福沢諭吉小品集 / 徳育如何・第12段
我が日本の開国についで政府の革命以来、全国人民の気風は開進の一方に赴き、その進行の勢力はこれを留めて駐むべからず。すなわち公議輿論の一変したるものなれば、この際にあたりて徳教の働ももとより消滅するに非ずといえども、おのずから輿論に適するがために、大いにその装を改めざるをえざるの時節なり。たとえば在昔は、君臣の団結、国中三百所に相分れたる者が、今は一団の君臣となりたれば、忠義の風も少しく趣を変じて、古風の忠は今日に適せず。 在昔は三百藩外に国あるを知らずして、ただ藩と藩との間に藩権を争いしものも、今日は全国あたかも一大藩の姿となりて、在昔、藩権の精神は、面目を改めて国権論に変ぜざるをえず。在昔は、社会の秩序、すべて相依るの風にして、君臣、父子、夫婦、長幼、たがいに相依り相依られ、たがいに相敬愛し相敬愛せられ、両者相対して然る後に教を立てたることなれども、今日自主独立の教においては、まず我が一身を独立せしめ、我が一身を重んじて、自からその身を金玉視し、もって他の関係を維持して人事の秩序を保つべし。
書き下し
我が日本の開国についで政府の革命以来、全国人民の気風は開進の一方に赴き、その進行の勢力はこれを留めて駐むべからず。すなわち公議輿論の一変したるものなれば、この際にあたりて徳教の働ももとより消滅するに非ずといえども、おのずから輿論に適するがために、大いにその装を改めざるをえざるの時節なり。たとえば在昔は、君臣の団結、国中三百所に相分れたる者が、今は一団の君臣となりたれば、忠義の風も少しく趣を変じて、古風の忠は今日に適せず。 在昔は三百藩外に国あるを知らずして、ただ藩と藩との間に藩権を争いしものも、今日は全国あたかも一大藩の姿となりて、在昔、藩権の精神は、面目を改めて国権論に変ぜざるをえず。在昔は、社会の秩序、すべて相依るの風にして、君臣、父子、夫婦、長幼、たがいに相依り相依られ、たがいに相敬愛し相敬愛せられ、両者相対して然る後に教を立てたることなれども、今日自主独立の教においては、まず我が一身を独立せしめ、我が一身を重んじて、自からその身を金玉視し、もって他の関係を維持して人事の秩序を保つべし。
現代語訳
我が日本の開国に続く政府の革命以来、全国民の気風は開化進歩の一方に向かい、その進む勢いは止めようとしても止められない。これは世論が一変したものであるから、この際、徳の教えの働きももとより消滅するわけではないが、おのずから世論に適合するために、大いにその装いを改めざるをえない時期である。たとえば昔は、君臣の結束が国中三百の藩に分かれていたものが、今は一つの君臣となったのだから、忠義の風も少し趣を変え、古風な忠は今日に合わない。 昔は三百藩の外に国があることを知らず、ただ藩と藩との間で藩の権利を争っていたものが、今日は全国があたかも一大藩の姿になって、昔の藩権の精神は、面目を改めて国権論に変わらざるをえない。昔は、社会の秩序はすべて相互に頼り合う風で、君臣・父子・夫婦・長幼がたがいに頼り頼られ、たがいに敬愛し敬愛され、両者が相対して初めて教えを立てたのであるが、今日の自主独立の教えにおいては、まず我が一身を独立させ、我が一身を重んじて、自らその身を金玉のように大切にし、それによって他との関係を維持し人事の秩序を保つべきである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
