福沢諭吉小品集 / 学問の独立・第9段
語をかえていえば、開成校は幕府政党にくみして、その生徒教員もおのずからその党派の人なりしがゆえなり。この輩が学者の本色を忘却して世変に眩惑し、目下の利害を論じて東走西馳に忙わしくし、あるいは勤王といい、また佐幕と称し、学者の身をもって政治家の事を行わんとしたるの罪なり。 当時もしこの開成校をして幕府の政権を離れ、政治社外に逍遥して真実に無偏・無党の独立学校ならしめ、その教員等をして真実に豪胆独立の学者ならしめなば、東征の騒乱、何ぞ恐るるに足らんや。弾丸雨飛の下にも、唔の声を断たずして、学問の命脈を持続すべきはずなりしに、学校組織の不完全なると学者輩の無気力なるとにより、ついに然るを得ずして、見るに忍びざるの醜体を呈し、維新の後、ようやく文部省の設立に逢うて、辛うじて日本の学問を蘇生せしめ、その際に前後数年を空しゅうしたるは、学問の一大不幸なりと断言して可なり。もとより今の政府は旧幕府に異なり、騒乱再来すべきに非ざるは無論なれども、政治と学問と附着して不利なるは、政の良否にかかわらず、古今欺くべからざるの事実と知るべし。 また、維新の初に、神道なるものは日本社会のためにいかなる事をなしたるかを見よ。その功徳未だ現われずして、まず廃仏の議論を生じ、その成跡は神仏同居を禁じ、僧侶の生活を苦しめ、信者の心を傷ましめ、全国神社・仏閣の勝景美観を破壊して、今日の殺風景をいたしたるのみ。そもそも神道なるものは、我が輩の知らざるところなれども、一種の学問ならんのみ。 いやしくも学問とあれば、おのずから主義の見るべきものあるは無論なるがゆえに、その学問の主義をもって他の学流と競争するも可なり、相互に敵視するも可なり。政治に密着せざる間は、ただその学流自然の力に任して、おのずから強弱の帰するところあるべきはずなるに、王政維新の際において、大いに政府に近づき、その政権に依頼したるがために、とみに活動をたくましゅうし、その学問に不相当なる大変動を生じて、日本国の全面に波及したるは、これまた学問と政治と附着したるの弊害というべし。
書き下し
語をかえていえば、開成校は幕府政党にくみして、その生徒教員もおのずからその党派の人なりしがゆえなり。この輩が学者の本色を忘却して世変に眩惑し、目下の利害を論じて東走西馳に忙わしくし、あるいは勤王といい、また佐幕と称し、学者の身をもって政治家の事を行わんとしたるの罪なり。 当時もしこの開成校をして幕府の政権を離れ、政治社外に逍遥して真実に無偏・無党の独立学校ならしめ、その教員等をして真実に豪胆独立の学者ならしめなば、東征の騒乱、何ぞ恐るるに足らんや。弾丸雨飛の下にも、唔の声を断たずして、学問の命脈を持続すべきはずなりしに、学校組織の不完全なると学者輩の無気力なるとにより、ついに然るを得ずして、見るに忍びざるの醜体を呈し、維新の後、ようやく文部省の設立に逢うて、辛うじて日本の学問を蘇生せしめ、その際に前後数年を空しゅうしたるは、学問の一大不幸なりと断言して可なり。もとより今の政府は旧幕府に異なり、騒乱再来すべきに非ざるは無論なれども、政治と学問と附着して不利なるは、政の良否にかかわらず、古今欺くべからざるの事実と知るべし。 また、維新の初に、神道なるものは日本社会のためにいかなる事をなしたるかを見よ。その功徳未だ現われずして、まず廃仏の議論を生じ、その成跡は神仏同居を禁じ、僧侶の生活を苦しめ、信者の心を傷ましめ、全国神社・仏閣の勝景美観を破壊して、今日の殺風景をいたしたるのみ。そもそも神道なるものは、我が輩の知らざるところなれども、一種の学問ならんのみ。 いやしくも学問とあれば、おのずから主義の見るべきものあるは無論なるがゆえに、その学問の主義をもって他の学流と競争するも可なり、相互に敵視するも可なり。政治に密着せざる間は、ただその学流自然の力に任して、おのずから強弱の帰するところあるべきはずなるに、王政維新の際において、大いに政府に近づき、その政権に依頼したるがために、とみに活動をたくましゅうし、その学問に不相当なる大変動を生じて、日本国の全面に波及したるは、これまた学問と政治と附着したるの弊害というべし。
現代語訳
