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福翁自伝 / 品行家風・嫌疑を憚らず

左様いう訳けで私は若い時から婦人に対して仮初にも無礼はしない。仮令い酒に酔ても謹しむ所は屹と謹しみ、女の忌がるような禁句を口外したことはない。上戸本性で、謹みながら女を相手に話もすれば笑いもして談笑自在、何時も慣れ/\しくして、その極は世間で云う嫌疑と云うような事を何とも思わぬ。血に交わりて赤くならぬこそ男子たる者の本領であると、チャンと自分に説を極めてあるから、男女夜行くときは灯を照らすとか、物を受授するに手より手にせずとか、アンな古めかしい教訓は、私の眼から見ると唯可笑しいばかり。扨も/\卑怯なる哉、ソンな窮窟な事で人間世界が渡れるものか、世間の人が妙な処に用心するのはサゾ忙しいことであろう、自分は古人の教に縛れる気はないと、自から自分の身を信じて颯々と人の家に出入して、其処にお嬢さんが居ようと、若い内君が独り留守して居ようと、又は杯盤狼藉の常に芸妓とか何とか云う者が騒いで居ようと、少しも遠慮はしない。酒を飲で大きな声をしてドン/\話をして、酔えば面白くなって戯れて居ると云うような風であるから、或は人が見たらば変に思うこともありましょう。

書き下し

左様いう訳けで私は若い時から婦人に対して仮初にも無礼はしない。仮令い酒に酔ても謹しむ所は屹と謹しみ、女の忌がるような禁句を口外したことはない。上戸本性で、謹みながら女を相手に話もすれば笑いもして談笑自在、何時も慣れ/\しくして、その極は世間で云う嫌疑と云うような事を何とも思わぬ。血に交わりて赤くならぬこそ男子たる者の本領であると、チャンと自分に説を極めてあるから、男女夜行くときは灯を照らすとか、物を受授するに手より手にせずとか、アンな古めかしい教訓は、私の眼から見ると唯可笑しいばかり。扨も/\卑怯なる哉、ソンな窮窟な事で人間世界が渡れるものか、世間の人が妙な処に用心するのはサゾ忙しいことであろう、自分は古人の教に縛れる気はないと、自から自分の身を信じて颯々と人の家に出入して、其処にお嬢さんが居ようと、若い内君が独り留守して居ようと、又は杯盤狼藉の常に芸妓とか何とか云う者が騒いで居ようと、少しも遠慮はしない。酒を飲で大きな声をしてドン/\話をして、酔えば面白くなって戯れて居ると云うような風であるから、或は人が見たらば変に思うこともありましょう。

現代語訳

そういうわけで私は若い時から、婦人に対してかりそめにも無礼はしません。たとえ酒に酔っても慎むところはきっと慎み、女が嫌がるような禁句を口外したことはありません。上戸の本性で、慎みながら女を相手に話もすれば笑いもして談笑自在、いつもなれなれしくして、その極みは、世間でいう嫌疑ということを何とも思いません。血に交わって赤くならないのこそ男子たる者の本領であると、ちゃんと自分で説を決めてありますから、男女は夜に行くときは灯を照らすとか、物の受け渡しは手から手へしないとか、あんな古めかしい教訓は、私の目から見るとただおかしいばかりです。いやはや卑怯なことだ、そんな窮屈なことで人間世界が渡れるものか、世間の人が妙なところに用心するのはさぞ忙しいことだろう、自分は古人の教えに縛られる気はないと、自分の身を信じて、さっさと人の家に出入りして、そこにお嬢さんがいようと、若い奥さんが一人で留守番をしていようと、あるいは杯盤狼藉の席に芸妓とかいう者が騒いでいようと、少しも遠慮はしません。酒を飲んで大きな声でどんどん話をして、酔えば面白くなってふざけているという風ですから、あるいは人が見たら変に思うこともあるでしょう。

解説

男女の交際に関する古い慎みを、福沢は窮屈な形式主義として笑い飛ばします。自分の身を信じて堂々と振る舞うことで、疑いを避けようとする用心そのものを無駄な忙しさだと見るのです。儒教的な男女の別を、形ではなく本人の品行で保つという考え方で、これは啓蒙家としての一貫した姿勢でもあります。ただし、現代では相手がどう感じるかを基準に、振る舞いを選ぶ配慮が欠かせません。自分に疚しさがなくても、相手の受け止め方次第で関係が損なわれることがあります。信念と配慮の両立を考えさせられます。

この章句が説くこと

品行男女嫌疑古い教訓談笑自信

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