福翁自伝 / 老余の半生・事を為すに極端を想像す(2)
近日は又慶應義塾の維持の為めとて、本塾出身の先進輩が頻りに資金を募集して居ます。是れが出来れば斯道の為めに誠に有益な事で、私も大に喜びますが、果して出来るか出来ないか、私は唯静にして見て居ます。又時事新報の事も同様、最初から是非とも永続させねばならぬと誓を立てた訳けでもなし、或は倒れることもあろう、その時に後悔せぬようにと覚悟をして居るから、是れも左までの心配にならぬ。又私の著訳書に他人の序文を求めたことのないのも矢張り同じ趣意であると申すは、人の序文題字などを以て出版書の信用を増すは自から名誉でもあろうが、内実は発売を多くせんとするの計略と云ても宜しい。所が私の考は左様でない。自分の著訳書が世間に流行すれば宜いと固より心の中に願いながらも、又一方から考えて是れが全く売れなくても後悔はしないと、例の極端を覚悟して居るから、実際の役にも立たぬ余計な文字を人に書て貰たことはない。又他人に交わるの法もこの筆法に従い、私は若い時からドチラかと云えば出しゃばる方で、交際の広い癖に、遂ぞ人と喧嘩をしたこともない。親友も甚だ多いが、この交際に就ても矢張り極端説は忘れない。今日までこの通りに仲好く附合はして居るが、先方の人がいつ何時変心せぬと云う請合は六かしい。若し左様なれば交際は罷めなければならぬ。交際を罷めても此方の身に害を加えぬ限りは相手の人を憎むには及ばぬ、唯近づかぬようにする計りだ。コンな事で朋友が一人なくなり二人なくなり次第に淋しくなって、自分独り孤立するようになっても苦しうない、決して後悔しない、自分の節を屈して好かぬ交際は求めずと、少年の時から今に至るまでチャンと説は極めてありながら、扨実際には頓とソンな必要はない。生来六十余年の間に、知る人の数は何千も何万もあるその中で、誰と喧嘩したことも義絶したこともないのが面白い。都て斯う云う塩梅式で、私の流儀は仕事をするにも朋友に交わるにも、最初から棄身になって取て掛り、仮令い失敗しても苦しからずと、浮世の事を軽く視ると同時に一身の独立を重んじ、人間万事、停滞せぬようにと心の養生をして参れば、世を渡るに左までの困難もなく、安気に今日まで消光して来ました。
新字:近日は又慶応義塾の維持の為めとて、本塾出身の先進輩が頻りに資金を募集して居ます。是れが出来れば斯道の為めに誠に有益な事で、私も大に喜びますが、果して出来るか出来ないか、私は唯静にして見て居ます。又時事新報の事も同様、最初から是非とも永続させねばならぬと誓を立てた訳けでもなし、或は倒れることもあろう、その時に後悔せぬようにと覚悟をして居るから、是れも左までの心配にならぬ。又私の著訳書に他人の序文を求めたことのないのも矢張り同じ趣意であると申すは、人の序文題字などを以て出版書の信用を増すは自から名誉でもあろうが、内実は発売を多くせんとするの計略と云ても宜しい。所が私の考は左様でない。自分の著訳書が世間に流行すれば宜いと固より心の中に願いながらも、又一方から考えて是れが全く売れなくても後悔はしないと、例の極端を覚悟して居るから、実際の役にも立たぬ余計な文字を人に書て貰たことはない。又他人に交わるの法もこの筆法に従い、私は若い時からドチラかと云えば出しゃばる方で、交際の広い癖に、遂ぞ人と喧嘩をしたこともない。親友も甚だ多いが、この交際に就ても矢張り極端説は忘れない。今日までこの通りに仲好く附合はして居るが、先方の人がいつ何時変心せぬと云う請合は六かしい。若し左様なれば交際は罷めなければならぬ。交際を罷めても此方の身に害を加えぬ限りは相手の人を憎むには及ばぬ、唯近づかぬようにする計りだ。コンな事で朋友が一人なくなり二人なくなり次第に淋しくなって、自分独り孤立するようになっても苦しうない、決して後悔しない、自分の節を屈して好かぬ交際は求めずと、少年の時から今に至るまでチャンと説は極めてありながら、扨実際には頓とソンな必要はない。生来六十余年の間に、知る人の数は何千も何万もあるその中で、誰と喧嘩したことも義絶したこともないのが面白い。都て斯う云う塩梅式で、私の流儀は仕事をするにも朋友に交わるにも、最初から棄身になって取て掛り、仮令い失敗しても苦しからずと、浮世の事を軽く視ると同時に一身の独立を重んじ、人間万事、停滞せぬようにと心の養生をして参れば、世を渡るに左までの困難もなく、安気に今日まで消光して来ました。
