福沢諭吉小品集 / 旧藩情・第10段
中津の藩政も他藩のごとく専ら分を守らしむるの趣意にして、圧制を旨とし、その精密なることほとんど至らざるところなし。而してその政権はもとより上士に帰することなれば、上士と下士と対するときは、藩法、常に上士に便にして下士に不便ならざるを得ずといえども、金穀会計のことに至ては上士の短所なるを以て、名は役頭または奉行などと称すれども、下役なる下士のために籠絡せらるる者多し。故に上士の常に心を関するところは、尊卑階級のことに在り。この一事においては、往々事情に適せずして有害無益なるものあり。誓えば藩政の改革とて、藩士一般に倹約を命ずることあり。この時、衣服の制限を立るに、何の身分は綿服、何は紬まで、何は羽二重を許すなどと命を出すゆえ、その命令は一藩経済のため歟、衣冠制度のため歟、両様混雑して分明ならず。恰も倹約の幸便に格式りきみをするがごとくにして、綿服の者は常に不平を抱き、到底倹約の永久したることなし。 また今を去ること三十余年、固め番とて非役の徒士に城門の番を命じたることあり。この門番は旧来足軽の職分たりしを、要路の者の考に、足軽は煩務にして徒士は無事なるゆえ、これを代用すべしといい、この考と、また一方には上士と下士との分界をなお明にして下士の首を押えんとの考を交え、その実はこれがため費用を省くにもあらず、武備を盛にするにもあらず、ただ一事無益の好事を企てたるのみ。この一条については下士の議論沸騰したれども、その首魁たる者二、三名の家禄を没入し、これを藩地外に放逐して鎮静を致したり。
書き下し
中津の藩政も他藩のごとく専ら分を守らしむるの趣意にして、圧制を旨とし、その精密なることほとんど至らざるところなし。而してその政権はもとより上士に帰することなれば、上士と下士と対するときは、藩法、常に上士に便にして下士に不便ならざるを得ずといえども、金穀会計のことに至ては上士の短所なるを以て、名は役頭または奉行などと称すれども、下役なる下士のために籠絡せらるる者多し。故に上士の常に心を関するところは、尊卑階級のことに在り。この一事においては、往々事情に適せずして有害無益なるものあり。誓えば藩政の改革とて、藩士一般に倹約を命ずることあり。この時、衣服の制限を立るに、何の身分は綿服、何は紬まで、何は羽二重を許すなどと命を出すゆえ、その命令は一藩経済のため歟、衣冠制度のため歟、両様混雑して分明ならず。恰も倹約の幸便に格式りきみをするがごとくにして、綿服の者は常に不平を抱き、到底倹約の永久したることなし。 また今を去ること三十余年、固め番とて非役の徒士に城門の番を命じたることあり。この門番は旧来足軽の職分たりしを、要路の者の考に、足軽は煩務にして徒士は無事なるゆえ、これを代用すべしといい、この考と、また一方には上士と下士との分界をなお明にして下士の首を押えんとの考を交え、その実はこれがため費用を省くにもあらず、武備を盛にするにもあらず、ただ一事無益の好事を企てたるのみ。この一条については下士の議論沸騰したれども、その首魁たる者二、三名の家禄を没入し、これを藩地外に放逐して鎮静を致したり。
現代語訳
中津の藩政も他の藩と同じく、もっぱら人々に分を守らせる趣旨で、圧制を旨とし、その細かさは行き届かないところがないほどでした。そして政権はもとより上士のものですから、上士と下士が向き合うときは、藩の法がつねに上士に便利で下士に不便になることは避けられませんでした。ところが金銭や穀物の会計の事となると上士の苦手とするところで、名前は役頭や奉行などと称しながら、下役の下士にまるめ込まれる者が多くいました。そのため上士がいつも気にかけるのは、身分の上下や階級のことでした。この一事については、実情に合わず有害無益なものがしばしばありました。たとえば藩政改革として藩士全般に倹約を命じることがありました。このとき、衣服の制限を設けて、何の身分は木綿、何は紬まで、何は羽二重まで許す、などと命じるので、その命令が藩の経済のためなのか、衣服や身なりの制度のためなのか、二つが混ざって、はっきりしませんでした。