言いかえれば、開成校は幕府の政党にくみし、その生徒も教員も自然にその党派の人であったからです。この人々が学者の本色を忘れて世の変化に目をくらまされ、目下の利害を論じて東奔西走に忙しくし、あるいは勤王といい、また佐幕と称し、学者の身で政治家の事を行おうとした罪です。 当時もしこの開成校が幕府の政権を離れ、政治の外に悠々として、本当に偏りも党派もない独立の学校であり、その教員らが本当に豪胆で独立した学者であったなら、東征の騒乱など何を恐れることがあったでしょう。弾丸が雨のように飛ぶ下でも、書を読む声を絶やさず、学問の命脈を持続できたはずなのに、学校組織の不完全さと学者たちの無気力のために、ついにそうすることができず、見るに忍びない醜態を呈し、維新の後、ようやく文部省の設立に出会って、かろうじて日本の学問を蘇生させましたが、その間の前後数年を空費したのは、学問の一大不幸と断言してよいでしょう。もとより今の政府は旧幕府とは異なり、騒乱が再び来るはずがないのは言うまでもありませんが、政治と学問が付着することの不利は、政府の良し悪しにかかわらず、古今を通じて欺けない事実と知るべきです。 また、維新の初めに、神道というものが日本社会のためにどのようなことをしたかを見てください。その功徳はまだ現れないうちに、まず廃仏の議論が生じ、その結果は神仏同居の禁止、僧侶の生活を苦しめ、信者の心を傷つけ、全国の神社や仏閣の景観を破壊して、今日の殺風景をもたらしただけでした。そもそも神道というものは、私の知らないところですが、一種の学問でしょう。 いやしくも学問であれば、おのずから主義の見るべきものがあるのは当然ですから、その学問の主義で他の学派と競争するのもよく、互いに敵視するのもよいのです。政治に密着しない間は、ただその学派の自然の力に任せて、おのずから強弱の帰着するところがあるはずなのに、王政維新の際に、大いに政府に近づき、その政権に依存したために、急に活動を強め、その学問にふさわしくない大変動を生じて、日本国の全面に波及したのは、これもまた学問と政治が付着した弊害というべきです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
福沢諭吉小品集・学問の独立・第2段過日、『時事新報』の社説にもいえる如く(一月一一日社説)、我が開国の初め攘夷論の盛なる時にあたりても、洋学者流が平生より西洋諸国の事情を説きて、あたかも日本人に開国の養生法を授けたるに非ずんば、我が日本は鎖国攘夷病に斃れたるやも計るべからず。学問の効力、その洪大なることかくの如しといえども、その学者をしてただちに今日の事にあたらしめんとするも、あるいは実際の用をなさざること、世界古今の例に少なからず。摂生学専門の医師にして当病の治療に活溌ならざるものと一様の道理ならん。 されば、学問と政治とはまったくこれを分離して相互に混同するを得せしめざること、社会全面の便利にして、その双方の本人のためにもまた幸福ならん。西洋諸国にても、執政の人が文学の差図して世の害をなし、有名なる碩学が政壇に上りて人に笑われたるの例もあり。また、我が封建の諸藩において、老儒先生を重役に登用して何等の用もなさず、かえって藩土のために不都合を起して、その先生もついに身を喪したるもの少なからず。ひっきょう、摂生法と治療法と相混じたるの罪というべきものなり。 学問と政治と分離すること、国のためにはたして大切なるものなりとせば、我が輩は、今の日本の政治より今の日本の学問を分離せしめんことを祈る者なり。すなわち文部省及び工部省直轄の学校を、本省より離別することなり。そもそも維新の初には百事皆創業にかかり、これは官に支配すべき事、それは私に属すべきものと、明らかに分界を論ずる者さえなくして、新規の事業は一切政府に帰し、工商の細事にいたるまでも政府より手を出だすの有様なれば、学校の政府に属すべきはむろんにして、すなわち文部・工部にも学校を設立したるゆえんなれども、今や十六年間の政事、次第に整頓するの日にあたりて、内外の事情を照し合せ、欧米文明国の事実を参考すれば、我が日本国において、政府がただちに学校を開設して生徒を集め、行政の官省にてただちにこれを支配して、その官省の吏人たる学者がこれを教授するとは、外国の例にもはなはだ稀にして、今日の時勢に少しく不都合なるが如し。
-
