福沢諭吉小品集 / 学問の独立・第7段
これに反して、支那の趙宋において学者の朋党、近世日本の水戸藩において正党奸党の騒乱の如きは、いずれも皆、教育家にして国の行政にあずかり、学校の朋党をもって政治に及ぼし、政治の党派論をもって学校の生徒を煽動し、ついにその余毒を一国の社会に及ぼしたるの悪例なり。教育の首領たる者が学校の生徒を左右するにあたりては、もとよりその首領の意見次第にて、他の学校と主義を殊にして、学派の同じからざることもあらん、はなはだしきは相互に敵視することもあらんといえども、政事に関係せざる間はただ学問上の敵対にして、武術の流儀を殊にし、書画の風を殊にするものにひとしく、毫も世の妨害たらざるのみならず、かえって競争の方便たるべしといえども、いやしくもその学派をして政治上の性質を帯びしむるときは、沈静の色はたちまち変じて苛烈活動の働を現わし、その禍のいたるところ、実に測量すべからざるものあり。経世家のあくまでも注意用心すべきところのものなり。 我が国においても数年の後には国会を開設するとのことにして、世上には往々政党の沙汰もあり。国会開設の後には、いずれ公然たる党派の政治となることならんか。かつて日本に先例もなきことなれば、開設後の事情は今より臆測すべからざるところなれども、政事の主義については、色々に仲間をわかちてずいぶん喧しきことならん。あるいは政府が随時に交代すること、西洋諸国の例の如くならんか。たとえあるいは交代せざるにもせよ、また交代するにもせよ、政の針路は随時に変更せざるをえず。然る時にあたりて、全国の学校はその時の政府の文部省に附属し、教場の教員にいたるまでも政府の官吏にして、政府の針路一変すれば学風もまた一変するが如き有様にては、天下文運の不幸これより大なるはなし。
書き下し
これに反して、支那の趙宋において学者の朋党、近世日本の水戸藩において正党奸党の騒乱の如きは、いずれも皆、教育家にして国の行政にあずかり、学校の朋党をもって政治に及ぼし、政治の党派論をもって学校の生徒を煽動し、ついにその余毒を一国の社会に及ぼしたるの悪例なり。教育の首領たる者が学校の生徒を左右するにあたりては、もとよりその首領の意見次第にて、他の学校と主義を殊にして、学派の同じからざることもあらん、はなはだしきは相互に敵視することもあらんといえども、政事に関係せざる間はただ学問上の敵対にして、武術の流儀を殊にし、書画の風を殊にするものにひとしく、毫も世の妨害たらざるのみならず、かえって競争の方便たるべしといえども、いやしくもその学派をして政治上の性質を帯びしむるときは、沈静の色はたちまち変じて苛烈活動の働を現わし、その禍のいたるところ、実に測量すべからざるものあり。経世家のあくまでも注意用心すべきところのものなり。 我が国においても数年の後には国会を開設するとのことにして、世上には往々政党の沙汰もあり。国会開設の後には、いずれ公然たる党派の政治となることならんか。かつて日本に先例もなきことなれば、開設後の事情は今より臆測すべからざるところなれども、政事の主義については、色々に仲間をわかちてずいぶん喧しきことならん。あるいは政府が随時に交代すること、西洋諸国の例の如くならんか。たとえあるいは交代せざるにもせよ、また交代するにもせよ、政の針路は随時に変更せざるをえず。然る時にあたりて、全国の学校はその時の政府の文部省に附属し、教場の教員にいたるまでも政府の官吏にして、政府の針路一変すれば学風もまた一変するが如き有様にては、天下文運の不幸これより大なるはなし。
現代語訳
これに反して、中国の趙宋において学者が朋党を組んだこと、近世日本の水戸藩において正党と奸党が争った騒乱のようなものは、いずれも教育家でありながら国の行政に関与し、学校の党派を政治に及ぼし、政治の党派論で学校の生徒を扇動し、ついにその余毒を一国の社会に及ぼした悪い例です。教育の首領たる者が学校の生徒を左右するにあたって、もとよりその首領の意見次第で、他の学校と主義を異にし、学派が同じでないこともあるでしょうし、はなはだしくは互いに敵視することもあるでしょうが、政事に関係しない間は、ただ学問上の敵対であり、武術の流派を異にし、書画の流儀を異にするのと同じで、少しも世の妨げとならないだけでなく、かえって競争の手段となるでしょう。しかしいやしくもその学派が政治上の性質を帯びるなら、静かな色合いは忽ち変わって激しく活発な働きを現し、その禍の及ぶところは、実に測り知れないものがあります。