福沢諭吉小品集 / 日本男子論・第23段
外国と交際を開きて独立国の体面を張らんとするには、虚実両様の尽力なかるべからず。殖産工商の事を勉めて富国の資を大にし、学問教育の道を盛んにして人文の光を明らかにし、海陸軍の力を足して護国の備えを厚うするが如き、実際直接の要用なれども、内外人民の交際は甚だ繁忙多端にして、外国人が我が日本国の事情を詳らかにせんとするは、容易なることにあらざるが故に、彼らをして我が真面目を知らしめんとするには、事の細大に論なく、仮令え無用に属する外見の虚飾にても、先ずその形を示して我を知るの道を開くこと甚だ緊要なりとす。即ち我が国衣食住の有様は云々にして習俗宗教は斯の如しなどと、これを示しこれを語りて、時としてはことさらにその外面を装うて体裁を張るが如き、これなり。例えば今日の実際において、吾人の家に外国人の来るあれば、先ずこれを珍客として様々に待遇の備えを設け、とにかくに見苦しからぬようにと心配するは人情の常なり。また、これを大にして都鄙の道路橋梁、公共の建築等に、時としては実用のほかに外見を飾るものなきにあらず。あるいは近来東京などにて交際のいよいよ盛んにして、遂に豪奢分外の譏りを得るまでに至りしも、幾分か外国人に対して体裁云々の意味を含むことならん。一概にこれを評すれば無益の虚飾なるに似たれども、他人をして我が真実を知らしむるは甚だ易からざるが故に、先ず虚より導きて実に入らしむる方便なりといえば、強ち咎むべきにもあらず。その虚実、要不要の論はしばらく擱き、我が日本国人が外国交際を重んじてこれを等閑に附せず、我が力のあらん限りを尽して、以て自国の体面を張らんとするの精神は誠に明白にして、その愛国の衷情、実際の事跡に現われたるものというべし。
書き下し
外国と交際を開きて独立国の体面を張らんとするには、虚実両様の尽力なかるべからず。殖産工商の事を勉めて富国の資を大にし、学問教育の道を盛んにして人文の光を明らかにし、海陸軍の力を足して護国の備えを厚うするが如き、実際直接の要用なれども、内外人民の交際は甚だ繁忙多端にして、外国人が我が日本国の事情を詳らかにせんとするは、容易なることにあらざるが故に、彼らをして我が真面目を知らしめんとするには、事の細大に論なく、仮令え無用に属する外見の虚飾にても、先ずその形を示して我を知るの道を開くこと甚だ緊要なりとす。即ち我が国衣食住の有様は云々にして習俗宗教は斯の如しなどと、これを示しこれを語りて、時としてはことさらにその外面を装うて体裁を張るが如き、これなり。例えば今日の実際において、吾人の家に外国人の来るあれば、先ずこれを珍客として様々に待遇の備えを設け、とにかくに見苦しからぬようにと心配するは人情の常なり。また、これを大にして都鄙の道路橋梁、公共の建築等に、時としては実用のほかに外見を飾るものなきにあらず。あるいは近来東京などにて交際のいよいよ盛んにして、遂に豪奢分外の譏りを得るまでに至りしも、幾分か外国人に対して体裁云々の意味を含むことならん。一概にこれを評すれば無益の虚飾なるに似たれども、他人をして我が真実を知らしむるは甚だ易からざるが故に、先ず虚より導きて実に入らしむる方便なりといえば、強ち咎むべきにもあらず。その虚実、要不要の論はしばらく擱き、我が日本国人が外国交際を重んじてこれを等閑に附せず、我が力のあらん限りを尽して、以て自国の体面を張らんとするの精神は誠に明白にして、その愛国の衷情、実際の事跡に現われたるものというべし。
現代語訳