書き下し
近日は又慶應義塾の維持の為めとて、本塾出身の先進輩が頻りに資金を募集して居ます。是れが出来れば斯道の為めに誠に有益な事で、私も大に喜びますが、果して出来るか出来ないか、私は唯静にして見て居ます。又時事新報の事も同様、最初から是非とも永続させねばならぬと誓を立てた訳けでもなし、或は倒れることもあろう、その時に後悔せぬようにと覚悟をして居るから、是れも左までの心配にならぬ。又私の著訳書に他人の序文を求めたことのないのも矢張り同じ趣意であると申すは、人の序文題字などを以て出版書の信用を増すは自から名誉でもあろうが、内実は発売を多くせんとするの計略と云ても宜しい。所が私の考は左様でない。自分の著訳書が世間に流行すれば宜いと固より心の中に願いながらも、又一方から考えて是れが全く売れなくても後悔はしないと、例の極端を覚悟して居るから、実際の役にも立たぬ余計な文字を人に書て貰たことはない。又他人に交わるの法もこの筆法に従い、私は若い時からドチラかと云えば出しゃばる方で、交際の広い癖に、遂ぞ人と喧嘩をしたこともない。親友も甚だ多いが、この交際に就ても矢張り極端説は忘れない。今日までこの通りに仲好く附合はして居るが、先方の人がいつ何時変心せぬと云う請合は六かしい。若し左様なれば交際は罷めなければならぬ。交際を罷めても此方の身に害を加えぬ限りは相手の人を憎むには及ばぬ、唯近づかぬようにする計りだ。コンな事で朋友が一人なくなり二人なくなり次第に淋しくなって、自分独り孤立するようになっても苦しうない、決して後悔しない、自分の節を屈して好かぬ交際は求めずと、少年の時から今に至るまでチャンと説は極めてありながら、扨実際には頓とソンな必要はない。生来六十余年の間に、知る人の数は何千も何万もあるその中で、誰と喧嘩したことも義絶したこともないのが面白い。都て斯う云う塩梅式で、私の流儀は仕事をするにも朋友に交わるにも、最初から棄身になって取て掛り、仮令い失敗しても苦しからずと、浮世の事を軽く視ると同時に一身の独立を重んじ、人間万事、停滞せぬようにと心の養生をして参れば、世を渡るに左までの困難もなく、安気に今日まで消光して来ました。
現代語訳
近ごろはまた、慶應義塾の維持のためとして、本塾出身の先輩たちがしきりに資金を募集しています。これができれば、この学問の道のためにまことに有益なことで、私も大いに喜びますが、果たしてできるかできないか、私はただ静かにして見ています。また時事新報のことも同様で、最初から是非とも永続させなければならぬと誓いを立てたわけでもなく、あるいは倒れることもあろう、その時に後悔しないようにと覚悟しているので、これもそれほどの心配になりません。また私の著訳書に他人の序文を求めたことがないのも、やはり同じ趣意だと申しますのは、人の序文や題字などで出版書の信用を増すのは、自然と名誉でもありましょうが、内実は発売を多くしようという計略と言ってもよい。ところが私の考えはそうではありません。自分の著訳書が世間に流行ればよいと、もとより心の中で願いながらも、また一方から考えて、これがまったく売れなくても後悔はしないと、例の極端を覚悟しているので、実際の役にも立たない余計な文字を、人に書いてもらったことはありません。 また他人と交わる法もこの筆法に従い、私は若い時からどちらかと言えば出しゃばるほうで、交際の広いわりに、ついぞ人と喧嘩をしたこともありません。