福沢諭吉小品集 / 徳育如何・第6段
また、封建世禄の世において、家の次男三男に生れたる者は、別に立身の道を得ず。あるいは他の不幸にして男児なき家あれば、養子の所望を待ちてその家を相続し、はじめて一家の主人たるべし。次三男出身の血路は、ただ養子の一方のみなれども、男児なき家の数は少なくして、次三男出生の数は多く、需要供給その平均を得ずして、つねに父兄の家に養われ、ついには二世にして姪の保護を蒙りて死する者少なからず。これを家の厄介と称す。俗にいわゆる噛なる者なり。すでに一家の厄介たり、誰れかこれを尊敬する者あらんや。いかなる才力あるも、噛はすなわち噛にして、ほとんど人に歯せられず。 世禄の武家にしてかくの如くなれば、その風はおのずから他種族にも波及し、士農工商、ともに家を重んじて、権力はもっぱら長男に帰し、長少の序も紊れざるが如くに見えしものが、近年にいたりてはいわゆる腕前の世となり、才力さえあれば立身出世勝手次第にして、長兄愚にして貧なれば、阿弟の智にして富貴なる者に軽侮せられざるをえず。ただに兄のみならず、前年の養子が朝野に立身して、花柳の美なる者を得れば、たちまち養家糟糠の細君を厭い、養父母に談じて自身を離縁せよ放逐せよと請求するは、その名は養家より放逐せられたるも、実は養子にして養父母を放逐したるものというべし。「父子有親、君臣有義、夫婦有別、長幼有序」とは、聖人の教にして、周公孔子のもって貴きゆえんなれども、我が輩は右の事実を記して、この聖教の行われたるところを発見すること能わざるものなり。
書き下し
また、封建世禄の世において、家の次男三男に生れたる者は、別に立身の道を得ず。あるいは他の不幸にして男児なき家あれば、養子の所望を待ちてその家を相続し、はじめて一家の主人たるべし。次三男出身の血路は、ただ養子の一方のみなれども、男児なき家の数は少なくして、次三男出生の数は多く、需要供給その平均を得ずして、つねに父兄の家に養われ、ついには二世にして姪の保護を蒙りて死する者少なからず。これを家の厄介と称す。俗にいわゆる噛なる者なり。すでに一家の厄介たり、誰れかこれを尊敬する者あらんや。いかなる才力あるも、噛はすなわち噛にして、ほとんど人に歯せられず。 世禄の武家にしてかくの如くなれば、その風はおのずから他種族にも波及し、士農工商、ともに家を重んじて、権力はもっぱら長男に帰し、長少の序も紊れざるが如くに見えしものが、近年にいたりてはいわゆる腕前の世となり、才力さえあれば立身出世勝手次第にして、長兄愚にして貧なれば、阿弟の智にして富貴なる者に軽侮せられざるをえず。ただに兄のみならず、前年の養子が朝野に立身して、花柳の美なる者を得れば、たちまち養家糟糠の細君を厭い、養父母に談じて自身を離縁せよ放逐せよと請求するは、その名は養家より放逐せられたるも、実は養子にして養父母を放逐したるものというべし。「父子有親、君臣有義、夫婦有別、長幼有序」とは、聖人の教にして、周公孔子のもって貴きゆえんなれども、我が輩は右の事実を記して、この聖教の行われたるところを発見すること能わざるものなり。
現代語訳
また、封建世禄の世においては、家の次男・三男に生まれた者は、ほかに立身の道を得なかった。あるいは他家に不幸にして男児のない家があれば、養子の望みを待ってその家を相続し、初めて一家の主人となれた。次男三男の出世の道はただ養子の一つだけだが、男児のない家の数は少なく、次三男の数は多く、需要と供給が釣り合わず、いつも父兄の家に養われ、ついには二代目になって甥の世話になって死ぬ者が少なくない。これを家の厄介と称する。俗にいう「齧り」である。すでに一家の厄介者である以上、誰がこれを尊敬するだろうか。どれほどの才能があっても、厄介は厄介であって、ほとんど人に相手にされない。 世禄の武家でこのようであるから、その風はおのずから他の身分にも波及し、士農工商ともに家を重んじて、権力はもっぱら長男に帰し、長幼の序も乱れないように見えたものが、近年に至ってはいわゆる腕前の世となり、才能さえあれば立身出世は思いのままで、長兄が愚かで貧しければ、弟の賢く富貴な者に軽んじられざるをえない。兄ばかりでなく、先年の養子が政界や民間で出世して、遊里の美人を得れば、たちまち養家の糟糠の妻を嫌い、養父母に談判して自分を離縁せよ追放せよと求めることがあるが、これは名目上は養家から追放されたのでも、実は養子が養父母を追放したものというべきである。「父子に親有り、君臣に義有り、夫婦に別有り、長幼に序有り」とは、聖人の教えで、周公・孔子が尊ばれるゆえんだが、我々は右のような事実を記して、この聖人の教えが行われている所を見つけることができない。
