福沢諭吉小品集 / 旧藩情・第8段
俗官汚吏はしばらく擱き、品行正雅の士といえども、この徳沢の範囲を脱せんとするも、実際においてほとんど能すべからざることなり。藩にて廉潔の役人と称し、賄賂役徳をば一切取らずとて、人もこれを信じ自からこれを許す者あれども、町人がこの役人へ安利にて金を貸し、または態と高利にてその金を預り、または元値を損して安物を売る等、様々の手段を用いてこれに近づくときは、役人は知らず識らずして賄賂の甘き穽に陥らざるを得ず。蓋し人として理財商売の考あらざれば、到底その品行を全うすること能わざるものなり。以上枚挙の件々はいずれも皆藩士常禄の他に得るところのものなれども、今日に至てはかかる無名間接の利益あることなし。藩士の困迫する一の原因なり。 第六、上士族は大抵婢僕を使用す。たといこれなきも、主人は勿論、子弟たりとも、自から町に行て物を買う者なし。町の銭湯に入る者なし。戸外に出れば袴を着けて双刀を帯す。夜行は必ず提灯を携え、甚しきは月夜にもこれを携る者あり。なお古風なるは、婦女子の夜行に重大なる箱提灯を僕に持たする者もあり。外に出でて物を買うを賤しむがごとく、物を持つもまた不外聞と思い、剣術道具釣竿の外は、些細の風呂敷包にても手に携うることなし。 下士はよき役を勤て兼て家族の多勢なる家に非ざれば、婢僕を使わず。昼間は町に出でて物を買う者少なけれども、夜は男女の別なく町に出るを常とす。男子は手拭を以て頬冠りし、双刀を帯する者あり、或は一刀なる者あり。或は昼にても、近処の歩行なれば双刀は帯すれども袴を着けず、隣家の往来などには丸腰(無刀のこと)なるもあり。また宴席、酒酣なるときなどにも、上士が拳を打ち歌舞するは極て稀なれども、下士は各隠し芸なるものを奏して興を助る者多し。これを概するに、上士の風は正雅にして迂闊、下士の風は俚賤にして活溌なる者というべし。その風俗を異にするの証は、言語のなまりまでも相同じからざるものあり。今、旧中津藩地士農商の言語なまりの一、二を示すこと左のごとし。 上士 下士 商 農 見て呉れよと みちくれい みちくりい みてくりい みちぇくりい
書き下し
俗官汚吏はしばらく擱き、品行正雅の士といえども、この徳沢の範囲を脱せんとするも、実際においてほとんど能すべからざることなり。藩にて廉潔の役人と称し、賄賂役徳をば一切取らずとて、人もこれを信じ自からこれを許す者あれども、町人がこの役人へ安利にて金を貸し、または態と高利にてその金を預り、または元値を損して安物を売る等、様々の手段を用いてこれに近づくときは、役人は知らず識らずして賄賂の甘き穽に陥らざるを得ず。蓋し人として理財商売の考あらざれば、到底その品行を全うすること能わざるものなり。以上枚挙の件々はいずれも皆藩士常禄の他に得るところのものなれども、今日に至てはかかる無名間接の利益あることなし。藩士の困迫する一の原因なり。 第六、上士族は大抵婢僕を使用す。たといこれなきも、主人は勿論、子弟たりとも、自から町に行て物を買う者なし。町の銭湯に入る者なし。戸外に出れば袴を着けて双刀を帯す。夜行は必ず提灯を携え、甚しきは月夜にもこれを携る者あり。なお古風なるは、婦女子の夜行に重大なる箱提灯を僕に持たする者もあり。外に出でて物を買うを賤しむがごとく、物を持つもまた不外聞と思い、剣術道具釣竿の外は、些細の風呂敷包にても手に携うることなし。 下士はよき役を勤て兼て家族の多勢なる家に非ざれば、婢僕を使わず。昼間は町に出でて物を買う者少なけれども、夜は男女の別なく町に出るを常とす。男子は手拭を以て頬冠りし、双刀を帯する者あり、或は一刀なる者あり。或は昼にても、近処の歩行なれば双刀は帯すれども袴を着けず、隣家の往来などには丸腰(無刀のこと)なるもあり。また宴席、酒酣なるときなどにも、上士が拳を打ち歌舞するは極て稀なれども、下士は各隠し芸なるものを奏して興を助る者多し。これを概するに、上士の風は正雅にして迂闊、下士の風は俚賤にして活溌なる者というべし。その風俗を異にするの証は、言語のなまりまでも相同じからざるものあり。今、旧中津藩地士農商の言語なまりの一、二を示すこと左のごとし。 上士 下士 商 農 見て呉れよと みちくれい みちくりい みてくりい みちぇくりい