福沢諭吉小品集・学問の独立・第10段右等は維新前後の大事変なれども、大変の時勢はしばらくさしおき、平時といえども、世の政談の熱度、次第に増進すれば、その気はおのずから学校に波及して、校中多少の熱を催おすべきは、自然の勢においてまぬかれ難きことならん。全国の学校を行政官に支配し、また行政官の手をもってその教授を司どり、かえりみて各地方の政治家を見れば、時の政府と意見を殊にして、これに反対する者あるの場合においては、その反対の働は、単に政治の事項にとどまらずして、行政部内にある諸学校にまで及ぼして、本来無辜の学問に対して無縁の政敵を出現するにいたるべし。 すでに今日にありても、学校の教員等を採用するに、その政治の主義いかんを問うて、何々政党に縁ある者は用い難しと、きわめて窮窟なることをいう者あれば、また一方には小学の教員を雇うに、何某はいずれの政談演説会に聴衆の喝采を得たる人物なれば、少しくその給料を豊にしてこれを遇すべしとて、学識の深浅を問わずして、小政談の巧拙をもって品評を下す者あり。双方ともに政治の熱心をもって学校を弄ぶものというべし、双方ともに学問のために敵を求むるものというべし。 元来学問は、他の武芸または美術等にひとしく、まったく政治に関係を持たず、如何なる主義の者にても、ただその学術を教授するの技倆ある者にさえあれば、教員として妨なきはずなるに、これを用うるに、その政治上の主義如何を問い、またその政談の巧拙を評するが如きは、今日こそ世人の軽々看過するところならんといえども、その実は恐るべき禍乱の徴候にして、我が輩は天下後日の世相を臆測し、日本の学問は不幸にして政治に附着して、その惨状の極度はかの趙末、旧水戸藩の覆轍に陥ることはなかるべきやと、憂苦に堪えざるなり。
-
福沢諭吉小品集・学問の独立・第4段これを要するに、政治は活溌にして動くものなり、学問は沈深にして静なるものなり。静者をして動者と歩をともにせしめんとす、その際に幣を見るなからんとするも得べからず。たとえば、青年の学生にして漫に政治を談じ、または政談の新聞紙等を読みて世間に喋々するは、我が輩も好まざるところにして、これをとどむるはすなわち静者をして静ならしめ、学者のために学者の本色を得せしめんとするの趣意なれども、もしもこれをとどむる者が行政官吏の手より出ずるときは、学者のためにするにかねてまた、行政の便利のためにするの嫌疑なきを得ず。 然るに行政の性質はもっとも活溌にして、随時に変化すべきがゆえに、一時、静を命ずるも、また時として動を勧むるなきを期すべからず。あるいは他の動者に反対して静を守るの極端は、己れ自から静の境界をこえて、反動の態に移るなきを期すべからず。ひっきょう、学問と政治と相密着するの余弊ならん。我が輩がその分離を祈るゆえんなり。 学問と政治と密着せしむるの不利は、ひとり我が輩の発明に非ず。古来、我が日本国において、その理由趣旨を明言したる者こそなけれども、実際においてその趣旨の行われたるは不思議なりというべし。往古の事はしばらくさしおき、徳川の時代において中央政府はむろん、三百藩にも儒臣なる者を置き、子弟の教育を司るの慣行にして、これを尊敬せざるには非ず、藩主なおかつ儒臣に対しては師と称するほどのことにして、栄誉少なからずといえども、そのこれを尊ぶや、ただ学問上に限るのみにして、政治に関してはかつて儒臣の喙をいれしめず、はなはだしきはこれを長袖の身分と称して、神官、僧侶、医師の輩と同一視して、政庁に入れざるのみならず、他士族と歯するを許さざるの風なりき。
-
福沢諭吉小品集・学問の独立・第8段たとえば政府の当局者が、貿易の振わずして一両年間輸出入の不平均なるを憂い、これは我が国人が殖産工商の道に迂闊なるがゆえなり、工業起さざるべからず、商法講ぜざるべからずとて、しきりにこれを奨励して、後進の青年を商工の一方に教育せんとするその最中に、外国政治上の報告を聞けば、近来はなはだ穏ならず、欧洲各国の形勢云々なるのみならず、近く隣国の支那において、大臣某氏が政権をとりて、その政略はかくの如し、あるいは東洋全面の風波も計るべからず、不虞に予備するは廟算の極意にして、目下の急は武備を拡張して士気を振起するにあり、学校教育の風も文弱に流れずして尚武の気を奨励するこそ大切なれとて、その針路に向うときは、さきに工芸商法を講習してまさに殖産の道を学ばんとしたる学生も、たちまち経済書を廃して兵書を読み、筆を投じて戎軒を事とするの念を発すべし。 少年の心事、その軟弱なること杞柳の如く、他の指示するところにしたがいて変化すること、はなはだやすし。而してその指示の原因はいずれよりすと尋ぬるに、一両年間、貿易輸出入の不平均か、もしくは隣国一大臣の進退にすぎず。内国貿易の景況、隣国交際の政略、当局の政治家においては実に大切にして等閑に附すべからざるものなれども、これがために所期百年の教育上に影響を及ぼすとは憐むべき次第ならずや。