福沢諭吉小品集 / 学問の独立・第10段
右等は維新前後の大事変なれども、大変の時勢はしばらくさしおき、平時といえども、世の政談の熱度、次第に増進すれば、その気はおのずから学校に波及して、校中多少の熱を催おすべきは、自然の勢においてまぬかれ難きことならん。全国の学校を行政官に支配し、また行政官の手をもってその教授を司どり、かえりみて各地方の政治家を見れば、時の政府と意見を殊にして、これに反対する者あるの場合においては、その反対の働は、単に政治の事項にとどまらずして、行政部内にある諸学校にまで及ぼして、本来無辜の学問に対して無縁の政敵を出現するにいたるべし。 すでに今日にありても、学校の教員等を採用するに、その政治の主義いかんを問うて、何々政党に縁ある者は用い難しと、きわめて窮窟なることをいう者あれば、また一方には小学の教員を雇うに、何某はいずれの政談演説会に聴衆の喝采を得たる人物なれば、少しくその給料を豊にしてこれを遇すべしとて、学識の深浅を問わずして、小政談の巧拙をもって品評を下す者あり。双方ともに政治の熱心をもって学校を弄ぶものというべし、双方ともに学問のために敵を求むるものというべし。 元来学問は、他の武芸または美術等にひとしく、まったく政治に関係を持たず、如何なる主義の者にても、ただその学術を教授するの技倆ある者にさえあれば、教員として妨なきはずなるに、これを用うるに、その政治上の主義如何を問い、またその政談の巧拙を評するが如きは、今日こそ世人の軽々看過するところならんといえども、その実は恐るべき禍乱の徴候にして、我が輩は天下後日の世相を臆測し、日本の学問は不幸にして政治に附着して、その惨状の極度はかの趙末、旧水戸藩の覆轍に陥ることはなかるべきやと、憂苦に堪えざるなり。
書き下し
右等は維新前後の大事変なれども、大変の時勢はしばらくさしおき、平時といえども、世の政談の熱度、次第に増進すれば、その気はおのずから学校に波及して、校中多少の熱を催おすべきは、自然の勢においてまぬかれ難きことならん。全国の学校を行政官に支配し、また行政官の手をもってその教授を司どり、かえりみて各地方の政治家を見れば、時の政府と意見を殊にして、これに反対する者あるの場合においては、その反対の働は、単に政治の事項にとどまらずして、行政部内にある諸学校にまで及ぼして、本来無辜の学問に対して無縁の政敵を出現するにいたるべし。 すでに今日にありても、学校の教員等を採用するに、その政治の主義いかんを問うて、何々政党に縁ある者は用い難しと、きわめて窮窟なることをいう者あれば、また一方には小学の教員を雇うに、何某はいずれの政談演説会に聴衆の喝采を得たる人物なれば、少しくその給料を豊にしてこれを遇すべしとて、学識の深浅を問わずして、小政談の巧拙をもって品評を下す者あり。双方ともに政治の熱心をもって学校を弄ぶものというべし、双方ともに学問のために敵を求むるものというべし。 元来学問は、他の武芸または美術等にひとしく、まったく政治に関係を持たず、如何なる主義の者にても、ただその学術を教授するの技倆ある者にさえあれば、教員として妨なきはずなるに、これを用うるに、その政治上の主義如何を問い、またその政談の巧拙を評するが如きは、今日こそ世人の軽々看過するところならんといえども、その実は恐るべき禍乱の徴候にして、我が輩は天下後日の世相を臆測し、日本の学問は不幸にして政治に附着して、その惨状の極度はかの趙末、旧水戸藩の覆轍に陥ることはなかるべきやと、憂苦に堪えざるなり。
現代語訳
以上は維新前後の大事変ですが、大変動の時勢はしばらく置き、平時であっても、世の政談の熱が次第に高まれば、その気は自然に学校に波及して、校内に多少の熱を生じるのは、自然の勢いとして免れがたいことでしょう。全国の学校を行政官が支配し、また行政官の手でその教授を司り、翻って各地方の政治家を見ると、時の政府と意見を異にして、これに反対する者がいる場合には、その反対の働きは、単に政治の事項にとどまらず、行政部内にある諸学校にまで及んで、本来罪のない学問に対して、関係のない政敵を出現させるに至るでしょう。 すでに今日においても、学校の教員などを採用するのに、その政治の主義を問い、何々の政党に縁のある者は用いがたいと、極めて窮屈なことを言う者がいれば、また一方では小学校の教員を雇うのに、某は何の政談演説会で聴衆の喝采を得た人物だから、少し給料を多くして待遇すべきだと言って、学識の深浅を問わずに、小さな政談の巧拙で品評を下す者もいます。