経世家があくまでも注意し用心すべきところです。 わが国でも数年後には国会を開設するとのことで、世間には往々政党の話もあります。国会開設の後には、いずれ公然たる党派の政治となるのでしょうか。かつて日本に先例もないことですから、開設後の事情は今から憶測できないことですが、政治の主義については、色々に仲間を分けてずいぶん騒がしいことでしょう。あるいは政府が随時交代すること、西洋諸国の例のようになるのでしょうか。たとえ交代しないにせよ、また交代するにせよ、政治の針路は随時変更せざるをえません。そのときに、全国の学校がその時の政府の文部省に属し、教場の教員に至るまで政府の官吏で、政府の針路が一変すれば学風もまた一変するというような有様では、天下の文運の不幸はこれより大きいものはありません。
解説
この章句が説くこと
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福沢諭吉小品集・学問の独立・第10段右等は維新前後の大事変なれども、大変の時勢はしばらくさしおき、平時といえども、世の政談の熱度、次第に増進すれば、その気はおのずから学校に波及して、校中多少の熱を催おすべきは、自然の勢においてまぬかれ難きことならん。全国の学校を行政官に支配し、また行政官の手をもってその教授を司どり、かえりみて各地方の政治家を見れば、時の政府と意見を殊にして、これに反対する者あるの場合においては、その反対の働は、単に政治の事項にとどまらずして、行政部内にある諸学校にまで及ぼして、本来無辜の学問に対して無縁の政敵を出現するにいたるべし。 すでに今日にありても、学校の教員等を採用するに、その政治の主義いかんを問うて、何々政党に縁ある者は用い難しと、きわめて窮窟なることをいう者あれば、また一方には小学の教員を雇うに、何某はいずれの政談演説会に聴衆の喝采を得たる人物なれば、少しくその給料を豊にしてこれを遇すべしとて、学識の深浅を問わずして、小政談の巧拙をもって品評を下す者あり。双方ともに政治の熱心をもって学校を弄ぶものというべし、双方ともに学問のために敵を求むるものというべし。 元来学問は、他の武芸または美術等にひとしく、まったく政治に関係を持たず、如何なる主義の者にても、ただその学術を教授するの技倆ある者にさえあれば、教員として妨なきはずなるに、これを用うるに、その政治上の主義如何を問い、またその政談の巧拙を評するが如きは、今日こそ世人の軽々看過するところならんといえども、その実は恐るべき禍乱の徴候にして、我が輩は天下後日の世相を臆測し、日本の学問は不幸にして政治に附着して、その惨状の極度はかの趙末、旧水戸藩の覆轍に陥ることはなかるべきやと、憂苦に堪えざるなり。
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福沢諭吉小品集・学問の独立・第9段語をかえていえば、開成校は幕府政党にくみして、その生徒教員もおのずからその党派の人なりしがゆえなり。この輩が学者の本色を忘却して世変に眩惑し、目下の利害を論じて東走西馳に忙わしくし、あるいは勤王といい、また佐幕と称し、学者の身をもって政治家の事を行わんとしたるの罪なり。 当時もしこの開成校をして幕府の政権を離れ、政治社外に逍遥して真実に無偏・無党の独立学校ならしめ、その教員等をして真実に豪胆独立の学者ならしめなば、東征の騒乱、何ぞ恐るるに足らんや。弾丸雨飛の下にも、唔の声を断たずして、学問の命脈を持続すべきはずなりしに、学校組織の不完全なると学者輩の無気力なるとにより、ついに然るを得ずして、見るに忍びざるの醜体を呈し、維新の後、ようやく文部省の設立に逢うて、辛うじて日本の学問を蘇生せしめ、その際に前後数年を空しゅうしたるは、学問の一大不幸なりと断言して可なり。もとより今の政府は旧幕府に異なり、騒乱再来すべきに非ざるは無論なれども、政治と学問と附着して不利なるは、政の良否にかかわらず、古今欺くべからざるの事実と知るべし。 また、維新の初に、神道なるものは日本社会のためにいかなる事をなしたるかを見よ。その功徳未だ現われずして、まず廃仏の議論を生じ、その成跡は神仏同居を禁じ、僧侶の生活を苦しめ、信者の心を傷ましめ、全国神社・仏閣の勝景美観を破壊して、今日の殺風景をいたしたるのみ。そもそも神道なるものは、我が輩の知らざるところなれども、一種の学問ならんのみ。 いやしくも学問とあれば、おのずから主義の見るべきものあるは無論なるがゆえに、その学問の主義をもって他の学流と競争するも可なり、相互に敵視するも可なり。政治に密着せざる間は、ただその学流自然の力に任して、おのずから強弱の帰するところあるべきはずなるに、王政維新の際において、大いに政府に近づき、その政権に依頼したるがために、とみに活動をたくましゅうし、その学問に不相当なる大変動を生じて、日本国の全面に波及したるは、これまた学問と政治と附着したるの弊害というべし。
