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福沢諭吉小品集 / 旧藩情・第9段

いうことを 行けよという いきなさい  いきなはい  下士に同じ   下士に同じ ことを           又いきない          又いきなはりい 如何せんかと どをしよをか どをしゆうか どげいしゆうか 商に同じ いうことを                又どをしゆうか この外、筆にも記しがたき語風の異同は枚挙に遑あらず。故に隔壁にても人の対話を聞けば、その上士たり、下士たり、商たり、農たるの区別は明に知るべし。(風俗を異にす) 右条々のごとく、上下両等の士族は、権利を異にし、骨肉の縁を異にし、貧富を異にし、教育を異にし、理財活計の趣を異にし、風俗習慣を異にする者なれば、自からまたその栄誉の所在も異なり、利害の所関も異ならざるを得ず。栄誉利害を異にすれば、また従て同情相憐むの念も互に厚薄なきを得ず。譬えば、上等の士族が偶然会話の語次にも、以下の者共には言われぬことなれどもこの事は云々、ということあり。下等士族もまた給人分の輩は知らぬことなれども彼の一条は云々、とて、互に竊に疑うこともあり憤ることもありて、多年苦々しき有様なりしかども、天下一般、分を守るの教を重んじ、事々物々秩序を存して動かすべからざるの時勢なれば、ただその時勢に制せられて平生の疑念憤怒を外形に発すること能わず、或は忘るるがごとくにしてこれを発することを知らざりしのみ。

新字:いうことを 行けよという いきなさい  いきなはい  下士に同じ   下士に同じ ことを           又いきない          又いきなはりい 如何せんかと どをしよをか どをしゆうか どげいしゆうか 商に同じ いうことを                又どをしゆうか この外、筆にも記しがたき語風の異同は枚挙に遑あらず。故に隔壁にても人の対話を聞けば、その上士たり、下士たり、商たり、農たるの区別は明に知るべし。(風俗を異にす) 右条々のごとく、上下両等の士族は、権利を異にし、骨肉の縁を異にし、貧富を異にし、教育を異にし、理財活計の趣を異にし、風俗習慣を異にする者なれば、自からまたその栄誉の所在も異なり、利害の所関も異ならざるを得ず。栄誉利害を異にすれば、また従て同情相憐むの念も互に厚薄なきを得ず。譬えば、上等の士族が偶然会話の語次にも、以下の者共には言われぬことなれどもこの事は云々、ということあり。下等士族もまた給人分の輩は知らぬことなれども彼の一条は云々、とて、互に窃に疑うこともあり憤ることもありて、多年苦々しき有様なりしかども、天下一般、分を守るの教を重んじ、事々物々秩序を存して動かすべからざるの時勢なれば、ただその時勢に制せられて平生の疑念憤怒を外形に発すること能わず、或は忘るるがごとくにしてこれを発することを知らざりしのみ。

書き下し

いうことを 行けよという いきなさい  いきなはい  下士に同じ   下士に同じ ことを           又いきない          又いきなはりい 如何せんかと どをしよをか どをしゆうか どげいしゆうか 商に同じ いうことを                又どをしゆうか この外、筆にも記しがたき語風の異同は枚挙に遑あらず。故に隔壁にても人の対話を聞けば、その上士たり、下士たり、商たり、農たるの区別は明に知るべし。(風俗を異にす) 右条々のごとく、上下両等の士族は、権利を異にし、骨肉の縁を異にし、貧富を異にし、教育を異にし、理財活計の趣を異にし、風俗習慣を異にする者なれば、自からまたその栄誉の所在も異なり、利害の所関も異ならざるを得ず。栄誉利害を異にすれば、また従て同情相憐むの念も互に厚薄なきを得ず。譬えば、上等の士族が偶然会話の語次にも、以下の者共には言われぬことなれどもこの事は云々、ということあり。下等士族もまた給人分の輩は知らぬことなれども彼の一条は云々、とて、互に窃に疑うこともあり憤ることもありて、多年苦々しき有様なりしかども、天下一般、分を守るの教を重んじ、事々物々秩序を存して動かすべからざるの時勢なれば、ただその時勢に制せられて平生の疑念憤怒を外形に発すること能わず、或は忘るるがごとくにしてこれを発することを知らざりしのみ。

現代語訳

(言葉遣いの対照表の続き) 「…ということを」という言い方、「行けよ」という言い方は、「いきなさい」「いきなはい」「いきない」「いきなはりい」などと身分ごとに形が違い、下士と同じもの、商と同じものもあります。「どうしようか」も「どをしよをか」「どをしゆうか」「どげいしゆうか」などと分かれます。 このほか、筆にも書き表しにくい言葉づかいの違いは数えきれません。ですから、壁一枚隔てて人の会話を聞くだけで、その人が上士か下士か、商人か農民かの区別ははっきり分かります。(風俗を異にする) 以上の条々のとおり、上下二つの士族は、権利を異にし、肉親の縁を異にし、貧富を異にし、教育を異にし、金銭のやりくりの仕方を異にし、風俗習慣を異にする者たちですから、おのずから名誉の置きどころも違い、利害の関わるところも違わざるをえません。名誉と利害が違えば、同情し合い、あわれみ合う気持ちにも、互いに厚い薄いが出ずにはいません。たとえば、上等の士族が偶然の会話のなかでも、「身分の下の者たちには言えないことだが、この件は云々」と言うことがあります。下等の士族も、「給人格の連中は知らないことだが、あの一件は云々」と言って、互いにひそかに疑い、憤ることがあり、長年苦々しい状態でした。しかし、世の中全体が分をわきまえる教えを重んじ、あらゆる物事に秩序を保って動かしてはならない時勢でしたから、ただその時勢に抑えられて、日ごろの疑いと怒りを表に出すことができず、あるいは忘れたようなふりをして、それを発散するすべを知らなかっただけなのです。

解説

福沢が育った中津藩では、上士と下士が言葉づかいまで違っていました。この段は身分差の総まとめで、権利、縁、貧富、教育、生活、風俗の違いが、名誉と利害の違いを生み、互いに口に出せない疑いと憤りを溜めたと述べます。表立った争いがなくても、組織の中に見えない隔たりが残ることがある、という観察です。現代の会社でも、正社員と非正規、本社と現場などの間に、似た空気が生じていないでしょうか。語り手が当事者であることも、読みの手がかりになります。

この章句が説くこと

身分差上士と下士言葉づかい名誉と利害分を守る同情

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