解説
この章句が説くこと
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『徂徠先生答問書』卷上堯舜孔子の道世に行はれ不申候より、是非邪正の争ひ盛んになり候を静めん為のかりの方便に、仏老の輩、人にかまはず、わが心をすまし候事をとき教候。小量の儒者それを妙道と思ひ、其真似をして、聖人の道は己を治むるより外なしと云ふ流義広ごり候故、王公大人も学問なされ候へば弥小量になり行候。殊に百年以来世の人便利を先として、出替者を召仕候事世の風俗となり候故、主従共に、只当分のやとはれ人と思ひ候心ゆき、一切の事に薫じわたり、はては親類をも苦にせず、主人の事を身にかけず。只吾身ひとつと思取候を、今の世には能了簡の人に仕候。天より附属被成候眷族は、則天より与給へる福分に候を、思放見捨候はゞ、其福分は消行可申候。勿体なき事の至極と可被思召候。只民の父母と申語をよく提撕被成、それより工夫を御つけ候はゞ、聖人の道にはおのづから御叶可被成候。孔子も吾道一以貫之と被仰候へば、何事も〳〵雖不中不遠可有御座候。以上。
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福沢諭吉小品集・日本男子論・第13段さなきだに人類の情慾は自ずから禁じ難きものなるに、ここに幸いにも子孫相続云々の一主義あることなれば、この義を拡めていかなる事か行わるべからざらんや。妻を離別するも可なり、妾を畜うも可なり、一妾にして足らざれば二妾も可なり、二妾三妾随時随意にこれを取替え引替うるもまた可なり。人事の変遷、長き歳月を経る間には、子孫相続の主義はただに口実として用いらるるのみならず、早く既にその主義をも忘却し、一男にして衆婦人に接するは、あたかも男子に授けられたる特典の姿となり、以て人倫不取締の今日に至りしは、国民一家の不幸に止まらず、その禍は引いて天下に及ぼし、一家の私徳先ず紊れて社会交際の公徳を害し、立国の大本、動揺せざらんと欲するも得べからず。故に今日の日本男子にして内行の修まらざる者は、単に自家子孫の罪人のみにあらず、社会中の一人として、今の天下に対しまた後世に対して、その罪免るべからざるものなり。
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福沢諭吉小品集・中津留別の書・第3段世間にて、子の孝ならざるをとがめて、父母の慈ならざるを罪する者、稀なり。人の父母たる者、その子に対して、我が生たる子と唱え、手もて造り、金もて買いし道具などの如く思うは、大なる心得ちがいなり。天より人に授かりたる賜なれば、これを大切に思わざるべからず。子生るれば、父母力を合せてこれを教育し、年齢十歳余までは親の手許に置き、両親の威光と慈愛とにてよき方に導き、すでに学問の下地できれば学校に入れて師匠の教を受けしめ、一人前の人間に仕立ること、父母の役目なり、天に対しての奉公なり。子の年齢二十一、二歳にも及ぶときは、これを成人の齢と名づけ、おのおの一人の了管できるものなれば、父母はこれを棄てて顧みず、独立の活計を営ましめ、その好む所に行き、その欲する事をなさしめて可なり。 ただし親子の道は、生涯も死後も変るべきにあらざれば、子は孝行をつくし、親は慈愛を失うべからず。前にいえる棄てて顧みずとは、父子の間柄にても、その独立自由を妨げざるの趣意のみ。西洋書の内に、子生れてすでに成人に及ぶの後は、父母たる者は子に忠告すべくして命令すべからずとあり。万古不易の金言、思わざるべからず。 さてまた、子を教うるの道は、学問手習はもちろんなれども、習うより慣るるの教、大なるものなれば、父母の行状正しからざるべからず。口に正理を唱るも、身の行い鄙劣なれば、その子は父母の言語を教とせずしてその行状を見慣うものなり。いわんや父母の言行ともに不正なるをや。いかでその子の人たるを望むべき。孤子よりもなお不幸というべし。 あるいは父母の性質正直にして、子を愛するを知れども、事物の方向を弁ぜず、一筋に我が欲するところの道に入らしめんとする者あり。こは罪なきに似たれども、その実は子を愛するを知て子を愛するゆえんの道を知らざる者というべし。結局その子をして無智無徳の不幸に陥らしめ、天理人道に背く罪人なり。人の父母としてその子の病身なるを患ざるものなし。心の人にしかざるは、身体の不具なるよりも劣るものなるに、ひとりその身体の病を患て心の病を患えざるは何ぞや。婦人の仁というべきか、あるいは畜類の愛と名づくるも可なり。