現代語訳
俗官や汚吏はしばらくおくとして、品行が正しく雅な士といえども、この恩恵の範囲を脱しようとしても、実際にはほとんどできないことです。藩で廉潔な役人と称され、賄賂や役徳を一切受け取らないとして人もそれを信じ、自らもそれを許す者がいますが、町人がこの役人に安い利息で金を貸し、あるいはわざと高い利息でその金を預かり、あるいは元値を損して安い物を売るなど、さまざまな手段で近づけば、役人は知らず識らずのうちに賄賂の甘い穽に陥らざるをえません。思うに、人として理財や商売の考えがなければ、到底その品行を全うすることはできないものです。以上列挙した事柄は、いずれも藩士の常禄のほかに得ていたものですが、今日に至ってはそのような名目のない間接の利益はありません。これが藩士の困窮する一つの原因です。 第六、上士族はたいてい婢僕を使います。たとえそれがなくても、主人はもちろん、子弟であっても、自分で町へ行って物を買う者はいません。町の銭湯に入る者もいません。戸外に出れば袴を着けて二本差しです。夜道は必ず提灯を携え、はなはだしくは月夜にもこれを携える者がいます。さらに古風な者は、婦女子の夜歩きに大きな箱提灯を僕に持たせる者もいます。外に出て物を買うことを卑しむように、物を持つこともまた外聞が悪いと思い、剣術道具や釣竿のほかは、些細な風呂敷包みでも手に携えません。 下士はよい役を勤めて、そのうえ家族が多勢の家でなければ、婢僕を使いません。昼間は町に出て物を買う者が少ないですが、夜は男女の別なく町に出るのが常です。男子は手拭で頬かぶりをし、二本差しの者もあり、一刀の者もいます。あるいは昼でも、近所の外出なら二本差しでも袴を着けず、隣家の往来などには丸腰(刀を持たないこと)の者もいます。また宴席で酒がたけなわになったときなども、上士が拳を打ち歌い舞うことはきわめて稀ですが、下士はそれぞれ隠し芸を披露して興を助ける者が多いです。これを概して言えば、上士の風は正雅で迂闊、下士の風は俗っぽく卑しいが活発な者と言うべきです。その風俗が異なる証拠には、言葉のなまりまでも同じでないものがあります。いま、旧中津藩地の士・農・商の言葉のなまりの一、二を示すと次のとおりです。 上士 下士 商 農 見て呉れよと みちくれい みちくりい みてくりい みちぇくりい
解説
この章句が説くこと
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『春秋左氏伝』昭公二十七年 范献子、賄を取る秋、扈に會す。周を戍(まも)らしめ、且つ公を納るるを謀るなり。宋・衛皆公を納るるを利とし、固く之を請ふ。范獻子、貨を季孫に取り、司城子梁と北宮貞子とに謂ひて曰く、「季孫未だ其の罪を知らずして、君之を伐つ。囚へられんことを請ひ、亡げんことを請ふも、是に於いてか獲ず。君又克たずして、自ら出づ。夫れ豈に備へ無くして能く君を出ださんや。季氏の復するは、天之を救ふなり。公徒の怒りを休め、叔孫氏の心を啟く。然らずんば、豈に其れ人を伐ちて甲を說(と)き冰を執りて以って游ばんや。叔孫氏、禍の濫(ひろ)がらんことを懼れて、自ら季氏に同じくす。天の道なり。魯君、齊に守ること三年にして成る無し。季氏甚だ其の民を得、淮夷之に與す。十年の備へ有り、齊・楚の援有り、天の贊有り、民の助け有り、堅守の心有り、列國の權有り。而も敢へて宣べず。
