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福翁自伝 / 老余の半生・事を為すに極端を想像す(1)

扨これまで長々と話を続けて、私の一身の事、又私に関係した世の中の事をも語りましたが、私の生涯中に一番骨を折たのは著書飜訳の事業で、是れには中々話が多いが、その次第は本年再版した福澤全集の緒言に記してあれば之を略し、著訳の事を別にして、元来私が家に居り世に処するの法を一括して手短に申せば、都て事の極端を想像して覚悟を定め、マサカの時に狼狽せぬように後悔せぬようにと計り考えて居ます。生きて居る身はいつ何時死ぬかも知れぬから、その死ぬ時に落付て静にしようと云うのは誰も考えて居ましょう。夫れと同様に、例えば私が自身自家の経済に就ては、何としても他人に対して不義理はせぬと心に決定して居るから、危い事を犯すことが出来ない。斯うすれば利益がある、爾うすれば金が出来るなど云ても、危険を犯して失敗したときには必ず狼狽することがあろう、後悔することがあろうと思て、手を出すことが出来ない。金を得て金を使うよりも、金がなければ使わずに居る。按摩按腹をしても餓えて死ぬ気遣いはない、粗衣粗食などに閉口する男でないと力身込んで居るような訳けで、私が経済上に不活溌なのは失敗の極端を恐れて鈍くして居るのですが、その外直接に一身の不義理にならぬ事に就ては必ずしも不活溌でない。トヾの詰り遣傷なっても自身独立の主義に妨げのない限りは颯々と遣ります。例えば慶應義塾を開いて何十年来様々変化は多い。時としては生徒の減ることもあれば増ることもある。唯生徒ばかりでない、会計上からして教員の不足することも度々でしたが、ソンな時にも払は少しも狼狽しない。生徒が散ずれば散ずるまゝにして置け、教員が出て行くなら行くまゝにして留めるな、生徒散じ教員去て塾が空屋になれば、残る者は乃公一人だ、ソコで一人の根気で教えられる丈けの生徒を相手に自分が教授して遣る、ソレも生徒がなければ強いて教授しようとは云わぬ、福澤諭吉は大塾を開て天下の子弟を教えねばならぬと人に約束したことはない、塾の盛衰に気を揉むような馬鹿はせぬと、腹の底に極端の覚悟を定めて、塾を開たその時から、何時でもこの塾を潰して仕舞うと始終考えて居るから、少しも怖いものはない。平生は塾務を大切にして一生懸命に勉強もすれば心配もすれども、本当に私の心事の真面目を申せば、この勉強心配は浮世の戯れ、仮りの相ですから、勉めながらも誠に安気です。

新字:扨これまで長々と話を続けて、私の一身の事、又私に関係した世の中の事をも語りましたが、私の生涯中に一番骨を折たのは著書翻訳の事業で、是れには中々話が多いが、その次第は本年再版した福沢全集の緒言に記してあれば之を略し、著訳の事を別にして、元来私が家に居り世に処するの法を一括して手短に申せば、都て事の極端を想像して覚悟を定め、マサカの時に狼狽せぬように後悔せぬようにと計り考えて居ます。生きて居る身はいつ何時死ぬかも知れぬから、その死ぬ時に落付て静にしようと云うのは誰も考えて居ましょう。夫れと同様に、例えば私が自身自家の経済に就ては、何としても他人に対して不義理はせぬと心に決定して居るから、危い事を犯すことが出来ない。斯うすれば利益がある、爾うすれば金が出来るなど云ても、危険を犯して失敗したときには必ず狼狽することがあろう、後悔することがあろうと思て、手を出すことが出来ない。金を得て金を使うよりも、金がなければ使わずに居る。按摩按腹をしても餓えて死ぬ気遣いはない、粗衣粗食などに閉口する男でないと力身込んで居るような訳けで、私が経済上に不活溌なのは失敗の極端を恐れて鈍くして居るのですが、その外直接に一身の不義理にならぬ事に就ては必ずしも不活溌でない。トヾの詰り遣傷なっても自身独立の主義に妨げのない限りは颯々と遣ります。例えば慶応義塾を開いて何十年来様々変化は多い。時としては生徒の減ることもあれば増ることもある。唯生徒ばかりでない、会計上からして教員の不足することも度々でしたが、ソンな時にも払は少しも狼狽しない。生徒が散ずれば散ずるまゝにして置け、教員が出て行くなら行くまゝにして留めるな、生徒散じ教員去て塾が空屋になれば、残る者は乃公一人だ、ソコで一人の根気で教えられる丈けの生徒を相手に自分が教授して遣る、ソレも生徒がなければ強いて教授しようとは云わぬ、福沢諭吉は大塾を開て天下の子弟を教えねばならぬと人に約束したことはない、塾の盛衰に気を揉むような馬鹿はせぬと、腹の底に極端の覚悟を定めて、塾を開たその時から、何時でもこの塾を潰して仕舞うと始終考えて居るから、少しも怖いものはない。平生は塾務を大切にして一生懸命に勉強もすれば心配もすれども、本当に私の心事の真面目を申せば、この勉強心配は浮世の戯れ、仮りの相ですから、勉めながらも誠に安気です。