福沢諭吉小品集・徳育如何・第13段新に沐する者は必ず冠を弾し、新に浴する者は必ず衣を振うとは、身を重んずるの謂なり。我が身、金玉なるがゆえに、いやしくも瑕瑾を生ずべからず、汚穢に近接すべからず。この金玉の身をもって、この醜行は犯すべからず。この卑屈には沈むべからず。花柳の美、愛すべし、糟糠の老大、厭うに堪えたりといえども、糟糠の妻を堂より下すは、我が金玉の身に不似合なり。長兄愚にして、我れ富貴なりといえども、弟にして兄を凌辱するは、我が金玉の身によくすべからず。ここに節を屈して権勢に走れば名利を得べしといえども、屈節もって金玉の身を汚すべからず。あたうるに天下の富をもってするも、授くるに将相の位をもってするも、我が金玉、一点の瑕瑾に易うべからず。一心ここにいたれば、天下も小なり、王公も賤し。身外無一物、ただ我が金玉の一身あるのみ。一身すでに独立すれば、眼を転じて他人の独立を勧め、ついに同国人とともに一国の独立を謀るも自然の順序なれば、自主独立の一義、もって君に仕うべし、もって父母に事うべし、もって夫婦の倫をまっとうし、もって長幼の序を保ち、もって朋友の信を固うし、人生居家の細目より天下の大計にいたるまで、一切の秩序を包羅して洩らすものあるべからず。 ゆえに我が輩においては、今世の教育論者が古来の典経を徳育の用に供せんとするを咎るには非ざれども、その経書の働を自然に任して正に今の公議輿論に適せしめ、その働の達すべき部分にのみ働をたくましゅうせしめんと欲する者なり。すなわち今日の徳教は、輿論にしたがいて自主独立の旨に変ずべき時節なれば、周公孔子の教も、また自主独立論の中に包羅してこれを利用せんと欲するのみ。 今の世態、はたして不遜軽躁に堪えざるか、自主独立の精神に乏しきがゆえなり。論者その人の徳義薄くして、その言論演説、もって人を感動せしむるに足らざるか、夫子自から自主独立の旨を知らざるの罪なり。天下の風潮は、つとに開進の一方に向いて、自主独立の輿論はこれを動かすべからず。すでにその動かすべからざるを知らば、これにしたがうこそ智者の策なれ。けだし、学校の教育をして順に帰せしむること、流にしたがいて水を治むるが如くせんとはこの謂なり。
-
福沢諭吉小品集・徳育如何・第5段開国以来、我が日本人は西洋諸国の学を勉め、またこれを聞伝えて、ようやく自主独立の何ものたるを知りたれども、未だこれを実際に施すを得ず、またその実施を目撃したることもなかりしに、十五年前、維新の革命あり。この革命は諸藩士族の手に成りしものにして、その士族は数百年来周公孔子の徳教に育せられ、満腔ただ忠孝の二字あるのみにして、一身もってその藩主に奉じ、君のために死するのほか、心事なかりしものが、一旦開進の気運に乗じて事を挙げ、ついに旧政府を倒して新政府を立てたるその際に、最初はおのおのその藩主の名をもってしたりといえども、事成るの後にいたり、藩主は革命の名利にあずかるを得ずして、功名利禄は藩士族の流に帰し、ついで廃藩の大挙にあえば、藩主は得るところなきのみならず、かえって旧物を失うて、まったく落路の人たるが如し。 従前は其藩にありて同藩士の末座に列し、いわゆる君公には容易に目通りもかなわざりし小家来が、一朝の機に乗じて新政府に出身すれば、儼然たる正何位・従何位にして、旧君公と同じく朝に立つのみならず、君公かえって従にして、家来正なるあり。なおなはなだしきは公に旧君の名をもって旧家来の指令を仰ぎ、私にその宅に伺候して依托することもあらん。 また、四民同権の世態に変じたる以上は、農商も昔日の素町人・土百姓に非ずして、藩地の士族を恐れざるのみならず、時としては旧領主を相手取りて出訴に及び、事と品によりては旧殿様の家を身代限にするの奇談も珍しからず。昔年、馬に乗れば切捨てられたる百姓町人の少年輩が、今日借馬に乗て飛廻わり、誤って旧藩地の士族を踏殺すも、法律においてはただ罰金の沙汰あらんのみ。
-