双方とも政治への熱心さで学校をもてあそぶものというべきで、双方とも学問のために敵を求めるものというべきです。 元来、学問は、他の武芸や美術などと同じく、まったく政治に関係を持たず、どのような主義の者でも、その学術を教える腕前さえあれば、教員として差し支えないはずなのに、これを用いるのに、その政治上の主義を問い、またその政談の巧拙を評するようなことは、今日こそ世人が軽々しく見過ごすところでしょうが、その実は恐るべき禍乱の兆候であり、私は天下の後日の世相を憶測し、日本の学問が不幸にも政治に付着して、その惨状の極みがあの宋末や旧水戸藩の轍を踏むことにならないかと、憂い苦しみに堪えないのです。
解説
この章句が説くこと
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福沢諭吉小品集・学問の独立・第7段これに反して、支那の趙宋において学者の朋党、近世日本の水戸藩において正党奸党の騒乱の如きは、いずれも皆、教育家にして国の行政にあずかり、学校の朋党をもって政治に及ぼし、政治の党派論をもって学校の生徒を煽動し、ついにその余毒を一国の社会に及ぼしたるの悪例なり。教育の首領たる者が学校の生徒を左右するにあたりては、もとよりその首領の意見次第にて、他の学校と主義を殊にして、学派の同じからざることもあらん、はなはだしきは相互に敵視することもあらんといえども、政事に関係せざる間はただ学問上の敵対にして、武術の流儀を殊にし、書画の風を殊にするものにひとしく、毫も世の妨害たらざるのみならず、かえって競争の方便たるべしといえども、いやしくもその学派をして政治上の性質を帯びしむるときは、沈静の色はたちまち変じて苛烈活動の働を現わし、その禍のいたるところ、実に測量すべからざるものあり。経世家のあくまでも注意用心すべきところのものなり。 我が国においても数年の後には国会を開設するとのことにして、世上には往々政党の沙汰もあり。国会開設の後には、いずれ公然たる党派の政治となることならんか。かつて日本に先例もなきことなれば、開設後の事情は今より臆測すべからざるところなれども、政事の主義については、色々に仲間をわかちてずいぶん喧しきことならん。あるいは政府が随時に交代すること、西洋諸国の例の如くならんか。たとえあるいは交代せざるにもせよ、また交代するにもせよ、政の針路は随時に変更せざるをえず。然る時にあたりて、全国の学校はその時の政府の文部省に附属し、教場の教員にいたるまでも政府の官吏にして、政府の針路一変すれば学風もまた一変するが如き有様にては、天下文運の不幸これより大なるはなし。
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福沢諭吉小品集・学問の独立・第25段世人往々この事実を知らずして、政治の思想要用なりといえば、たちまち政治家の有様を想像して、己れ自から政壇にのぼりて政をとるの用意し、生涯政事の事業をもって身を終らんと覚悟するもの多し。学問といえばたちまち大学者を想像して、生涯、書に対して身を終らんとする者あるが如し。その心掛けは嘉みすべしといえども、人々に天賦の長短もあり、家産・家族の有様もあり、幾千万の人物が決して政治家たるべきにも非ず、また大学者たるべきにも非ず。世界古今の歴史を見ても、その事実を証すべきなれば、政治も学問も、その専業に非ざるより以外は、ただ大体の心得にしてやみ、尋常一様の教育を得たる上は、おのおのその長ずるところにしたがい、広き人間世界にいて随意に業を営み、もって一身一家のためにし、またしたがって国のためにすべきなり。 政治も学問も相互にその門を異にして、人事中専門の一課とするときは、各門相互に干渉すべからざるはむろん、おのおの自家の専業を勉めて、相互にかえりみることもなきを要す。政治家たるものが、すでに学問受教の年齢をおわりて、政事に志し、また政事をとるにあたりては、自身に学問の心掛けはもとより怠るべからざるも、学校教育上のことは忘れたるが如くにこれを放却せざるべからず。学者が学問をもって畢生の業と覚悟したるうえは、自身に政治の思想はもとより養うべきも、政壇青雲の志は断じて廃棄せざるべからず。 