福翁自伝 / 品行家風・醜声外聞の評判却て名誉
ソコで或時奥平藩の家老が態々私を呼びによこして、扨云うよう、足下は近来某々の家などに毎度出入して、例の如く夜分晩くまで酒を飲で居るとの風聞、某家には娘もあり、某家は何時も芸妓など出入して家風が宜しくない、足下がそんな処に近づいて醜声外聞とは残念だ、君子は瓜田に履を結ばず、李下に冠を正さずと云うことがある、年若い大事な身体である、少し注意致したら宜かろうと、真面目になって忠告したから、私はその時少しも謝らない。左様で御在ますか、コリャ面白い。私は今まで随分太平楽を云たとか、恐ろしい声高に話をして居たとか云て、毎度人から嫌がられたこともありましょうが、併し艶男と云われたのは今日が生れてから始めて。コリャ私の名誉で、至極面白い話だから私は罷めますまい。相替らずその家に出入しましょう。此処で御注意を蒙て夫れで前非を改めて罷めるなんて、ソンな弱い男ではござらぬ。但し御親切は難有い、御礼は申上げましょうが、実は私は何とも思わぬ。却て面白いから、モッと評判を立てゝ貰いたいと云て、冷かして帰た事があります。
書き下し
ソコで或時奥平藩の家老が態々私を呼びによこして、扨云うよう、足下は近来某々の家などに毎度出入して、例の如く夜分晩くまで酒を飲で居るとの風聞、某家には娘もあり、某家は何時も芸妓など出入して家風が宜しくない、足下がそんな処に近づいて醜声外聞とは残念だ、君子は瓜田に履を結ばず、李下に冠を正さずと云うことがある、年若い大事な身体である、少し注意致したら宜かろうと、真面目になって忠告したから、私はその時少しも謝らない。左様で御在ますか、コリャ面白い。私は今まで随分太平楽を云たとか、恐ろしい声高に話をして居たとか云て、毎度人から嫌がられたこともありましょうが、併し艶男と云われたのは今日が生れてから始めて。コリャ私の名誉で、至極面白い話だから私は罷めますまい。相替らずその家に出入しましょう。此処で御注意を蒙て夫れで前非を改めて罷めるなんて、ソンな弱い男ではござらぬ。但し御親切は難有い、御礼は申上げましょうが、実は私は何とも思わぬ。却て面白いから、モッと評判を立てゝ貰いたいと云て、冷かして帰た事があります。
現代語訳
そこで、あるとき奥平藩の家老がわざわざ私を呼びによこして、さて言うには、君は近ごろ某々の家などにたびたび出入りして、例のとおり夜遅くまで酒を飲んでいるとの風聞である。某家には娘もあり、某家はいつも芸妓などが出入りして家風がよろしくない。君がそんなところに近づいて醜聞や外聞を立てるとは残念だ。君子は瓜田に履を結ばず、李下に冠を正さずということがある。年若く大事な身体である。少し注意をしたらよかろうと、真面目になって忠告したので、私はその時、少しも謝りませんでした。そうですか、これは面白い。私は今までずいぶん太平楽を言ったとか、恐ろしい大声で話をしていたとか言って、たびたび人から嫌がられたこともあるでしょうが、しかし艶男と言われたのは今日が生まれて初めてです。これは私の名誉で、まことに面白い話だから私はやめますまい。相変わらずその家に出入りしましょう。ここでご注意を受けて、それで前非を改めてやめるなんて、そんな弱い男ではございません。ただしご親切はありがたい、お礼は申し上げましょうが、実は私は何とも思いません。かえって面白いから、もっと評判を立ててもらいたいと言って、からかって帰ったことがあります。
解説
この章句が説くこと
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