福沢諭吉小品集・徳育如何・第7段然りといえども、以上枚挙するところは十五年来の実際に行われ、今日の法律においてこれを許し、今日の習慣においても大いにこれを咎ること能わざるものなり。徳教の老眼をもってこの有様を見れば、まことに驚くに堪えたり。元禄年間の士人を再生せしめて、これに維新以来の実況を語り、また、今の世事の成行を目撃せしめたらば、必ず大いに驚駭して、人倫の道も断絶したる暗黒世界なりとて、痛心することならんといえども、いかんせん、この世態の変は、十五年以来、我が日本人が教育を怠りたるのゆえに非ず。ただ開進の風に吹かれて輿論の面目を改めたるがためなり。けだし輿論の面目とは、全国人事の全面目にして、学校教育の如きもこの全面目中の一部分たるに過ぎざるのみ。 されば今の世の教育論者が、今のこの不遜軽躁なる世態に感動してこれを憂うるははなはだ善し。またこれに驚くも至当の事なれども、論者はこれを憂い、これに驚きて、これを古に復せんと欲するか。すなわち元禄年間の士人と見を同じゅうして、元禄の忠孝世界に復古せんと欲するか。論者が、しきりに近世の著書・新聞紙等の説を厭うて、もっぱら唐虞三代の古典を勧むるは、はたしてこの古典の力をもって今の新説を抹殺するに足るべしと信ずるか。しかのみならず論者が、今の世態の、一時、己が意に適せずして局部に不便利なるを発見し、その罪をひとり学校の教育に帰して喋々するは、はたしてその教育をもって世態を挽回するに足るべしと信ずるか。我が輩はその方略に感服する能わざるものなり。 そもそも明治年間は元禄に異なり。その異なるは教育法の異なるに非ず、公議輿論の異なるものにして、もしも教育法に異なるものあらば、これをして異ならしめたるものは、公議輿論なりといわざるをえず。而して明治年間の公議輿論は何によりて生じたるものなりやと尋ぬれば、三十年前、我が開国と、ついで政府の革命、これなりと答えざるをえず。開国革命、もって今の公議輿論を生じて、人心は開進の一方に向い、その進行の際に弊風もまた、ともに生じて、徳教の薄きを見ることなきに非ざるも、法律これを許し、習慣これを咎めず。
-
福沢諭吉小品集・徳育如何・第4段方今、世に教育論者あり。その言にいわく、近来我が国の子弟は、その品行ようやく軽薄におもむき、父兄の言を用いず、長老の警をかえりみず、はなはだしきは弱冠の身をもって国家の政治を談じ、ややもすれば上を犯すの気風あるが如し。ひっきょう、学校の教育不完全にして徳育を忘れたるの罪なりとて、専ら道徳の旨を奨励するその方便として、周公孔子の道を説き、漢土聖人の教をもって徳育の根本に立てて、一切の人事を制御せんとするものの如し。 我が輩は論者の言を聞き、その憂うるところははなはだもっともなりと思えども、この憂いを救うの方便にいたりては毫も感服すること能わざる者なり。そもそも論者の憂うるところを概言すれば、今の子弟は上を敬せずして不遜なり、漫に政治を談じて軽躁なりというにすぎず。論者の言、はなはだ是なり。我が輩とてももとより同憂なりといえども、少年輩がかくまでにも不遜軽躁に変じたるは、たんに学校教育の欠点のみによりて然るものか。もしも果して然るものとするときは、この欠点は何によりて生じたるものか、その原因を推究すること緊要なり。 教育の欠点といえば、教師の不徳と教書の不経なることならん。然るに我が日本において、開闢以来稀なる不徳の教師を輩出して、稀なる不経の書を流行せしめたるは何ものなるぞや。あるいは前年、文部省より定めたる学制によりて然るものなりといわんか、然らばすなわち文部省をしてかかる学制を定めしめたるは何ものなるぞや。これを推究せざるべからず。我が輩の所見においては、これを文部省の学制に求めず、また教師の不徳、教書の不経をも咎めず。これらは皆、事の近因として、さらにこの近因を生じたる根本の大原因に溯るに非ざれば、事の得失を断ずるに足らざるを信ずるものなり。けだしその原因とは何ぞや。我が開国に次で政府の革命、すなわちこれなり。