然るに近日、世間の風潮をみるに、政治家なる者が教育の学校を自家の便に利用するか、または政治の気風が自然に教場に浸入したるものか、その教員生徒にして政の主義をかれこれと評論して、おのずから好悪するところのものあるが如し。政治家の不注意というべし。政治の気風が学問に伝染してなお広く他の部分に波及するときは、人間万事、政党をもって敵味方を作り、商売工業も政党中に籠絡せられて、はなはだしきは医学士が病者を診察するにも、寺僧または会席の主人が人に座を貸すにも、政派の敵味方を問うの奇観を呈するにいたるべし。社会親睦、人類相愛の大義に背くものというべし。
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福沢諭吉小品集・学問の独立・第4段これを要するに、政治は活溌にして動くものなり、学問は沈深にして静なるものなり。静者をして動者と歩をともにせしめんとす、その際に幣を見るなからんとするも得べからず。たとえば、青年の学生にして漫に政治を談じ、または政談の新聞紙等を読みて世間に喋々するは、我が輩も好まざるところにして、これをとどむるはすなわち静者をして静ならしめ、学者のために学者の本色を得せしめんとするの趣意なれども、もしもこれをとどむる者が行政官吏の手より出ずるときは、学者のためにするにかねてまた、行政の便利のためにするの嫌疑なきを得ず。 然るに行政の性質はもっとも活溌にして、随時に変化すべきがゆえに、一時、静を命ずるも、また時として動を勧むるなきを期すべからず。あるいは他の動者に反対して静を守るの極端は、己れ自から静の境界をこえて、反動の態に移るなきを期すべからず。ひっきょう、学問と政治と相密着するの余弊ならん。我が輩がその分離を祈るゆえんなり。 学問と政治と密着せしむるの不利は、ひとり我が輩の発明に非ず。古来、我が日本国において、その理由趣旨を明言したる者こそなけれども、実際においてその趣旨の行われたるは不思議なりというべし。往古の事はしばらくさしおき、徳川の時代において中央政府はむろん、三百藩にも儒臣なる者を置き、子弟の教育を司るの慣行にして、これを尊敬せざるには非ず、藩主なおかつ儒臣に対しては師と称するほどのことにして、栄誉少なからずといえども、そのこれを尊ぶや、ただ学問上に限るのみにして、政治に関してはかつて儒臣の喙をいれしめず、はなはだしきはこれを長袖の身分と称して、神官、僧侶、医師の輩と同一視して、政庁に入れざるのみならず、他士族と歯するを許さざるの風なりき。
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福沢諭吉小品集・学問の独立・第3段もとより学問の事なれば、行政官の学校に学ぶも、またいずれの学問所に学ぶも同様なるべきに似たれども、政治社会の実際において然らざるものあり。けだし国の政事は、前にもいえる如く、今日の人事にあたりて臨機応変の処分あるべきものにして、たとえば饑饉には救恤の備えをなし、外患には兵馬を用意し、紙幣下落すれば金銀貨を求め、貿易の盛衰をみては関税を上下する等、俗言これを評すれば掛引の忙わしきものなるがゆえに、もしも国の学校を行政の部内に入るるときは、その学風もまた、おのずからこの掛引のために左右せらるるなきを期すべからず。掛引は日夜の臨機応変にして、政略上にもっとも大切なる部分なれば、政治家の常に怠るべからざる事なれども、学問は一日一夜の学問に非ず、容易に変易すべからざるなり。 もとより今の文部省の学制とても、決して政治に関係するに非ず。その学校の教則の如き、我が輩の見るところにおいて大なる異論あるなし。徳育を重んじ智育を貴び、その術学、たいがい皆、西洋文明の元素にとりて、体育養生の法にいたるまでも遺すところなきは、美なりというべしといえども、いかんせん、この美なる学制を施行する者が、行政官の吏人たるのみならず、ただちに生徒に接して教授する者もまた吏人にして、かつ学校教場の細事務と一般の気風とは学則中に記すべきにも非ざれば、その気風精神のよりて生ずる源は、これを目下の行政上にとらざるをえず。而してその行政なるものは、全体の性質において遠年に持続すべきものに非ず。また、持続してよろしからざるものなれば、政治の針路の変化するにしたがいて、学校の気風精神もまた変化せざるをえず。学問の本色に背くものというべし。