まるで倹約を好機として格式を誇示しているようなもので、木綿の者はいつも不平を抱き、結局、倹約が長続きしたことはありませんでした。 また、今から三十年余り前、固め番といって、役のない徒士に城門の番を命じたことがありました。この門番はもともと足軽の職分でしたが、要路の者の考えでは、足軽は忙しく徒士は暇だから代用させるべきだといいます。この考えに、上士と下士の境をなお明らかにして下士の首を押さえつけたいという考えも混じっていました。実際には費用を省くわけでも、武備を盛んにするわけでもなく、ただ無益な思いつきを企てただけです。この一件については下士の議論が沸き立ちましたが、その首謀者二、三名の家禄を没収し、藩の領地の外へ追放して、鎮めました。
解説
この章句が説くこと
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福沢諭吉小品集・旧藩情・第8段俗官汚吏はしばらく擱き、品行正雅の士といえども、この徳沢の範囲を脱せんとするも、実際においてほとんど能すべからざることなり。藩にて廉潔の役人と称し、賄賂役徳をば一切取らずとて、人もこれを信じ自からこれを許す者あれども、町人がこの役人へ安利にて金を貸し、または態と高利にてその金を預り、または元値を損して安物を売る等、様々の手段を用いてこれに近づくときは、役人は知らず識らずして賄賂の甘き穽に陥らざるを得ず。蓋し人として理財商売の考あらざれば、到底その品行を全うすること能わざるものなり。以上枚挙の件々はいずれも皆藩士常禄の他に得るところのものなれども、今日に至てはかかる無名間接の利益あることなし。藩士の困迫する一の原因なり。 第六、上士族は大抵婢僕を使用す。たといこれなきも、主人は勿論、子弟たりとも、自から町に行て物を買う者なし。町の銭湯に入る者なし。戸外に出れば袴を着けて双刀を帯す。夜行は必ず提灯を携え、甚しきは月夜にもこれを携る者あり。なお古風なるは、婦女子の夜行に重大なる箱提灯を僕に持たする者もあり。外に出でて物を買うを賤しむがごとく、物を持つもまた不外聞と思い、剣術道具釣竿の外は、些細の風呂敷包にても手に携うることなし。 下士はよき役を勤て兼て家族の多勢なる家に非ざれば、婢僕を使わず。昼間は町に出でて物を買う者少なけれども、夜は男女の別なく町に出るを常とす。男子は手拭を以て頬冠りし、双刀を帯する者あり、或は一刀なる者あり。或は昼にても、近処の歩行なれば双刀は帯すれども袴を着けず、隣家の往来などには丸腰(無刀のこと)なるもあり。また宴席、酒酣なるときなどにも、上士が拳を打ち歌舞するは極て稀なれども、下士は各隠し芸なるものを奏して興を助る者多し。これを概するに、上士の風は正雅にして迂闊、下士の風は俚賤にして活溌なる者というべし。その風俗を異にするの証は、言語のなまりまでも相同じからざるものあり。今、旧中津藩地士農商の言語なまりの一、二を示すこと左のごとし。 上士 下士 商 農 見て呉れよと みちくれい みちくりい みてくりい みちぇくりい
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福沢諭吉小品集・旧藩情・第12段これに反して上士は古より藩中無敵の好地位を占るが為に、漸次に惰弱に陥るは必然の勢、二、三十年以来、酒を飲み宴を開くの風を生じ(元来飲酒会宴の事は下士に多くして、上士は都て質朴なりき)、殊に徳川の末年、諸侯の妻子を放解して国邑に帰えすの令を出したるとき、江戸定府とて古来江戸の中津藩邸に住居する藩士も中津に移住し、かつこの時には天下多事にして、藩地の士族も頻りに都会の地に往来してその風俗に慣れ、その物品を携えて帰り、中津へ移住する江戸の定府藩士は妻子と共に大都会の軽便流を田舎藩地の中心に排列するの勢なれば、すでに惰弱なる田舎の士族は、あたかもこれに眩惑して、ますます華美軽薄の風に移り、およそ中津にて酒宴遊興の盛なる、古来特にこの時を以て最とす。