福沢諭吉小品集 / 日本男子論・第13段
さなきだに人類の情慾は自ずから禁じ難きものなるに、ここに幸いにも子孫相続云々の一主義あることなれば、この義を拡めていかなる事か行わるべからざらんや。妻を離別するも可なり、妾を畜うも可なり、一妾にして足らざれば二妾も可なり、二妾三妾随時随意にこれを取替え引替うるもまた可なり。人事の変遷、長き歳月を経る間には、子孫相続の主義はただに口実として用いらるるのみならず、早く既にその主義をも忘却し、一男にして衆婦人に接するは、あたかも男子に授けられたる特典の姿となり、以て人倫不取締の今日に至りしは、国民一家の不幸に止まらず、その禍は引いて天下に及ぼし、一家の私徳先ず紊れて社会交際の公徳を害し、立国の大本、動揺せざらんと欲するも得べからず。故に今日の日本男子にして内行の修まらざる者は、単に自家子孫の罪人のみにあらず、社会中の一人として、今の天下に対しまた後世に対して、その罪免るべからざるものなり。
書き下し
さなきだに人類の情慾は自ずから禁じ難きものなるに、ここに幸いにも子孫相続云々の一主義あることなれば、この義を拡めていかなる事か行わるべからざらんや。妻を離別するも可なり、妾を畜うも可なり、一妾にして足らざれば二妾も可なり、二妾三妾随時随意にこれを取替え引替うるもまた可なり。人事の変遷、長き歳月を経る間には、子孫相続の主義はただに口実として用いらるるのみならず、早く既にその主義をも忘却し、一男にして衆婦人に接するは、あたかも男子に授けられたる特典の姿となり、以て人倫不取締の今日に至りしは、国民一家の不幸に止まらず、その禍は引いて天下に及ぼし、一家の私徳先ず紊れて社会交際の公徳を害し、立国の大本、動揺せざらんと欲するも得べからず。故に今日の日本男子にして内行の修まらざる者は、単に自家子孫の罪人のみにあらず、社会中の一人として、今の天下に対しまた後世に対して、その罪免るべからざるものなり。
現代語訳
そうでなくても人類の情欲はおのずから禁じがたいものであるところに、幸いにも子孫相続云々の一主義があるのだから、この主義を広げて、どんなことが行われないことがあろうか。妻を離別してもよい、妾を置いてもよい、一人の妾で足りなければ二人の妾もよい、二人三人の妾を随時随意に取り替え引き替えするのもまたよい。人事の移り変わり、長い歳月を経る間に、子孫相続の主義はただ口実として用いられるばかりでなく、早くもその主義さえ忘れられ、一人の男が多くの婦人に接するのは、あたかも男子に授けられた特典のような姿となり、そうして人倫が取り締まられない今日に至ったのは、国民一家の不幸にとどまらず、その禍は広がって天下に及び、一家の私徳がまず乱れて社会交際の公徳を害し、立国の大本が動揺しないことを望んでもそうはならない。だから今日の日本男子で内行の修まらない者は、単に自家の子孫の罪人であるだけではなく、社会の一人として、今の天下に対しまた後世に対して、その罪を免れることはできない。
解説
この章句が説くこと
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福沢諭吉小品集・日本男子論・第12段男女両性の関係は至大至重のものにして、夫婦同室の約束を結ぶときは、これを人の大倫と称し、社会百福の基、また百不幸の源たるの理由は、前に陳べたる所を以て既に明白なりとして、さて古今世界の実際において、両性のいずれかこの関係を等閑にして大倫を破るもの多きやと尋ぬれば、常に男性にありと答えざるを得ず。西洋文明の諸国においても皆然らざるはなきその中についても、日本の如きは最も甚だしきものにして、古来の習俗、一男多妻を禁ぜざるの事実を見ても、大概を窺い見るべし。西洋文明国の男女は果たして潔清なりやというに、決して然らず、極端について見れば不潔の甚だしきもの多しといえども、その不潔を不潔としてこれを悪み賤しむの情は日本人よりも甚だしくして、輿論の厳重なることはとても日本国の比にあらず。故に、かの国々の男子が不品行を犯すは、初めよりその不品行なるを知り、あたかも輿論に敵して窃かにこれを犯すことなれば、その事はすべて人間の大秘密に属して、言う者もなく聞く者もなく、事実の有無にかかわらず外面の美風だけはこれを維持してなお未だ破壊に至らずといえども、不幸なるは我が日本国の旧習俗にして、事の起源は今日、得て詳らかにするに由なしといえども、古来家の血統を重んずるの国風にして、嗣子なく家名の断絶する法律さえ行われたるほどの次第にて、頻りに子を生むの要用を感じ、その目的を達するには多妻法より便利なるものなきが故に、ここにおいてか妾を畜うの風を成したるものの如し。天理の議論などはともかくも、家名を重んずるの習俗に制せられて、止むを得ず妾を畜うの場合に至りしは無理もなきことにして、またこれ一国の一主義として恕すべきに似たれども、天下後世これより生ずる所の弊害は、実に筆紙にも尽し難きものあり。
