むべきなり。将重く、塁高く、衆懼るれば、囲むべきなり。凡そ囲むには必ず其の小利を開き、漸く夷弱ならしむれば、則ち節吝して食はざる者有り。衆夜撃つ者は、驚くなり。衆事を避くる者は、離るるなり。人の救を待ち、戦を期して蹙まるは、皆心失はれて気傷るるなり。気を傷れば軍を敗り、曲謀は国を敗る。
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『講孟余話』萬章下 第七章此の章、官職ある者の君命に趨くと、庶人敢へて諸侯に見えざると、義自ら別なるを論ず。但し方今官職ある者の君命に趨かざるを患へず、庶人敢へて諸侯に見えざるの風、断えてなきこと、廉恥なきの世間、深く憂ふべし。古人も忠臣を求むるは孝子の門に於てす、事に臨み節に死するの士を求むるは、平時直言の士に於てすべしと云へば、士気を培養するは、兎角平素に在ることなり。平素廉恥なきの極、一旦変起こることあらば、万官奔竄、鳥栖を択ぶに至ること、鏡に掛けて見るが如し。是れ憂ふべしとする所以なり。是を憂へば他なし、千乗の国の士に事ふるの故事を修むるに若かず。是れ久遠の謀なり。
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