故に中津の上等士族は、天下多事のために士気を興奮するには非ずして、かえってこれがためにその懶惰不行儀の風を進めたる者というべし。 右のごとく上士の気風は少しく退却の痕を顕わし、下士の力は漸く進歩の路に在り。一方に釁の乗ずべきものあれば、他の一方においてこれを黙せざるもまた自然の勢、これを如何ともすべからず。この時に下士の壮年にして非役なる者(全く非役には非ざれども、藩政の要路に関らざる者なり)数十名、ひそかに相議して、当時執権の家老を害せんとの事を企てたることあり。中津藩においては古来未曽有の大事件、もしこの事をして三十年の前にあらしめなば、即日にその党与を捕縛して遺類なきは疑を容れざるところなれども、如何せん、この時の事勢においてこれを抑制すること能わず、ついに姑息の策に出で、その執政を黜けて一時の人心を慰めたり。二百五十余年、一定不変と名けたる権力に平均を失い、その事実に顕われたるものは、この度の事件をもって始とす。(事は文久三癸亥の年に在り)
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福沢諭吉小品集・旧藩情・第13段この事情に従て維新の際に至り、ますます下士族の権力を逞うすることあらば、或は人物を黜陟し或は禄制を変革し、なお甚しきは所謂要路の因循吏を殺して、当時流行の青面書生が家老参事の地位を占めて得々たるがごとき奇談をも出現すべきはずなるに、中津藩に限りてこの変を見ざりしは、蓋し、また謂れなきに非ず。下等士族の輩が、数年以来教育に心を用るといえども、その教育は悉皆上等士族の風を真似たるものなれば、もとよりその範囲を脱すること能わず。剣術の巧拙を争わん歟、上士の内に剣客甚だ多くして毫も下士の侮を取らず。漢学の深浅を論ぜん歟、下士の勤学は日浅くして、もとより上士の文雅に及ぶべからず。 また下士の内に少しく和学を研究し水戸の学流を悦ぶ者あれども、田舎の和学、田舎の水戸流にして、日本活世界の有様を知らず。すべて中津の士族は他国に出ること少なく他藩人に交ること稀なるを以て、藩外の事情を知るの便なし。故に下等士族が教育を得てその気力を増し、心の底には常に上士を蔑視して憚るところなしといえども、その気力なるものはただ一藩内に養成したる気力にして、所謂世間見ずの田舎者なれば、他藩の例に傚てこれを実地に活用すること能わず。かつその仲間の教育なり年齢なり、また門閥なり、おおよそ一様同等にして抜群の巨魁なきがために、衆力を中心に集めて方向を一にするを得ず。ついに維新の前後より廃藩置県の時に際し今日に至るまで、中津藩に限りて無事静穏なりし由縁なり。もしもこの際に流行の洋学者か、または有力なる勤王家が、藩政を攪擾することあらば、とても今日の旧中津藩は見るべからざるなり。今その然らざるは、これを偶然の幸福、因循の賜というべし。
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福沢諭吉小品集・旧藩情・第9段いうことを 行けよという いきなさい いきなはい 下士に同じ 下士に同じ ことを 又いきない 又いきなはりい 如何せんかと どをしよをか どをしゆうか どげいしゆうか 商に同じ いうことを 又どをしゆうか この外、筆にも記しがたき語風の異同は枚挙に遑あらず。故に隔壁にても人の対話を聞けば、その上士たり、下士たり、商たり、農たるの区別は明に知るべし。(風俗を異にす) 右条々のごとく、上下両等の士族は、権利を異にし、骨肉の縁を異にし、貧富を異にし、教育を異にし、理財活計の趣を異にし、風俗習慣を異にする者なれば、自からまたその栄誉の所在も異なり、利害の所関も異ならざるを得ず。栄誉利害を異にすれば、また従て同情相憐むの念も互に厚薄なきを得ず。譬えば、上等の士族が偶然会話の語次にも、以下の者共には言われぬことなれどもこの事は云々、ということあり。下等士族もまた給人分の輩は知らぬことなれども彼の一条は云々、とて、互に窃に疑うこともあり憤ることもありて、多年苦々しき有様なりしかども、天下一般、分を守るの教を重んじ、事々物々秩序を存して動かすべからざるの時勢なれば、ただその時勢に制せられて平生の疑念憤怒を外形に発すること能わず、或は忘るるがごとくにしてこれを発することを知らざりしのみ。