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福沢諭吉小品集・日本男子論・第11段男女にして一度びこれを犯すときは、既に夫婦の大倫を破り、恕の道を忘れて情を痛ましめたるものにして、敬愛の誠はこの時限りに断絶せざるを得ず。仮令えあるいは種々様々の事情によりて外面の美を装うことなきにあらずといえども、一点の瑕瑾、以て全璧の光を害して家内の明を失い、禍根一度び生じて、発しては親子の不和となり、変じては兄弟姉妹の争いとなり、なお天下後世を謀れば、一家の不徳は子々孫々と共に繁殖して、遂に社会公徳の根本を薄弱ならしむるに至るべし。故に云く、多妻多男の法は今世を挙げて今人の玩弄物に供するの覚悟なれば可なりといえども、天下を万々歳の天下として今人をして後世に責任あらしめんとするときは、我輩は一時の要用便利を以て天下後世の大事に易うること能わざる者なり。
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福沢諭吉小品集・日本男子論・第14段主人の内行修まらざるがために、一家内に様々の風波を起こして家人の情を痛ましめ、以てその私徳の発達を妨げ、不孝の子を生じ、不悌不友の兄弟姉妹を作るは、固より免るべからざるの結果にして、怪しむに足らざる所なれども、ここに最も憐れむべきは、家に男尊女卑の悪習を醸して、子孫に圧制卑屈の根性を成さしむるの一事なり。男子の不品行は既に一般の習慣となりて、人の怪しむ者なしというといえども、人類天性の本心において、自ら犯すその不品行を人間の美事として誇る者はあるべからず。否百人は百人、千人は千人、皆これを心の底に愧じざるものなし。内心にこれを愧じて外面に傲慢なる色を装い、磊落なるが如く無頓着なるが如くにして、強いて自ら慰むるのみなれども、俗にいわゆる疵持つ身にして、常に悠々として安心するを得ず。その家人と共に一家に眠食して団欒たる最中にも、時として禁句に触れらるることあれば、その時の不愉快は譬えんに物なし。無心の小児が父を共にして母を異にするの理由を問い、隣家には父母二人に限りて吾が家に一父二、三母あるは如何などと、不審を起こして詰問に及ぶときは、さすが鉄面皮の乃父も答うるに辞なく、ただ黙して冷笑するか顧みて他を言うのほかなし。即ちその身の弱点にして、小児の一言、寸鉄腸を断つものなり。既にこの弱点あれば常にこれを防禦するの工風なかるべからず。その策如何というに、朝夕主人の言行を厳重正格にして、家人を視ること他人の如くし、妻妾児孫をして己れに事うること奴隷の主君におけるが如くならしめ、あたかも一家の至尊には近づくべからず、その忌諱には触るべからず、俗にいえば殿様旦那様の御機嫌は損ずべからずとして、上下尊卑の分を明らかにし、例の内行禁句の一事に至りては、言の端にもこれをいわずして、家内、目を以てするの家風を養成すること最も必要にして、この一策は取りも直さず内行防禦の胸壁とも称すべきものなり。
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福沢諭吉小品集・日本男子論・第27段「日本男子論」の一編、その言既に長く、真正面より男子の品行を責めて一毫も仮さず、水も洩らさぬほどに論じ詰めたることなれば、世間無数疵持つ身の男子はあたかも弱点を襲われて遁るるに路なく、ただその心中に謂らく、内行の不取締、醜といわるれば醜なれども、詐偽・破廉恥にはあらず、また我が一身の有様は自ずから人に語るべからざる都合もあることなるに、斯くまでに酷言せずともなどといささか不平もありながら、さりとて何と答弁の辞もなくして甚だ苦しきことなるべし。我輩これを知らざるにあらずといえども、およそ今の日本国人として、現在の愉快、後世子孫の幸福は、何を以て最とするやと尋ねたらば、独立の体面を維持して日本国の栄名を不朽に伝うるのほかなかるべし。而してこの体面と栄名とを張るにいささかにても益すべきものはこれを採り、害すべきものはこれを除かんとするもまた、日本国民の身においてまさに然るべき至情なるべし。