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福沢諭吉小品集 / 学問の独立・第6段

あるいは生徒を教訓警戒して、政談に喋々するなかれ、世上に何々を談ずる者あり、何々に熱心する者あり、はなはだ心得違なればこれにならうなかれと禁ずれば、その禁止の言葉の中におのずから他の党派に反対してこれを嫌忌するの意味を含有するがゆえに、たといこれを禁じ了るも、その学生の一類は、かの禁止の言中、おのずから政治の意味あるを知る者なれば、ただ口にこそ政を談ぜざれども、その成跡はあたかも政談を談ぜざるの政党たるべきのみ。 元来政治の主義・針路を殊にするは、異宗旨の如きものにして、たとえば今、法華宗の僧侶が衆人に向いて、念仏を唱うるなかれというのみにて、あえて自家の題目を唱えよと勧むるには非ざるも、その念仏を禁ずるの際に、法華宗に教化せんとするの意味は十分に見るべきが如し。結局、学校の生徒をして政治社外に教育せんとするには、その首領なる者が、真実に行政の外にありて、中心より無偏・無党なるに非ざれば、かなわざることと知るべし。真実に念仏を禁じて仏法の念なからしめんと欲せば、念仏も禁じ題目も禁ずるか、または念仏も題目も、ともに嫌忌せずして勝手に唱えしめ、ただ一身の自家宗教を信ぜずして、これを放却するの外に方略あるべからず。 首領の心事と地位と、実に偏党なきにおいては、その学校に何の書を読み何事を談ずるも、なんらの害をもなさざるのみならず、学問の本色において、社会の現事に拘泥することなくして、目的を永遠の利害に期するときは、その読書談論は、かえって傍観者の品格をもって、大いに他の実業家を警しむるの大効を奏するに足るべし。前にいえる林家及びその他の儒流、なお上りて徳川の初代にありては天海僧正の如き、かつて幕政に関せずして、かえって時として大いに政機を助けたるは、決して偶然に非ざるなり。

書き下し

あるいは生徒を教訓警戒して、政談に喋々するなかれ、世上に何々を談ずる者あり、何々に熱心する者あり、はなはだ心得違なればこれにならうなかれと禁ずれば、その禁止の言葉の中におのずから他の党派に反対してこれを嫌忌するの意味を含有するがゆえに、たといこれを禁じ了るも、その学生の一類は、かの禁止の言中、おのずから政治の意味あるを知る者なれば、ただ口にこそ政を談ぜざれども、その成跡はあたかも政談を談ぜざるの政党たるべきのみ。 元来政治の主義・針路を殊にするは、異宗旨の如きものにして、たとえば今、法華宗の僧侶が衆人に向いて、念仏を唱うるなかれというのみにて、あえて自家の題目を唱えよと勧むるには非ざるも、その念仏を禁ずるの際に、法華宗に教化せんとするの意味は十分に見るべきが如し。結局、学校の生徒をして政治社外に教育せんとするには、その首領なる者が、真実に行政の外にありて、中心より無偏・無党なるに非ざれば、かなわざることと知るべし。真実に念仏を禁じて仏法の念なからしめんと欲せば、念仏も禁じ題目も禁ずるか、または念仏も題目も、ともに嫌忌せずして勝手に唱えしめ、ただ一身の自家宗教を信ぜずして、これを放却するの外に方略あるべからず。 首領の心事と地位と、実に偏党なきにおいては、その学校に何の書を読み何事を談ずるも、なんらの害をもなさざるのみならず、学問の本色において、社会の現事に拘泥することなくして、目的を永遠の利害に期するときは、その読書談論は、かえって傍観者の品格をもって、大いに他の実業家を警しむるの大効を奏するに足るべし。前にいえる林家及びその他の儒流、なお上りて徳川の初代にありては天海僧正の如き、かつて幕政に関せずして、かえって時として大いに政機を助けたるは、決して偶然に非ざるなり。

現代語訳

あるいは生徒に教え戒めて、政談をぺらぺらしゃべってはいけない、世間に何々を論じる者がいる、何々に熱心な者がいるが、はなはだ心得違いだから見習ってはならない、と禁じるなら、その禁止の言葉の中に、おのずから他の党派に反対してこれを嫌う意味が含まれているので、たとえ禁じ終えても、その学生の一類は、あの禁止の言葉の中におのずから政治の意味があることを知っていますから、口でこそ政治を論じなくても、その成果はあたかも政談をしない政党となるだけです。 元来、政治の主義や針路を異にするのは、宗旨を異にするようなものです。たとえば今、法華宗の僧侶が衆人に向かって、念仏を唱えてはならないと言うだけで、自分の題目を唱えなさいと勧めるのではないとしても、その念仏を禁じるときに、法華宗に教化しようとする意味は十分に見て取れます。結局、学校の生徒を政治の外で教育しようとするなら、その首領である者が、本当に行政の外にいて、心の底から偏りも党派もなくなければ、かなわないことと知るべきです。本当に念仏を禁じて仏法の念をなくそうとするなら、念仏も禁じ題目も禁じるか、または念仏も題目もともに嫌わずに勝手に唱えさせ、ただ自分一人が自家の宗教を信じないで、これを手放すほかに方法はありません。 首領の心事と地位とが、本当に偏りも党派もないならば、その学校で何の書を読み何を論じても、何の害もなさないだけでなく、学問の本質において、社会の目先のことに拘泥せずに、目的を永遠の利害に置くなら、その読書と談論は、かえって傍観者の品格をもって、他の実業家を大いに戒める大きな効果を挙げるに足るでしょう。前に述べた林家やその他の儒者、さらに遡れば徳川の初代にいた天海僧正のように、かつて幕政に関与せず、かえって時に大いに政治の機微を助けたのは、決して偶然ではありません。

解説

禁止するという行為自体が、すでに特定の立場を含んでしまうという洞察を、念仏と題目のたとえで示します。偏りなく教育するには、指導者自身が本当に中立でなければならないという厳しい要求です。中立の立場にあるからこそ、傍観者として実業家に助言もできると言います。現代の会社でも、評価や助言の信頼性が立場の中立性に支えられることを思わせます。福沢の理想はやや厳しく、現実には難しい面もありますが、問いとしては示唆に富みます。

この章句が説くこと

政談を禁じる念仏と題目首領の中立傍観者の品格天海僧正永遠の利害

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