-
福沢諭吉小品集・日本男子論・第7段然るに我輩が古今和漢の道徳論者に向かって不平なるは、その教えの主義として第一に私徳公徳の区別を立てざるにあり。第二には、仮令え不言の間に自ずから区別する所ありとするも、その教えの方法に前後本末を明言せずして、時としては私徳を説き、また時としては公徳を勧め、いずれか前、いずれか後なるを明らかにせざるがために、後進の学者をして方向を誤らしむるにあり。然かのみならず、その教えの主義たるや、ややもすれば政治論に混同して重きを政治に置き、これに関する徳義は固より公徳なるが故に、かえって私徳を後にして公徳を先にするものさえなきにあらず。例えば忠義正直というが如き、政治上の美徳にして、甚だ大切なるものなれども、人に教うるに先ずこの公徳を以てして、居家の私徳を等閑にするにおいては、あたかも根本の浅き公徳にして、我輩は時にその動揺なきを保証する能わざるものなり。 そもそも一国の社会を維持して繁栄幸福を求めんとするには、その社会の公衆に公徳なかるべからず。その公徳をして堅固ならしめんとするには、根本を私徳の発育に取らざるべからず。即ち国の本は家にあり。良家の集まる者は良国にして、国力の由って以て発生する源は、単に家にあって存すること、更に疑うべきにあらず。然り而してその家の私徳なるものは、親子・兄弟姉妹、団欒として相親しみ、父母は慈愛厚くして子は孝心深く、兄弟姉妹相助けて以て父母の心身の労を軽くする等の箇条にして、能くこの私徳を発達せしむるその原因は、家族の起源たる夫婦の間に薫ずる親愛恭敬の美にあらざるはなし。
-
福沢諭吉小品集・学者安心論・第2段嘉永年中、開国の以来、我が日本はあたかも国を創造せしものなれば、もとより政府をも創造せざるべからず。ゆえに旧政府を廃して新政府をつくりたり。自然の勢、もとより怪しむに足らず。その後、廃藩置県、法律改定、学校設立、新聞発行、商売工業の変化より廃刀・断髪等の件々にいたるまで、その趣を見れば、我が日本を評してこれを新造の一国と云わざるをえず。人あるいはこの諸件の変革を見て、その原因を王政維新の一挙に帰し、政府をもって人事百般の源となし、その心事の目的を政府の一方に定めて、他をかえりみざる者多しといえども、余輩の考には政府もまた、ただ人事の一部分にして、その旧政府を改めて新政府をつくりたるも、原因のあるところを求むれば、かの廃藩置県以下の諸件とともに、そのよって来るところをともにし、ひっきょう、天下衆心の変化したるものと思うなり。ゆえにいわく、政府は人事変革の原因に非ずして人心変革の結果なり。 天下の人心すでに改進に赴きたりといえども、億兆の人民とみに旧套を脱すべきに非ず。改進は上流にはじまりて下流に及ぼすものなれば、今の日本国内において改進を悦ぶ者は上流の一方にありて、下流の一方は未だこれに達すること能わず。すなわち廃藩置県を悦ばざる者なり、法律改定を好まざる者なり、新聞の発行を嫌う者なり、商売工業の変化を悪む者なり、廃刀を怒るものなり、断髪を悲しむ者なり。あるいはこの諸件を擯斥するに非ず、口にこれを称し、事にこれを行うといえども、その心事の模範、旧物を脱却すること能わざる者なり。 これを方今、我が国内にある上下二流の党派という。一は改進の党なり、一は守旧の党なり。余輩ここに上下の字を用ゆといえども、敢てその人の品行を評してこれを上下するに非ず。改進家流にも賤しむべき者あらん、守旧家流にも貴ぶべき人物あらん。これを評論するは本編の旨に非ず。ただ、国勢変革の前後をもって、かりに上下の名を下したるのみ。
人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る