親友も甚だ多いのですが、この交際についても、やはり極端説は忘れません。今日までこのように仲良く付き合ってはいますが、相手の人がいつ何時心変わりしないという請け合いは難しい。もしそうなれば交際はやめなければなりません。交際をやめても、こちらの身に害を加えない限りは、相手の人を憎むには及ばず、ただ近づかないようにするだけです。こうして友人が一人なくなり、二人なくなり、次第に寂しくなって、自分独り孤立するようになっても構わない、決して後悔しない、自分の節を曲げて、好かない交際は求めない、と少年のときから今に至るまでちゃんと方針は決めてありながら、さて実際にはまったくそんな必要はありません。生まれてから六十余年の間に、知る人の数は何千も何万もあるうち、誰と喧嘩したことも義絶したこともないのが面白い。すべてこういう具合で、私の流儀は、仕事をするにも友人と交わるにも、最初から捨て身になって取りかかり、たとえ失敗しても構わないと、浮世のことを軽く見ると同時に、一身の独立を重んじ、人間万事、停滞しないようにと心の養生をしてきたので、世を渡るのにさほどの困難もなく、安気に今日まで日を送ってきました。
解説
この章句が説くこと
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福翁自伝・老余の半生・事を為すに極端を想像す(1)扨これまで長々と話を続けて、私の一身の事、又私に関係した世の中の事をも語りましたが、私の生涯中に一番骨を折たのは著書飜訳の事業で、是れには中々話が多いが、その次第は本年再版した福澤全集の緒言に記してあれば之を略し、著訳の事を別にして、元来私が家に居り世に処するの法を一括して手短に申せば、都て事の極端を想像して覚悟を定め、マサカの時に狼狽せぬように後悔せぬようにと計り考えて居ます。生きて居る身はいつ何時死ぬかも知れぬから、その死ぬ時に落付て静にしようと云うのは誰も考えて居ましょう。夫れと同様に、例えば私が自身自家の経済に就ては、何としても他人に対して不義理はせぬと心に決定して居るから、危い事を犯すことが出来ない。斯うすれば利益がある、爾うすれば金が出来るなど云ても、危険を犯して失敗したときには必ず狼狽することがあろう、後悔することがあろうと思て、手を出すことが出来ない。金を得て金を使うよりも、金がなければ使わずに居る。按摩按腹をしても餓えて死ぬ気遣いはない、粗衣粗食などに閉口する男でないと力身込んで居るような訳けで、私が経済上に不活溌なのは失敗の極端を恐れて鈍くして居るのですが、その外直接に一身の不義理にならぬ事に就ては必ずしも不活溌でない。トヾの詰り遣傷なっても自身独立の主義に妨げのない限りは颯々と遣ります。例えば慶應義塾を開いて何十年来様々変化は多い。時としては生徒の減ることもあれば増ることもある。唯生徒ばかりでない、会計上からして教員の不足することも度々でしたが、ソンな時にも払は少しも狼狽しない。生徒が散ずれば散ずるまゝにして置け、教員が出て行くなら行くまゝにして留めるな、生徒散じ教員去て塾が空屋になれば、残る者は乃公一人だ、ソコで一人の根気で教えられる丈けの生徒を相手に自分が教授して遣る、ソレも生徒がなければ強いて教授しようとは云わぬ、福澤諭吉は大塾を開て天下の子弟を教えねばならぬと人に約束したことはない、塾の盛衰に気を揉むような馬鹿はせぬと、腹の底に極端の覚悟を定めて、塾を開たその時から、何時でもこの塾を潰して仕舞うと始終考えて居るから、少しも怖いものはない。平生は塾務を大切にして一生懸命に勉強もすれば心配もすれども、本当に私の心事の真面目を申せば、この勉強心配は浮世の戯れ、仮りの相ですから、勉めながらも誠に安気です。