外国と交際を開いて独立国の体面を保とうとすれば、実と虚の両面での尽力がなければなりません。産業や商工業に励んで国を富ませる資金を大きくし、学問教育の道を盛んにして文化の光を明らかにし、陸海軍の力を整えて国を守る備えを厚くするといったことは、実際に直接必要なことです。しかし、国内外の人民の交際は非常に繁忙で多端であり、外国人が我が日本国の事情を詳しく知ろうとするのは容易なことではありません。そのため、彼らに我々の真の姿を知ってもらうには、事の大小にかかわらず、たとえ役に立たない外見だけの飾りであっても、まずその形を示して、我々を知る道を開くことが非常に大切です。つまり、我が国の衣食住の様子はこうで、習俗や宗教はこのようだなどと、示し、語り、ときにはあえて外面を装って体裁を整えるのがそれです。たとえば今日の実際でも、自分の家に外国人が来るとなれば、まず珍客として種々のもてなしの準備をし、とにかく見苦しくないようにと気をつかうのは、人情の常です。また規模を大きくして、都市や田舎の道路・橋、公共の建築などにも、ときには実用のほかに外見を飾ることがないわけではありません。あるいは近ごろ東京などで交際がますます盛んになり、とうとう分に過ぎた豪奢だという非難を受けるまでに至ったのも、いくらかは外国人に対して体裁を整えるという意味を含んでいるのでしょう。一概に評すれば無益な虚飾のようですが、他人に我が真実を知らせるのはきわめて難しいので、まず虚から導いて実に入らせる方便だといえば、必ずしも咎めるべきではありません。その虚実や必要・不要の議論はしばらくおき、我が日本国民が外国との交際を重んじておろそかにせず、力の限りを尽くして自国の体面を保とうとする精神は、まことに明白で、その愛国の真情が実際の行いに現れたものというべきです。
解説
この章句が説くこと
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福沢諭吉小品集・日本男子論・第26段然り而して日本国中その責に任ずる者は誰ぞや、内行を慎まざる軽薄男子あるのみ。この一点より考うれば、外国人の見る目如何などとて、その来訪のときに家内の体裁を取り繕い、あるいは外にして都鄙の外観を飾り、または交際の法に華美を装うが如き、誠に無益の沙汰にして、軽侮を来す所以の大本をば擱き、徒に末に走りて労するものというべきのみ。これを喩えば、大廈高楼の盛宴に山海の珍味を列ね、酒池肉林の豪、糸竹管絃の興、善尽し美尽して客を饗応するその中に、主人は独り袒裼裸体なるが如し。客たる者は礼の厚きを以てこの家に重きを置くべきや。饗礼は鄭重にして謝すべきに似たれども、何分にも主人の身こそ気の毒なる有様なれば、賓主の礼儀において陽に発言せざるも、陰に冷笑して軽侮の念を生ずることならん。労して功なく費やして益なきものというべし。されば今我が日本国が文明の諸外国に対して、その交際の公私に論なく、ややもすれば意の如くならざるは、原因のある所、一にして足らずといえども、我が男子が徳義上に軽侮を蒙るの一事は、その原因中の大箇条なるが故に、いやしくもこれに心付きたる者は、片時も猶予せずしてその過ちを改めざるべからず。今の世界に居て人生誰か自国を愛せざる者あらんや。国のためとあれば荊に坐し胆を嘗むるも憚らざるは人情の常なり。内行を慎むが如き、非常の辛苦にあらず。在昔はこれを戒むるの趣意、単にその人の一身にありしことなれども、今は則ち一国の栄辱に関して、更に重大の事とはなりたり。身を思い国を思う者は、深く自ら省みる所なかるべからざるなり。
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福沢諭吉小品集・学者安心論・第17段また、外国の交際においても、字義を広くしてこれを論ずれば、霞が関の外務省のみをもって交際の場所と思うべからず。ひとたび国を開きてより以来、我が日本と諸外国との間には、貿易商売の交際あり、学芸工業の交際あり、これを概すれば、双方の間に智力の交際を始めたるものというべし。この交際はいずれも皆人民の身の上に引受け、人々その責に任ずべきものにして、政府はあたかも人民の交際に調印して請人に立ちたる者の如し。 ゆえに、貿易に不正あれば、商人の恥辱なり、これによりて利を失えば、その愚なり。学芸の上達せざるは、学者の不外聞なり、工業の拙なるは、職人の不調法なり。智力発達せずして品行の賤しきは、士君子の罪というべし。