されば絶対の理論においては、人間世界の善悪邪正をいかなるものぞと論究して未だ定まらざるほどの次第なれば、まして男女の内行に関し、一夫一婦法と多妻多男法と、いずれか正、いずれか邪なる、固より明断し難しといえども、開闢以来の実験に拠り、また今日の文明説に従うときは、一家の私のため一国の公のために、多妻多男法は一夫一婦法の善きに若かず。かつ今日の世界は西洋文明の風に吹かれてこれに抵抗すべからざるの時勢なれば、文明の風に多妻多男を嫌忌して、そのこれを嫌忌するの成跡は甚だ美にして、今日の人の家を成し国を立つるに最も適当し、これに反するものは必ず害を被りて免るべからざること、既に明らかなれば、理論上の正邪はともかくも、一国人民として自国自家のために、決して軽んずべからざるの大義にして、即ち我輩がいかなる事情に逢うも、断乎として一毫をも仮さざる由縁なり。
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福沢諭吉小品集・日本男子論・第21段そもそも内行の不取締は法律上における破廉恥などとは趣を異にして、直ちに咎むべき性質のものにあらず。また人の口にし耳にするを好まざる所のものなれば、ややもすれば不知不識の際にその習俗を成しやすく、一世を過ぎ二世を経るのその間には、習俗遂にあたかもその時代の人の性となり、また挽回すべからざるに至るべし。往古、我が王朝の次第に衰勢に傾きたるも、在朝の群臣、その内行を慎まずして私徳を軽んじ、内にこれを軽んじて外に公徳の大義を忘れ、その終局は一身の私権、戸外の公権をも併せて失い尽したるものならんのみ。されば今日の政治家が政事に熱心するも、単に自身一時の富貴のためにあらず、天下後世のために、国民の私権を張り公権を伸ばすの道を開かんとするの趣意にこそあれば、後の世の政治社会に宜しからざる先例を遺すは、必ず不本意なることならん。もしもその本心に問うて慊からざることあらば、仮令え法律上に問うものなきも、何ぞ自ら省みて、これを今日に慎まざるや。金玉もただならざる貴重の身にして自らこれを汚し、一点の汚穢は終身の弱点となり、もはや諸々の私徳に注意するの穎敏を失い、あたかも精神の痲痺を催してまた私権を衛るの気力もなく、漫然世と推移りて、道理上よりいえば人事の末とも名づくべき政事政談に熱するが如き、我輩は失敬ながら本を知らずして末に走るの人と評せざるを得ざるなり。
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福沢諭吉小品集・日本男子論・第15段およそ人事に必要なるものは特に求めずして成るの常にして、かの内行不始末の防禦策の如きも、誰が家の主人がいずれの時にこれを発明して実行の先例を示したりなどいうべき跡はなけれども、今日の実際について見れば、主人の内行修まらざる者は、その家風の外面は必ず厳重にして、家族骨肉の間、自然に他人の交際の如く、何か互いに隠して打ち解けざるものあるが如し。あるいはまた、家道紊れて取締なく、親子妻妾相互いに無遠慮狼藉なるが如きものにても、その主人は必ず特に短気無法にして、家人に恐れられざるはなし。即ち事の要用に出でたるものにして、いやしくも家風に厳格を失うか、もしくは主人に短気無法の威力なきにおいては、かの不品行の弱点を襲わるるの恐れあればなり。世間の噂に、某家の主人は内行に頓着せずして家事を軽んじ、あるいは妻妾一処に居て甚だ不都合なれども、内君は貞実にして主公は公平、妾もまた至極柔順なる者にして、かつて家に風波を生じたることなしなどいう者あれども、これはただ外見外聞の噂のみ。即ちその風波の生ぜざるは、ただ家法の厳にして主公の威張るがためにして、これを形容していえば、圧制政府の下に騒乱なきものに異ならず。ただ表に破裂せざるのみ。その内実は風波の動揺を互いの胸中に含むものというべし。されば、男尊女卑、主公圧制、家人卑屈の組織は、不品行の家に欠くべからざるの要用にして、日々夜々、後進の子女をこの組織の中に養育することなれば、その子女後年の事もまた想い見るべし。我輩の特に憐れむ所のものなり。天下広し家族多しといえども、一家の夫婦・親子・兄弟姉妹、相互いに親愛恭敬して至情を尽し、陰にも陽にも隠す所なくして互いにその幸福を祈り、無礼の間に敬意を表し、争うが如くにして相譲り、家の貧富に論なく万年の和気悠々として春の如くなるものは、不品行の家に求むべからざるの幸福なりと知るべし。
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