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福沢諭吉小品集・学問の独立・第3段もとより学問の事なれば、行政官の学校に学ぶも、またいずれの学問所に学ぶも同様なるべきに似たれども、政治社会の実際において然らざるものあり。けだし国の政事は、前にもいえる如く、今日の人事にあたりて臨機応変の処分あるべきものにして、たとえば饑饉には救恤の備えをなし、外患には兵馬を用意し、紙幣下落すれば金銀貨を求め、貿易の盛衰をみては関税を上下する等、俗言これを評すれば掛引の忙わしきものなるがゆえに、もしも国の学校を行政の部内に入るるときは、その学風もまた、おのずからこの掛引のために左右せらるるなきを期すべからず。掛引は日夜の臨機応変にして、政略上にもっとも大切なる部分なれば、政治家の常に怠るべからざる事なれども、学問は一日一夜の学問に非ず、容易に変易すべからざるなり。 もとより今の文部省の学制とても、決して政治に関係するに非ず。その学校の教則の如き、我が輩の見るところにおいて大なる異論あるなし。徳育を重んじ智育を貴び、その術学、たいがい皆、西洋文明の元素にとりて、体育養生の法にいたるまでも遺すところなきは、美なりというべしといえども、いかんせん、この美なる学制を施行する者が、行政官の吏人たるのみならず、ただちに生徒に接して教授する者もまた吏人にして、かつ学校教場の細事務と一般の気風とは学則中に記すべきにも非ざれば、その気風精神のよりて生ずる源は、これを目下の行政上にとらざるをえず。而してその行政なるものは、全体の性質において遠年に持続すべきものに非ず。また、持続してよろしからざるものなれば、政治の針路の変化するにしたがいて、学校の気風精神もまた変化せざるをえず。学問の本色に背くものというべし。
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福沢諭吉小品集・学問の独立・第2段過日、『時事新報』の社説にもいえる如く(一月一一日社説)、我が開国の初め攘夷論の盛なる時にあたりても、洋学者流が平生より西洋諸国の事情を説きて、あたかも日本人に開国の養生法を授けたるに非ずんば、我が日本は鎖国攘夷病に斃れたるやも計るべからず。学問の効力、その洪大なることかくの如しといえども、その学者をしてただちに今日の事にあたらしめんとするも、あるいは実際の用をなさざること、世界古今の例に少なからず。摂生学専門の医師にして当病の治療に活溌ならざるものと一様の道理ならん。 されば、学問と政治とはまったくこれを分離して相互に混同するを得せしめざること、社会全面の便利にして、その双方の本人のためにもまた幸福ならん。西洋諸国にても、執政の人が文学の差図して世の害をなし、有名なる碩学が政壇に上りて人に笑われたるの例もあり。また、我が封建の諸藩において、老儒先生を重役に登用して何等の用もなさず、かえって藩土のために不都合を起して、その先生もついに身を喪したるもの少なからず。ひっきょう、摂生法と治療法と相混じたるの罪というべきものなり。 学問と政治と分離すること、国のためにはたして大切なるものなりとせば、我が輩は、今の日本の政治より今の日本の学問を分離せしめんことを祈る者なり。すなわち文部省及び工部省直轄の学校を、本省より離別することなり。そもそも維新の初には百事皆創業にかかり、これは官に支配すべき事、それは私に属すべきものと、明らかに分界を論ずる者さえなくして、新規の事業は一切政府に帰し、工商の細事にいたるまでも政府より手を出だすの有様なれば、学校の政府に属すべきはむろんにして、すなわち文部・工部にも学校を設立したるゆえんなれども、今や十六年間の政事、次第に整頓するの日にあたりて、内外の事情を照し合せ、欧米文明国の事実を参考すれば、我が日本国において、政府がただちに学校を開設して生徒を集め、行政の官省にてただちにこれを支配して、その官省の吏人たる学者がこれを教授するとは、外国の例にもはなはだ稀にして、今日の時勢に少しく不都合なるが如し。