昔日鎖国の世なれば、これらの諸件に欠点あるも、ただ一国内に止まり、天に対し同国人に対しての罪なりしもの、今日にありては、天に対し同国人に対し、かねてまた外国人に対して体面を失し、その結局は我が本国の品価を低くして、全国の兄弟ともにその禍を蒙るのみならず、二千余年の独立を保ちし先人をも辱しむるにいたるべし。これを重大といわずして何物を重大といわん。 また試みに見よ、今の西洋諸国は果して至文至明の徳化にあまねくして、その人民は皇々如として王者の民の如くなるか。我が人民の智力学芸に欠点あるも、よくこれを容れてその釁に切込むことなく、永く対立の交際をなして、これに甘んずる者か。余輩断じてその然らざるを証す。結局双方の智力たがいに相頡頏するに非ざれば、その交際の権利もまた頡頏すべからざるなり。交際の難きものというべし。而してその難きとは、何事に比すれば難く、何物に比すれば易きや。今の日本の有様にては、これを至難にして比すべきものなしといわざるをえず。然らばすなわち、国の独立は重大なり、外国の交際は至難なり。学者はこの重大至難なる責に当るも、なおかつこれをかえりみず、区々たる政府に迫りてただちに不平を訴え、ますますその拙陋を示さんと欲するか。事物の難易軽重を弁ぜざる者というべし。 ゆえにいわく、今の時にあたりては、学者は区々たる政府の政を度外に置き、政府は瑣々たる学者の議論を度外に置き、たがいに余地を許してその働をたくましゅうせしめ、遠く喜憂の目的をともにして間接に相助くることあらば、民権も求めずして起り、政体も期せずして成り、識らず知らず改進の元素を発達して、双方ともに注文通りの目的に達すべきなり。
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福沢諭吉小品集・日本男子論・第24段然るに、我輩が年来の所見を以ていかように判断せんとするも説を得ざるその次第は、我が国人が斯くまでに力を尽して外交を重んじ、ただに事実に国の富強文明を謀るのみならず、外面の体裁虚飾に至るまでも、専ら西洋流の文明開化に倣わんとして怠ることなく、これを欣慕して二念なき精神にてありながら、独りその内行の問題に至りては、全く開明の主義を度外に放棄して、純然たる亜細亜洲の旧慣に従い、居然自得して眼中また西洋なきが如くなるの一事なり。元来西洋の人は我が日本の事情に暗くして、ややもすれば不都合千万なる謬見を抱く者少なからず。就中彼らは耶蘇教の人なるが故に、己れの宗旨に同じからざる者を見れば、千百の吟味詮索は差置き、一概にこれを外教人と称して、何となく嫌悪の情を含み、これがために双方の交情を妨ぐること多きは、誠に残念なる次第にして、我輩は常にその弁明に怠らず。
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福沢諭吉小品集・日本男子論・第36段今その然る所以の理由を述べんに、婦人の地位の低きとは、男子に対して低きことなれば、これを引上げて高き処に置かんとするに当たり、第一着に心頭に浮ぶものは、とにかくに、今の婦人をして今の男子の如くならしめんとするの思想なるべし。然り而してその男子の如くなるや、知識気力の深浅強弱如何の辺に止まり、専ら精神を練るの教えを主として、当局の婦人においても、その範囲を脱せざれば甚だ佳しといえども、文明の事は有形の門より入るもの多きの例なれば、婦人の教育についてもその形を先にし、先ず衣裳を改めて文明の風を装い、交際を開いて文明の盛事を学び、只管外国婦人の所業に傚うて活溌を気取り、外面の虚飾を張りてかえって裏面の実を忘れ、活溌は漸く不作法に変じ、虚飾は遂に家計を寒からしめ、未だ西洋文明の精神を得ずして、早く既に自家遺伝の美徳美風を失うことなきを期すべからず。これらの弊害は事物の新旧交代の際に多少免るべからざるものとしてこれを忍ぶも、ここに忍ぶべからざるは、その弊害の極度に至り、今の婦人が男子の挙動に傚わんとして、今の日本男子の品行を学ぶが如きあらばこれを如何すべきや。日本国人の品行美ならずといえども、なお今日までにこれを維持してその醜を蔽い、時として潔清義烈の光を放って我が社会の栄誉を地に落つることなからしめたるものは何ぞや。