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福翁自伝・雑記・独立敢て新事例を開く(1)私の考は塾に少年を集めて原書を読ませる計りが目的ではない。如何様にもしてこの鎖国の日本を開て西洋流の文明に導き、富国強兵以て世界中に後れを取らぬようにしたい。左りとて唯これを口に言うばかりでなく、近く自分の身より始めて、仮初めにも言行齟齬しては済まぬ事だと、先ず一身の私を慎しみ、一家の生活法を謀り、他人の世話にならぬようにと心掛けて、扨一方に世の中を見て文明改進の為めに施して見たいと思う事があれば、世論に頓着せず思切て試みました。例えば前にも申した通り、学生から授業料の金を取立てる事なり、武士の魂と云う双刀を棄てゝ丸腰になる事なり、演説の新法を人に説て之を実地に施す事なり、又は著訳書に古来の文章法を破て平易なる通俗文を用うる事なり、凡そ是等は当時の古風家に嫌われる事であるが、幸に私の著訳は世間の人気に役じて渇する者に水を与え、大旱に夕立のしたようなもので、その売れたことは実に驚く程の数でした。時節の悪いときに、ドンな文章家ドンな学者が何を著述したって何を飜訳したって、私の出版書のように売れよう訳けはない。畢竟私の才力がエライと云うよりも、時節柄がエラかったのである。又その時代の学者達が筆不調法であったか、馬鹿に青雲熱に浮かされて身の程を知らず時勢を見ることを知らなかったか、マアそのくらいの事だと思われる。兎にも角にも著訳書が私の身を立て家を成す唯一の基本になって、ソレで私塾を開ても、生徒から僅ばかりの授業料を掻集めて私の身に着けるようなケチな事をせずに、全く教師等の所得にすることが出来たその上に、折々私の財嚢から金を出して塾用を弁ずることも出来ました。 所で私の性質は全体放任主義と云おうか、又は小慾にして大無慾とでも云おうか、塾の事に就て朝夕心を用いて一生懸命、些細の事まで種々無量に心配しながら、又一方ではこの塾にブラサガッて居る身ではない、是非とも慶應義塾を永久に遺して置かなければならぬと云う義務もなければ名誉心もないと、初めから安心決定して居るから、随て世の中に怖いものがない。同志の後進生と相談して思う通りに事を行えば、塾中自から独立の気風を生じて世間の反りに合わぬことも多いのと、又一つには私が政治社会に出ることを好まずに在野の身でありながら、口もあれば筆もあるから颯々と言論して、時としてはその言論が政府の癪に障ることもあろう。実を云えば私は政府に対して不平はない、役人達の以前が、無鉄砲な攘夷家であろうとも、人を困らせた奴であろうとも、一切既往を云わず、唯今日の文明主義に変化して開国一偏に国事を経営して呉れゝば遺憾なしと思えども、何かの気まぐれに官民とか朝野とか忌に区別を立てゝ、私塾を疏外し邪魔にして、甚だしきは之を妨げんなんとケチな事をされたのには少々困りました。今これを云えば話も長し言葉も穢くなるから抜きにして、近年帝国議会の開設以来は官辺の風も大に改まりて、余り酷い事はない。何れ遠からぬ中に双方打解けるように成るでしょう。
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福翁自伝・一身一家経済の由来・他人に私事を語らず私が経済上に堅固を守て臆病で大胆な事の出来ないのは、先天の性質であるか、抑も亦身の境遇に駈られて遂に堅く凝り固まったものでしょう。本年六十五歳になりますが、二十一歳のとき家を去て以来、自から一身の謀を為し、二十三歳、家兄を喪いしより後は、老母と姪と二人の身の上を引受け、二十八歳にして妻を娶り子を生み、一家の責任を自分一身に担うて、今年に至るまで四十五年のその間、二十三歳の冬大阪緒方先生に身の貧困を訴えて大恩に浴したるのみ、その他は仮初にも身事家事の私を他人に相談したこともなければ又依頼したこともない。人の智恵を借りようとも思わず、人の差図を受けようとも思わず、人間万事天運に在りと覚悟して、勉めることは飽くまでも根気能く勉めて、種々様々の方便を運らし、交際を広くして愛憎の念を絶ち、人に勧め又人の同意を求めるなどは十人並に遣りながら、ソレでも思う事の叶わぬときは、尚おそれ以上に進んで哀願はしない、唯元に立戻て独り静に思止るのみ。詰る所、他人の熱に依らぬと云うのが私の本願で、この一義は私が何時発起したやら、自分にも是れと云う覚えはないが、少年の時からソンな心掛け、イヤ心掛けと云うよりもソンな癖があったと思われます。