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福沢諭吉小品集・学問の独立・第9段語をかえていえば、開成校は幕府政党にくみして、その生徒教員もおのずからその党派の人なりしがゆえなり。この輩が学者の本色を忘却して世変に眩惑し、目下の利害を論じて東走西馳に忙わしくし、あるいは勤王といい、また佐幕と称し、学者の身をもって政治家の事を行わんとしたるの罪なり。 当時もしこの開成校をして幕府の政権を離れ、政治社外に逍遥して真実に無偏・無党の独立学校ならしめ、その教員等をして真実に豪胆独立の学者ならしめなば、東征の騒乱、何ぞ恐るるに足らんや。弾丸雨飛の下にも、唔の声を断たずして、学問の命脈を持続すべきはずなりしに、学校組織の不完全なると学者輩の無気力なるとにより、ついに然るを得ずして、見るに忍びざるの醜体を呈し、維新の後、ようやく文部省の設立に逢うて、辛うじて日本の学問を蘇生せしめ、その際に前後数年を空しゅうしたるは、学問の一大不幸なりと断言して可なり。もとより今の政府は旧幕府に異なり、騒乱再来すべきに非ざるは無論なれども、政治と学問と附着して不利なるは、政の良否にかかわらず、古今欺くべからざるの事実と知るべし。 また、維新の初に、神道なるものは日本社会のためにいかなる事をなしたるかを見よ。その功徳未だ現われずして、まず廃仏の議論を生じ、その成跡は神仏同居を禁じ、僧侶の生活を苦しめ、信者の心を傷ましめ、全国神社・仏閣の勝景美観を破壊して、今日の殺風景をいたしたるのみ。そもそも神道なるものは、我が輩の知らざるところなれども、一種の学問ならんのみ。 いやしくも学問とあれば、おのずから主義の見るべきものあるは無論なるがゆえに、その学問の主義をもって他の学流と競争するも可なり、相互に敵視するも可なり。政治に密着せざる間は、ただその学流自然の力に任して、おのずから強弱の帰するところあるべきはずなるに、王政維新の際において、大いに政府に近づき、その政権に依頼したるがために、とみに活動をたくましゅうし、その学問に不相当なる大変動を生じて、日本国の全面に波及したるは、これまた学問と政治と附着したるの弊害というべし。
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福沢諭吉小品集・学問の独立・第6段あるいは生徒を教訓警戒して、政談に喋々するなかれ、世上に何々を談ずる者あり、何々に熱心する者あり、はなはだ心得違なればこれにならうなかれと禁ずれば、その禁止の言葉の中におのずから他の党派に反対してこれを嫌忌するの意味を含有するがゆえに、たといこれを禁じ了るも、その学生の一類は、かの禁止の言中、おのずから政治の意味あるを知る者なれば、ただ口にこそ政を談ぜざれども、その成跡はあたかも政談を談ぜざるの政党たるべきのみ。 元来政治の主義・針路を殊にするは、異宗旨の如きものにして、たとえば今、法華宗の僧侶が衆人に向いて、念仏を唱うるなかれというのみにて、あえて自家の題目を唱えよと勧むるには非ざるも、その念仏を禁ずるの際に、法華宗に教化せんとするの意味は十分に見るべきが如し。結局、学校の生徒をして政治社外に教育せんとするには、その首領なる者が、真実に行政の外にありて、中心より無偏・無党なるに非ざれば、かなわざることと知るべし。真実に念仏を禁じて仏法の念なからしめんと欲せば、念仏も禁じ題目も禁ずるか、または念仏も題目も、ともに嫌忌せずして勝手に唱えしめ、ただ一身の自家宗教を信ぜずして、これを放却するの外に方略あるべからず。 首領の心事と地位と、実に偏党なきにおいては、その学校に何の書を読み何事を談ずるも、なんらの害をもなさざるのみならず、学問の本色において、社会の現事に拘泥することなくして、目的を永遠の利害に期するときは、その読書談論は、かえって傍観者の品格をもって、大いに他の実業家を警しむるの大効を奏するに足るべし。前にいえる林家及びその他の儒流、なお上りて徳川の初代にありては天海僧正の如き、かつて幕政に関せずして、かえって時として大いに政機を助けたるは、決して偶然に非ざるなり。
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