かく政治と学問と密着するときは、甲者の変勢にさいして常に乙者の動揺を生じ、その変いよいよはなはだしければその余波もまた、いよいよ劇なり。 ここに一例をあぐれば、旧幕府の時代、江戸に開成学校なるものを設立して学生を教育し、その組織ずいぶん盛大なるものにして、あたかも日本国中洋学の中心とも称すべき姿なりしが、一朝幕政府の顛覆に際して、生徒教員もたちまち四方に散じて行くところを知らず、東征の王師、必ずしも開成校を敵としてこれを滅さんとするの意もなかりしことならんといえども、学者の輩がかくも狼狽して、一朝にして一大学校を空了して、日本国の洋学が幕府とともに廃滅したるは何ぞや。開成校は幕政府中の学校にして、時の政治に密着したるがゆえなり。
-
福沢諭吉小品集・学問の独立・第7段これに反して、支那の趙宋において学者の朋党、近世日本の水戸藩において正党奸党の騒乱の如きは、いずれも皆、教育家にして国の行政にあずかり、学校の朋党をもって政治に及ぼし、政治の党派論をもって学校の生徒を煽動し、ついにその余毒を一国の社会に及ぼしたるの悪例なり。教育の首領たる者が学校の生徒を左右するにあたりては、もとよりその首領の意見次第にて、他の学校と主義を殊にして、学派の同じからざることもあらん、はなはだしきは相互に敵視することもあらんといえども、政事に関係せざる間はただ学問上の敵対にして、武術の流儀を殊にし、書画の風を殊にするものにひとしく、毫も世の妨害たらざるのみならず、かえって競争の方便たるべしといえども、いやしくもその学派をして政治上の性質を帯びしむるときは、沈静の色はたちまち変じて苛烈活動の働を現わし、その禍のいたるところ、実に測量すべからざるものあり。経世家のあくまでも注意用心すべきところのものなり。 我が国においても数年の後には国会を開設するとのことにして、世上には往々政党の沙汰もあり。国会開設の後には、いずれ公然たる党派の政治となることならんか。かつて日本に先例もなきことなれば、開設後の事情は今より臆測すべからざるところなれども、政事の主義については、色々に仲間をわかちてずいぶん喧しきことならん。あるいは政府が随時に交代すること、西洋諸国の例の如くならんか。たとえあるいは交代せざるにもせよ、また交代するにもせよ、政の針路は随時に変更せざるをえず。然る時にあたりて、全国の学校はその時の政府の文部省に附属し、教場の教員にいたるまでも政府の官吏にして、政府の針路一変すれば学風もまた一変するが如き有様にては、天下文運の不幸これより大なるはなし。
-
福沢諭吉小品集・学問の独立・第1段『学問の独立』緒言 近年、我が日本において、都鄙上下の別なく、学問の流行すること、古来、未だその比を見ず。実に文運降盛の秋と称すべし。然るに、時運の然らしむるところ、人民、字を知るとともに大いに政治の思想を喚起して、世事ようやく繁多なるに際し、政治家の一挙一動のために、併せて天下の学問を左右進退せんとするの勢なきに非ず。実に国のために嘆ずるに堪えずとて、福沢先生一篇の論文を立案し、中上川先生これを筆記し、「学問と政治と分離すべし」と題して、連日の『時事新報』社説に登録したるが、大いに学者ならびに政治家の注意を惹き来りて、目下正に世論実際の一問題となれり。よって今、論者諸賢のため全篇通読の便利を計り、これを重刊して一冊子となすという。 明治一六年二月編者識 学問の独立 学問も政治も、その目的を尋ぬれば、ともに一国の幸福を増進せんとするものより外ならずといえども、学問は政治に非ずして、学者は政治家に異なり。けだしその異なるゆえんは何ぞや。学者の事は社会今日の実際に遠くして、政治家の働は日常人事の衝にあたるものなればなり。これをたとえば、一国はなお一人の身体の如くにして、学者と政治家と相ともにこれを守り、政治家は病にあたりて治療に力を用い、学者は平生の摂生法を授くる者の如し。開闢以来今にいたるまで、智徳ともに不完全なる人間社会は、一人の身体いずれの部分か必ず痛所あるものに異ならず。治療に任ずる政治家の繁忙なる、もとより知るべし。然るに学者が平生より養生の法を説きて社会を警むることあれば、あるいはその病を未発に防ぎ、あるいはたとい発病に及ぶも、大病にいたらずして癒るを得べし。すなわち間接の働にして、学問の力もまた大なりというべし。
人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る