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福翁自伝・老余の半生・時事新報ソレから明治十五年に時事新報と云う新聞紙を発起しました。丁度十四年政府変動の後で、慶應義塾先進の人達が私方に来て頻りにこの事を勧める。私も亦自分で考えて見るに、世の中の形勢は次第に変化して、政治の事も商売の事も日々夜々運動の最中、相互に敵味方が出来て議論は次第に喧しくなるに違いない。既に前年の政変も孰れが是か非かソレは差置き、双方主義の相違で喧嘩をしたことである。政治上に喧嘩が起れば経済商売上にも同様の事が起らねばならぬ。今後はいよ/\ます/\甚だしい事になるであろう。この時に当て必要なるは所謂不偏不党の説であるが、扨その不偏不党とは口でこそ言え、口に言いながら心に偏する所があって一身の利害に引かれては迚も公平の説を立てる事が出来ない。ソコで今全国中に聊かながら独立の生計を成して多少の文思もありながら、その身は政治上にも商売上にも野心なくして恰も物外に超然たる者は、※呼がましくも自分の外に適当の人物が少なかろうと心の中に自問自答して、遂に決心して新事業に着手したものが即ち時事新報です。既に決断した上は友人中これを止める者もありしが、一切取合わず、新聞紙の発売数が多かろうと少なかろうと他人の世話になろうと思わず、この事を起すも自力なれば倒すも自力なり、仮令い失敗して廃刊しても一身一家の生計を変ずるに非ず、又自分の不名誉とも思わず、起すと同時に倒すの覚悟を以て、世間の風潮に頓着なしに今日までも首尾能く遣て来たことですが、畢竟私の安心決定とは申しながら、その実は私の朋友には正直有為の君子が多くて、何事を打任せても間違いなど云う忌な心配は聊かもない。発行の当分、何年の間は中上川彦次郎が引受け、その後は伊藤欽亮、今は次男の捨次郎が之に任じ、会計は本山彦一、次で坂田実、今は戸張志智之助等が専ら担任して居ますが、私の性質として金銭出納の細目を聞たこともなく、見たこともなく、その人々のするがまゝに任かせて置て、曾て一度も変な間違いの出来たことはない。誠に安心気楽なものです。コンな事が新聞事業の永続する訳けでしょう。又編輯の方に就て申せば、私の持論に、執筆者は勇を鼓して自由自在に書くべし、他人の事を論じ他人の身を評するには、自分とその人と両々相対して直接に語られるような事に限りて、それ以外に逸すべからず、如何なる劇論、如何なる大言壮語も苦しからねど、新聞紙に之を記すのみにて、扨その相手の人に面会したとき自分の良心に愧じて率直に陳べることの叶わぬ事を書て居ながら、遠方から知らぬ風をして恰も逃げて廻わるようなものは、之を名づけて蔭弁慶の筆と云う、その蔭弁慶こそ無責任の空論と為り、罵言讒謗の毒筆と為る、君子の愧ずべき所なりと常に警しめて居ます。併し私も次第に年をとり、何時までもコンな事に勉強するでもなし、老余は成る丈け閑静に日を送る積りで、新聞紙の事も若い者に譲り渡して段々遠くなって、紙上の論説なども石河幹明、北川礼弼、堀江帰一などが専ら執筆して、私は時々立案してその出来た文章を見て一寸々々加筆する位にして居ます。
