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福沢諭吉小品集 / 中津留別の書・第3段

世間にて、子の孝ならざるをとがめて、父母の慈ならざるを罪する者、稀なり。人の父母たる者、その子に対して、我が生たる子と唱え、手もて造り、金もて買いし道具などの如く思うは、大なる心得ちがいなり。天より人に授かりたる賜なれば、これを大切に思わざるべからず。子生るれば、父母力を合せてこれを教育し、年齢十歳余までは親の手許に置き、両親の威光と慈愛とにてよき方に導き、すでに学問の下地できれば学校に入れて師匠の教を受けしめ、一人前の人間に仕立ること、父母の役目なり、天に対しての奉公なり。子の年齢二十一、二歳にも及ぶときは、これを成人の齢と名づけ、おのおの一人の了管できるものなれば、父母はこれを棄てて顧みず、独立の活計を営ましめ、その好む所に行き、その欲する事をなさしめて可なり。 ただし親子の道は、生涯も死後も変るべきにあらざれば、子は孝行をつくし、親は慈愛を失うべからず。前にいえる棄てて顧みずとは、父子の間柄にても、その独立自由を妨げざるの趣意のみ。西洋書の内に、子生れてすでに成人に及ぶの後は、父母たる者は子に忠告すべくして命令すべからずとあり。万古不易の金言、思わざるべからず。 さてまた、子を教うるの道は、学問手習はもちろんなれども、習うより慣るるの教、大なるものなれば、父母の行状正しからざるべからず。口に正理を唱るも、身の行い鄙劣なれば、その子は父母の言語を教とせずしてその行状を見慣うものなり。いわんや父母の言行ともに不正なるをや。いかでその子の人たるを望むべき。孤子よりもなお不幸というべし。 あるいは父母の性質正直にして、子を愛するを知れども、事物の方向を弁ぜず、一筋に我が欲するところの道に入らしめんとする者あり。こは罪なきに似たれども、その実は子を愛するを知て子を愛するゆえんの道を知らざる者というべし。結局その子をして無智無徳の不幸に陥らしめ、天理人道に背く罪人なり。人の父母としてその子の病身なるを患ざるものなし。心の人にしかざるは、身体の不具なるよりも劣るものなるに、ひとりその身体の病を患て心の病を患えざるは何ぞや。婦人の仁というべきか、あるいは畜類の愛と名づくるも可なり。

書き下し

世間にて、子の孝ならざるをとがめて、父母の慈ならざるを罪する者、稀なり。人の父母たる者、その子に対して、我が生たる子と唱え、手もて造り、金もて買いし道具などの如く思うは、大なる心得ちがいなり。天より人に授かりたる賜なれば、これを大切に思わざるべからず。子生るれば、父母力を合せてこれを教育し、年齢十歳余までは親の手許に置き、両親の威光と慈愛とにてよき方に導き、すでに学問の下地できれば学校に入れて師匠の教を受けしめ、一人前の人間に仕立ること、父母の役目なり、天に対しての奉公なり。子の年齢二十一、二歳にも及ぶときは、これを成人の齢と名づけ、おのおの一人の了管できるものなれば、父母はこれを棄てて顧みず、独立の活計を営ましめ、その好む所に行き、その欲する事をなさしめて可なり。 ただし親子の道は、生涯も死後も変るべきにあらざれば、子は孝行をつくし、親は慈愛を失うべからず。前にいえる棄てて顧みずとは、父子の間柄にても、その独立自由を妨げざるの趣意のみ。西洋書の内に、子生れてすでに成人に及ぶの後は、父母たる者は子に忠告すべくして命令すべからずとあり。万古不易の金言、思わざるべからず。 さてまた、子を教うるの道は、学問手習はもちろんなれども、習うより慣るるの教、大なるものなれば、父母の行状正しからざるべからず。口に正理を唱るも、身の行い鄙劣なれば、その子は父母の言語を教とせずしてその行状を見慣うものなり。いわんや父母の言行ともに不正なるをや。いかでその子の人たるを望むべき。孤子よりもなお不幸というべし。 あるいは父母の性質正直にして、子を愛するを知れども、事物の方向を弁ぜず、一筋に我が欲するところの道に入らしめんとする者あり。こは罪なきに似たれども、その実は子を愛するを知て子を愛するゆえんの道を知らざる者というべし。結局その子をして無智無徳の不幸に陥らしめ、天理人道に背く罪人なり。人の父母としてその子の病身なるを患ざるものなし。心の人にしかざるは、身体の不具なるよりも劣るものなるに、ひとりその身体の病を患て心の病を患えざるは何ぞや。婦人の仁というべきか、あるいは畜類の愛と名づくるも可なり。

現代語訳

世間では、子が孝行でないことをとがめても、父母が慈愛に欠けることを罪とする人は、まれです。人の父母である者が、その子に向かって自分の生んだ子だと称し、手で作り金で買った道具のように思うのは、大きな心得違いです。子は天から人に授けられた賜物ですから、これを大切に思わなければなりません。子が生まれれば、父母は力を合わせて教育し、年齢十歳あまりまでは親の手元に置き、両親の威光と慈愛とで良い方向に導き、学問の下地ができたなら学校に入れて師の教えを受けさせ、一人前の人間に仕立てることが、父母の役目であり、天に対する奉公です。子の年齢が二十一、二歳にも及ぶときは、これを成人の年齢と名づけます。それぞれ一人で事を処理できるのですから、父母はこれを突き放して顧みず、独立の暮らしを営ませ、その好むところへ行かせ、望むことをさせてよいのです。 ただし親子の道は、生涯も死後も変わるものではありませんから、子は孝行を尽くし、親は慈愛を失ってはなりません。前に言った「突き放して顧みず」とは、父子の間柄であっても、その独立と自由を妨げないという趣旨にすぎません。西洋の書物に、子が生まれて成人した後は、父母は子に忠告はできても命令してはならない、とあります。永遠に変わらない金言として、心に留めなければなりません。 さてまた、子を教える道は、学問や習字はもちろんですが、習うより慣れる教えが大きいものですから、父母の行いは正しくなければなりません。口で正しい道理を唱えても、身の行いが卑しければ、その子は父母の言葉を教えとせず、その行いを見て慣れ習うものです。まして父母の言行がともに不正であれば、どうしてその子が人となることを望めるでしょう。孤児よりもなお不幸というべきです。 あるいは父母の性質が正直で、子を愛することは知っていても、物事の方向をわきまえず、ひたすら自分が望む道に子を入れようとする者がいます。これは罪がないようですが、実は子を愛することは知っていても、子を愛する理由となる道を知らない者です。結局その子を無知無徳の不幸に陥れるのですから、天の道理、人の道に背く罪人です。人の父母として、子が病弱であることを心配しない者はありません。心が人に及ばないことは、身体の障害よりも劣るものであるのに、ひとり身体の病だけを心配して心の病を心配しないのはなぜでしょう。女性の小さな情けとでもいうべきか、あるいは獣の愛と名づけてもよいでしょう。

解説

親は子を所有物のように扱わず、天から授かった存在として育て、成人したら独立させよと説きます。命令でなく忠告、言葉でなく行いで教えるという指摘は、そのまま上司と部下の関係にも当てはまります。心の成長を後回しにする愛情を厳しく批判する点も特徴です。『婦人の仁』という言い方に当時の偏りがあることには注意が必要です。教える側が自分の行いを省みる契機になります。

この章句が説くこと

子は天の賜物教育の責任成人と独立命令でなく忠告行いで教える心の病

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