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福沢諭吉小品集・学問の独立・第25段世人往々この事実を知らずして、政治の思想要用なりといえば、たちまち政治家の有様を想像して、己れ自から政壇にのぼりて政をとるの用意し、生涯政事の事業をもって身を終らんと覚悟するもの多し。学問といえばたちまち大学者を想像して、生涯、書に対して身を終らんとする者あるが如し。その心掛けは嘉みすべしといえども、人々に天賦の長短もあり、家産・家族の有様もあり、幾千万の人物が決して政治家たるべきにも非ず、また大学者たるべきにも非ず。世界古今の歴史を見ても、その事実を証すべきなれば、政治も学問も、その専業に非ざるより以外は、ただ大体の心得にしてやみ、尋常一様の教育を得たる上は、おのおのその長ずるところにしたがい、広き人間世界にいて随意に業を営み、もって一身一家のためにし、またしたがって国のためにすべきなり。 政治も学問も相互にその門を異にして、人事中専門の一課とするときは、各門相互に干渉すべからざるはむろん、おのおの自家の専業を勉めて、相互にかえりみることもなきを要す。政治家たるものが、すでに学問受教の年齢をおわりて、政事に志し、また政事をとるにあたりては、自身に学問の心掛けはもとより怠るべからざるも、学校教育上のことは忘れたるが如くにこれを放却せざるべからず。学者が学問をもって畢生の業と覚悟したるうえは、自身に政治の思想はもとより養うべきも、政壇青雲の志は断じて廃棄せざるべからず。 然るに近日、世間の風潮をみるに、政治家なる者が教育の学校を自家の便に利用するか、または政治の気風が自然に教場に浸入したるものか、その教員生徒にして政の主義をかれこれと評論して、おのずから好悪するところのものあるが如し。政治家の不注意というべし。政治の気風が学問に伝染してなお広く他の部分に波及するときは、人間万事、政党をもって敵味方を作り、商売工業も政党中に籠絡せられて、はなはだしきは医学士が病者を診察するにも、寺僧または会席の主人が人に座を貸すにも、政派の敵味方を問うの奇観を呈するにいたるべし。社会親睦、人類相愛の大義に背くものというべし。
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福沢諭吉小品集・学問の独立・第5段徳川の儒臣林大学頭は、世々大学頭にして、その身分は、老中、若年寄の次にして旗下の上席なれども、徳川の施政上に釐毫の権力を持たず、あるいは国家の大事にあたりては、大政府より諮詢のこともあれども、ただ顧問にとどまるのみ。けだしその然るゆえんは、武人の政府、文を軽んずるの幣などとて、嘆息する者もありしかども、我が輩の所見はまったくこれに反し、政府の文武にかかわらず、子弟の教育を司る学者をして政事に参与せしむるは国の大害にして、徳川の制度・慣行こそ当を得たるものと信ずるなり。 当時もしも大学頭をして実際の行政官たらしめんか、林家の党類はなはだ多くして、いずれも論説には富む者なれば、政府の中にたちまち林家の一政党をなし、而してその党類の力、よく全国を圧倒するには足らずして、かえって反対の敵を生じ、林家支配の官立学校にて政談の主義はかくの如し、これを実際に施したる政府の針路は云々と称すれば、都下の家塾はむろん、地方にも藩立・私立の学校も盛なれば、あるいは林家に従属し、あるいはこれに反対し、学問の談論よりただちに政治の主義に推し及ぼして、ただに中央政府中の不和のみならず、あるいは全国の変乱にいたるも計るべからざりしに、徳川政府の始終、かつてその弊害を見ざりしは、ひっきょうするに、教育の学者をして常に政治社外にあらしめたるの功徳といわざるをえざるなり。 人、あるいはいわく、学問と政治とはもとより異なり、異なるがゆえに、学問所に政談を禁じて、多く政治の書を読ましめざるなり、その制法・規則さえ定まれば、二者の分界明白にして人を誤ることなし、との説あれども、ただ説にいうべくして、教育の実際に行わるべからざるの言なり。たとい、いかなる法則を設けて学問所を検束するも、いやしくもその教育を支配する学頭にして行政部内の人なれば、教育を受くる学生を禁じて政治の心なからしめんとするは、難易を問わずしてまずそのよくすべからざるを知るべし。
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