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『春秋左氏伝』昭公二十六年 子猶、賄を受く二十六年春、王の正月、庚申、齊侯鄆を取る。宋の元公を葬ること、先君の如くす、禮なり。三月、公齊より至り、鄆に處る。魯の地を言ふなり。夏、齊侯將に公を納れんとし、魯の貨を受くること無かれと命ず。申豐、女賈に從ひ、幣錦二兩を以って、縛りて一にすること瑱(てん)の如くし、齊の師に適く。子猶の人高齮(こうき)に謂ふ、「能く子猶に貨せば、高氏の後と為さん、粟五千庾(ゆ)あらん」と。高齮錦を以って子猶に示す。子猶之を欲す。齮曰く、「魯人之を買ふこと、百兩一布なり。道の通ぜざるを以って、先づ幣財を入るるのみ」と。子猶之を受く。齊侯に言ひて曰く、「群臣の力を魯君に盡くさざるは、君に事ふる能はざるに非ざるなり。然れども據(きょ)異とする有り。宋の元公魯君の為に晉に如き、曲棘に卒す。叔孫昭子其の君を納れんことを求め、疾無くして死す。知らず天の魯を棄つるか、抑も魯君鬼神に罪有るか。
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『秘本玉くしげ』下 手抜きと賄それゆゑに下なる者もそこを計りて、為べき事をば多く手ぬきをして、賄をつかひて其事のすむやうにし、又法度にそむきたる事をする者も、賄をつかへば見ぬふりをして是を咎めざる故に、賄を行ふて悪事をなす者も世に多し。猶此外も此すぢに付ては、種々さまざまの正しからざる事多くして、ことごとくは挙るにいとまあらず。余はおしはかりて知るべき也。
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『論語と算盤』仁義と富貴・金力悪用の実例あるいは取り扱い上の面倒があるので、正当なる売買の以外に、ごく軽微な何らかのことはあるかも知れないけれども、さきに発現した海軍収賄事件のような大仕掛けの罪悪は、いやしくも双方悪い考えが一致しなければ出来ぬ筈である。よし一方から賄賂を贈って来ても、一方がこれを受けぬと言えば仕方がない。また役人に不心得な者があって、婉曲にあるいは露骨に贈賄を促したとて、御用商人たる実業家が、自己の良心に省みて面目信用を大切に思う者ならば、必ずそんな要請には応じない筈である。やむを得ずばその取引を断っても、そんな罪悪は成立せぬようにすることが出来る筈である。私どもはしかあるべきものと固く信じている。
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『不動智神妙録』諫言 其四 身を正す取ると捨つるとは義を以てすると云へり、唯今寵臣たるにより、諸大名より賄を厚くし、欲に義を忘れ候事、努々不可有候、貴殿乱舞を好み、自身の能に奢り、諸大名衆へ押て参られ、能を勧められ候事、偏に病と存じ候なり、上の唱は猿楽の様に申し候由、また挨拶のよき大名衆をば、御前に於てもつよく御取成しなさるゝ由、重ねて能く能く御思案可然歟、歌に「心こそ心迷はす心なれ心に心心ゆるすな」
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『春秋左氏伝』襄公二十五年 荘公の薄葬と和議崔氏莊公を北郭に側す。丁亥、諸を士孫の里に葬る。四翣、蹕せず、下車七乘、兵甲を以ってせず。晉侯泮より濟り、夷儀に會し、齊を伐ちて以って朝歌の役に報ゆ。齊人莊公を以って說き、隰鉏をして成を請はしむ。慶封師に如く。男女班を以ってし、晉侯に賂ふに宗器・樂器を以ってす。六正・五吏・三十師・三軍の大夫・百官の正長・師旅、及び處守する者より、皆賂有り。晉侯之を許す。叔向をして諸侯に告げしむ。公、子服惠伯をして對へしめて曰く、「君有罪を舍して、以って小國を靖んず、君の惠なり。寡君命を聞けり」と。晉侯魏舒・宛沒をして衛侯を逆へしめ、將に衛をして之に夷儀を與へしめんとす。崔子其の帑を止めて、以って五鹿を求む。
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