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福沢諭吉小品集・旧藩情・第20段中津の旧藩にて、上下の士族が互に婚姻の好を通ぜざりしは、藩士社会の一大欠典にして、その弊害はほとんど人心の底に根拠して動かすべからざるもののごとし。今日に至ては稀に上下相婚する者もなきに非ざれども、今後ますますこの路を開くべきの勢を見ず。上士の残夢未だ醒めずして陰にこれを忌むものあれば、下士は却てこれを懇望せざるのみならず、士女の別なく、上等の家に育せられたる者は実用に適せず、これと婚姻を通ずるも後日生計の見込なしとて、一概に擯斥する者あり。一方は婚を以て恩徳のごとく心得、一方はその徳を徳とせずしてこれを賤しむの勢なれば、出入の差、甚だ大にして、とても通婚の盛なるべき見込あることなし。 然りといえども、世の中の事物は悉皆先例に傚うものなれば、有力の士は勉めてその魁をなしたきことなり。婚姻はもとより当人の意に従て適不適もあり、また後日生計の見込もなき者と強いて婚すべきには非ざれども、先入するところ、主となりて、良偶を失うの例も少なからず。親戚朋友の注意すべきことなり。一度び互に婚姻すればただ双方両家の好のみならず、親戚の親戚に達して同時に幾家の歓を共にすべし。いわんや子を生み孫を生むに至ては、祖父を共にする者あり、曽祖父を共にする者あり、共に祖先の口碑をともにして、旧藩社会、別に一種の好情帯を生じ、その功能は学校教育の成跡にも万々劣ることなかるべし。
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福沢諭吉小品集・旧藩情・第4段これ等の件々は逐一計うるに暇あらず。到底上下両等の士族は各その等類の内に些少の分別ありといえども、動かすべからざるものに非ず。独り上等と下等との大分界に至ては、ほとんど人為のものとは思われず、天然の定則のごとくにして、これを怪しむ者あることなし。(権利を異にす) 第二、上等士族を給人と称し、下等士族を徒士または小役人といい、給人以上と徒士以下とは何等の事情あるも縁組したることなし。この縁組は藩法においても風俗においても共に許さざるところなり。啻に表向の縁組のみならず、古来士族中にて和姦の醜聞ありし者を尋るに、上下の士族各その等類中に限り、各等の男女が互に通じたる者ははなはだ稀なり。(ただし日本士族の風俗は最も美にして、和姦などの沙汰は極めて稀に聞くところなり。中津藩士ももとより同様なれども、ここにはただ事実の例を示さんがために、その稀に有る者の数を比較したるのみ。) かつ限ある士族の内にて互に縁組することなれば、縁に縁を重ねて、二、三百年以来今日に至ては、士族はただ同藩の好あるのみならず、現に骨肉の親族にして、その好情の篤きはもとより論を俟たず。然るに今日、試に士族の系図を開てこれを見れば、古来上下の両等が父祖を共にしたる者なし、祖先の口碑を共にしたる者なし。恰も一藩中に人種の異なる者というも可なり。故にこの両等は藩を同うし君を共にするの交誼ありて骨肉の親情なき者なり。(骨肉の縁を異にす) 第三、上等士族の内にも家禄にはもとより大なる差ありて、大臣は千石、二千石、なおこれより以上なる者もあり。上等の最下、小姓組、医師のごときは、十人扶持より少なき者もあれども、これを概するに百石二百石或は二百五十石と唱えて、正味二十二、三石より四十石乃至五、六十石の者最も多し。藩にて要路に立つ役人は、多くはこの百石(名目のみ)以上の家に限るを例とす。藩にて正味二、三十石以上の米あれば、尋常の家族にて衣食に差支あることなく、子弟にも相当の教育を施すべし。
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