書き下し

扨これまで長々と話を続けて、私の一身の事、又私に関係した世の中の事をも語りましたが、私の生涯中に一番骨を折たのは著書飜訳の事業で、是れには中々話が多いが、その次第は本年再版した福澤全集の緒言に記してあれば之を略し、著訳の事を別にして、元来私が家に居り世に処するの法を一括して手短に申せば、都て事の極端を想像して覚悟を定め、マサカの時に狼狽せぬように後悔せぬようにと計り考えて居ます。生きて居る身はいつ何時死ぬかも知れぬから、その死ぬ時に落付て静にしようと云うのは誰も考えて居ましょう。夫れと同様に、例えば私が自身自家の経済に就ては、何としても他人に対して不義理はせぬと心に決定して居るから、危い事を犯すことが出来ない。斯うすれば利益がある、爾うすれば金が出来るなど云ても、危険を犯して失敗したときには必ず狼狽することがあろう、後悔することがあろうと思て、手を出すことが出来ない。金を得て金を使うよりも、金がなければ使わずに居る。按摩按腹をしても餓えて死ぬ気遣いはない、粗衣粗食などに閉口する男でないと力身込んで居るような訳けで、私が経済上に不活溌なのは失敗の極端を恐れて鈍くして居るのですが、その外直接に一身の不義理にならぬ事に就ては必ずしも不活溌でない。トヾの詰り遣傷なっても自身独立の主義に妨げのない限りは颯々と遣ります。例えば慶應義塾を開いて何十年来様々変化は多い。時としては生徒の減ることもあれば増ることもある。唯生徒ばかりでない、会計上からして教員の不足することも度々でしたが、ソンな時にも払は少しも狼狽しない。生徒が散ずれば散ずるまゝにして置け、教員が出て行くなら行くまゝにして留めるな、生徒散じ教員去て塾が空屋になれば、残る者は乃公一人だ、ソコで一人の根気で教えられる丈けの生徒を相手に自分が教授して遣る、ソレも生徒がなければ強いて教授しようとは云わぬ、福澤諭吉は大塾を開て天下の子弟を教えねばならぬと人に約束したことはない、塾の盛衰に気を揉むような馬鹿はせぬと、腹の底に極端の覚悟を定めて、塾を開たその時から、何時でもこの塾を潰して仕舞うと始終考えて居るから、少しも怖いものはない。平生は塾務を大切にして一生懸命に勉強もすれば心配もすれども、本当に私の心事の真面目を申せば、この勉強心配は浮世の戯れ、仮りの相ですから、勉めながらも誠に安気です。

現代語訳

さて、これまで長々と話を続けて、私の一身のこと、また私に関係した世の中のことをも語りましたが、私の生涯の中で一番骨を折ったのは著書や翻訳の事業で、これにはなかなか話が多いのですが、その次第は今年再版した福澤全集の緒言に記してあるので省略します。著訳のことは別にして、そもそも私が家にあり世に処する法を一括して手短に申せば、すべて事の極端を想像して覚悟を定め、まさかの時に狼狽しないように、後悔しないようにとばかり考えています。生きている身はいつ何時死ぬかも知れないので、その死ぬときに落ち着いて静かにしようというのは、誰でも考えているでしょう。それと同様に、たとえば私が自分の家の経済については、どうしても他人に対して不義理はしないと心に決めているので、危ういことをする気になれません。こうすれば利益がある、ああすれば金ができるなどと言われても、危険を冒して失敗したときには必ず狼狽することがあろう、後悔することがあろうと思って、手を出すことができません。金を得て使うよりも、金がなければ使わずにいる。あんま、はり治療をしても飢え死にする心配はない、粗衣粗食などに閉口する男ではないと力んでいるわけで、私が経済上に不活発なのは、失敗の極端を恐れて鈍くしているのですが、そのほか直接一身の不義理にならないことについては、必ずしも不活発ではありません。最終的にやり損なっても、自分の独立の主義に妨げのない限りは、さっさとやります。 たとえば慶應義塾を開いて何十年来、さまざまな変化がありました。ときには生徒が減ることもあれば増えることもある。ただ生徒ばかりでなく、会計上から教員が不足することもたびたびでしたが、そんなときにも私は少しも狼狽しません。生徒が散るなら散るままにしておけ、教員が出て行くなら行くままにして留めるな、生徒が散じ教員が去って、塾が空き家になれば、残る者はこの俺一人だ。そこで一人の根気で教えられるだけの生徒を相手に、自分が教授してやる。それも生徒がなければ、強いて教授しようとは言わない。福澤諭吉は大塾を開いて天下の子弟を教えなければならぬと、人に約束したことはない。塾の盛衰に気を揉むような馬鹿はしないと、腹の底に極端の覚悟を定めて、塾を開いたそのときから、いつでもこの塾を潰してしまうと始終考えているので、少しも怖いものはありません。普段は塾務を大切にして一生懸命に勉強もし心配もしますが、本当に私の心事の真面目を申せば、この勉強心配は浮世の戯れ、仮の相ですから、勤めながらもまことに安気です。

解説

福沢の処世術の核心、極端を想像して覚悟を定める法です。最悪の事態を先に腹に落としておけば、まさかの時に狼狽も後悔もしない。経済では不義理だけは絶対にしないため、危ない投機には手を出さない。慶應義塾も、生徒が散じ教員が去って空き家になっても、自分一人で教えると決めておく。だから盛衰に気を揉まず安気に勤められる、という論です。最悪を受け入れているからこそ、平時に全力を出せる。事業の存続を背負う経営者や管理職にとって、肩の力を抜く心構えとして示唆に富む一節です。

この章句が説くこと

極端を想像覚悟不義理をしない慶応義塾安気浮世の戯れ

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人生を、一行の式にしてみた。

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