ただ良家の婦人女子あるのみ。現に今日にあっても私徳品行の一点に至り、我が日本の婦人と西洋諸国の婦人と相対するときは、我に愧ずる所なきのみならず、往々上乗に位して、かの婦人の能くせざる所を能くし、その堪えざる所に堪え、彼をして慚死せしむるものさえ少なからず。内外人の共に許す所にして、即ち我が大日本の国光として誇るべきものなり。もしも年来日本男子をしてその醜行を恣にせしめて、一方に良家婦徳の凜然たるものなからしめなば、我が社会はほとんど暗黒世界たるべきはずなるに、幸いにしてその然らざるは、これを良婦人の賜といわざるを得ず。
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『論語と算盤』理想と迷信・真正なる文明さて一国の進歩はいずれに傾くかというに、古来各国の実例を観るに、多く文化の進歩が先にして、実力が後より追随するように思われる。ことに国によりては兵力がまず前駆して、富力というものはことさらに遅れ馳せになるということは、多く見る例である。我が帝国の現状もやはりそういう有様と言わねばなるまいかと思う。その国体が万国に冠絶して、そして百般の施設も、維新以後輔弼の賢臣が打ち寄って漸次に建設せられたのであるから、まことに申し分はないと思っている。ただそれに伴う富実の力が同じく完備しているかというと、悲しいかな歳月なお浅しと言わねばならぬ。富実の根本たるべき実業の養成は、短日月にして満足し得るものではない。ために前に申す国体とか制度とかいうものが完備せるに比較すれば、富力はすこぶる欠如している。ただしその富を増殖することのみに国民挙って努力するならば、帝国小なりといえども種々なる方法もあるだろう。けれども富むより先に使用せねばならぬという必要がある。
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福沢諭吉小品集・日本男子論・第25段日本国民既に耶蘇教に入りたる者あり、なお未だ入らざる者ありといえども、その入ると入らざるとはただ宗教上の儀式にして、日本帝国決して不徳の国にあらず、耶蘇教国独り徳国にあらず、いやしくも数千年の国を成して人事の秩序を明らかにし、以て東海に独立したるものにして、立国根本の道徳なくして叶うべきや、耶蘇の教義果たして美にして立国に要用なりとならば、我が日本国には耶蘇の名のほかに無名の耶蘇教民あることならんなどと、百方に言葉を尽して弁論すれば、また自ずからその意を解して釈然たる者なきにあらざれども、その談論時として男女関係の事に及び、日本の男子は多妻を許されてこれを咎むるものなく、ただに法律に問わざるのみならず習俗の禁ぜざる所なれば、社会の上流良家の主人と称する者にても、公然この醜行を犯して愧ずるを知らず、即ち人生居家の大倫を紊りたるものにして、随って生ずる所の悪事は枚挙に遑あらず、その余波引いて婚姻の不取締となり、容易に結婚して容易に離婚するの原因となり、親子の不和となり、兄弟の喧嘩となり、これを要するに日本国には未だ真実の家族なきものというも可なり、家族あらざれば国もまたあるべからず、日本は未だ国を成さざるものなりなど、口を極めて攻撃せらるるときは、我輩も心の内には外国人の謬見妄漫を知らざるにあらず、我が徳風斯くまでに壊れたるにあらず、我が家族悉皆然るにあらず、外人の眼の達せざる所に道徳あり家族あり、その美風は西洋の文明国人をしてかえって赤面せしむるもの少なからず、以て家を治め以て社会を維持するその事情は云々、その証拠は云々と語らんとすれども、何分にも彼らが今日の実証を挙げて正面より攻撃するその論鋒に向かっては、残念ながら一着を譲らざるを得ず。遂に西洋人に仮すに我を軽侮するの資を以てして、彼らをして我に対して同等の観をなさしめざるに至りしは、千歳の遺憾、無窮に忘るべからざる所のものなり。
人生を、一行の式にしてみた。
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