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福翁自伝・老余の半生・独立の手本を示さんとす(1)第四には、勤王佐幕など云う喧しい議論は差置き、維新政府の基礎が定まると、日本国中の士族は無論、百姓の子も町人の弟も、少しばかり文字でも分る奴は皆役人になりたいと云う。仮令い役人にならぬでも、兎に角に政府に近づいて何か金儲でもしようと云う熱心で、その有様は臭い物に蠅のたかるようだ。全国の人民、政府に依らねば身を立てる処のないように思うて、一身独立と云う考は少しもない。偶ま外国修業の書生などが帰て来て、僕は畢生独立の覚悟で政府仕官は思いも寄らぬ、なんかんと鹿爪らしく私方へ来て満腹の気焔を吐く者は幾らもある。私は最初から当てにせずに宜い加減に聞流して居ると、その独立先生が久しく見えぬ。スルと後に聞けばその男はチャンと何省の書記官に為り、運の好い奴は地方官になって居ると云うような風で、何も之を咎めるではない、人々の進退はその人の自由自在なれども、全国の人が唯政府の一方を目的にして外に立身の道なしと思込んで居るのは、畢竟漢学教育の余弊で、所謂宿昔青雲の志と云うことが先祖以来の遺伝に存して居る一種の迷である。今この迷を醒まして文明独立の本義を知らせようとするには、天下一人でもその真実の手本を見せたい、亦自からその方針に向う者もあるだろう、一国の独立は国民の独立心から湧て出てることだ、国中を挙げて古風の奴隷根性では迚も国が持てない、出来ることか出来ないことかソンな事に躊躇せず、自分がその手本になって見ようと思付き、人間万事無頓着と覚悟を定めて、唯独立独歩と安心決定したから、政府に依りすがる気もない、役人達に頼む気もない。貧乏すれば金を使わない、金が出来れば自分の勝手に使う。人に交わるには出来る丈けの誠を尽して交わる、ソレでも忌と云えば交わって呉れなくても宜しい。客を招待すれば此方の家風の通りに心を用いて饗応する、その風が嫌いなら来て呉れなくても苦しうない。此方の身に叶う丈けを尽して、ソレから上は先方の領分だ。誉めるなり譏るなり喜ぶなり怒るなり勝手次第にしろ、誉められて左まで歓びもせず、譏られて左まで腹も立てず、いよ/\気が合わねば遠くに離れて附合わぬ計りだ。一切万事、人にも物にもぶら下らずに、云わば捨身になって世の中を渡るとチャンと説を定めて居るから、何としても政府へ仕官などは出来ない。この流儀が果して世の中の手本になって宜い事か、悪い事か、ソレも無頓着だ、宜ければ甚だ宜しい、悪るければソレまでの事だ、その先きまで責任を脊負い込もうとは思いません。
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福翁自伝・品行家風・莫逆の友なし経済の事は右の如くにして、私は私の流義を守て生涯このまゝ替えずに終ることであろうと思いますが、ソレから又自分の一身の行状は如何であったか、家を成した後に家の有様は如何かと云うことに付て、有りのまゝの次第を語りましょう。扨私の若い時は如何だと申すに、中津に居たとき子供の時分から成年に至るまで、何としても同藩の人と打解けて真実に交わることが出来ない、本当に朋友になって共々に心事を語る所謂莫逆の友と云うような人は一人もない、世間にないのみならず親類中にもない、と云て私が偏窟者で人と交際が出来ないと云うではない。ソリャ男子に接しても婦人に逢うても快く話をして、ドチラかと云えばお饒舌りの方であったが、本当を云うと表面ばかりで、実はこの人の真似をして見たい、彼の人のように成りたいとも思わず、人に誉められて嬉しくもなく、悪く云われて怖くもなく、都て無頓着で、悪く評すれば人を馬鹿にして居たようなもので、仮初にも争う気がないその証拠には、同年輩の子供と喧嘩をしたことがない、喧嘩をしなければ怪我もしない、友達と喧嘩をして泣て家に帰て阿母さんに言告けると云うようなことは唯の一度もない。口先き計り達者で内実は無難無事な子でした。
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