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福沢諭吉小品集・徳育如何・第12段我が日本の開国についで政府の革命以来、全国人民の気風は開進の一方に赴き、その進行の勢力はこれを留めて駐むべからず。すなわち公議輿論の一変したるものなれば、この際にあたりて徳教の働ももとより消滅するに非ずといえども、おのずから輿論に適するがために、大いにその装を改めざるをえざるの時節なり。たとえば在昔は、君臣の団結、国中三百所に相分れたる者が、今は一団の君臣となりたれば、忠義の風も少しく趣を変じて、古風の忠は今日に適せず。 在昔は三百藩外に国あるを知らずして、ただ藩と藩との間に藩権を争いしものも、今日は全国あたかも一大藩の姿となりて、在昔、藩権の精神は、面目を改めて国権論に変ぜざるをえず。在昔は、社会の秩序、すべて相依るの風にして、君臣、父子、夫婦、長幼、たがいに相依り相依られ、たがいに相敬愛し相敬愛せられ、両者相対して然る後に教を立てたることなれども、今日自主独立の教においては、まず我が一身を独立せしめ、我が一身を重んじて、自からその身を金玉視し、もって他の関係を維持して人事の秩序を保つべし。
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福翁自伝・幼少の時・成長の上、坊主にする前申す通り、亡父は俗吏を勤めるのが不本意であったに違いない。左れば中津を蹴飛して外に出れば宜い。所が決してソンナ気はなかった様子だ。如何なる事にも不平を呑んで、チャント小禄に安んじて居たのは、時勢の為めに進退不自由なりし故でしょう。私は今でも独り気の毒で残念に思います。例えば父の生前に斯う云う事がある。今から推察すれば父の胸算に、福澤の家は総領に相続させる積りで宜しい、所が子供の五人目に私が生れた、その生れた時は大きな療せた骨太な子で、産婆の申すに、この子は乳さえ沢山呑ませれば必ず見事に育つと云うのを聞て、父が大層喜んで、是れは好い子だ、この子が段々成長して十か十一になれば寺に遣て坊主にすると、毎度母に語ったそうです。その事を母が又私に話して、アノ時阿父さんは何故坊主にすると仰っしゃったか合点が行かぬが、今御存命なればお前は寺の坊様になってる筈じゃと、何かの話の端には母が爾う申して居ましたが、私が成年の後その父の言葉を推察するに、中津は封建制度でチャント物を箱の中に詰めたように秩序が立て居て、何百年経ても一寸とも動かぬと云う有様、家老の家に生れた者は家老になり、足軽の家に生れた者は足軽になり、先祖代々、家老は家老、足軽は足軽、その間に挟まって居る者も同様、何年経ても一寸とも変化と云うものがない。ソコデ私の父の身になって考えて見れば、到底どんな事をしたって名を成すことは出来ない、世間を見れば茲に坊主と云うものが一つある、何でもない魚屋の息子が大僧正になったと云うような者が幾人もある話、それゆえに父が私を坊主にすると云たのは、その意味であろうと推察したことは間違いなかろう。
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『家道訓』巻之二・総論中一養父母となり養子となる者、人ごとに賢者にあらず。養父母となりては我が生める所にあらざれば、養子にまことの愛なし。養子となりては、我を生めるおやにあらざれば、まことの孝なし。父愛なく子孝なくして、養父養子心にかなはざることを、たがひにうらみいかりて後、義絶し、あだかたきとなるもの世に多し。子なくんば、其の同姓の内にて、年長じて後、よき生質の人をえらびて養ふべし。同姓の子弟によき人品なくんば、遠慮あるべし。又はじめは養子を愛すれども、実子を生んでのち私欲おこり、養子をうとんじ憎む者多し。是亦はなはだみにくし。心かろくして、みだりにはやく他の子を養ひて、後悔すべからず。故に養子をするには、よくえらんでおそきに宜し。
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