導師導古典を学びたいすべての人に 法人向けワークシート法人向けワークシート

福翁自伝 / 一身一家経済の由来・商売の実地を知らず

話は以前に立還て復た経済を語りましょう。私は金銭の事を至極大切にするが、商売は甚だ不得手である、その不得手とは敢て商売の趣意を知らぬではない、その道理は一通り心得て居る積りだが、自分に手を着けて売買貸借は何分ウルサクて面倒臭くて遣る気がない。且つむかしの士族書生の気風として、利を貪るは君子の事に非ずなんと云うことが脳に染込んで、商売は愧かしいような心持がして、是れも自から身に着き纏うて居るでしょう。既に江戸に始めて来たとき、同藩の先輩岡見彦曹と云う人が、和蘭辞書の原書を飜刻して一冊の代価五両、その時には安いもので随分望む人もある中に、私が世話をして朋友に一冊買わせて、その代金五両を岡見に持て行くと、主人が金一分、紙に包んで呉れたから驚いた、是れは何の事か少しも分らん、本の世話をして売たその礼とは呆れた話だ、畢竟主人が少年書生と見縊て金を恵む了簡であろう、無礼な事をするもの哉と少し心に立腹して、真面目になって争う事があると云うような次第で、物の売買に手数料などゝ云うことは町人共の話として、書生の身には夢ほども知らない。

新字:話は以前に立還て復た経済を語りましょう。私は金銭の事を至極大切にするが、商売は甚だ不得手である、その不得手とは敢て商売の趣意を知らぬではない、その道理は一通り心得て居る積りだが、自分に手を着けて売買貸借は何分ウルサクて面倒臭くて遣る気がない。且つむかしの士族書生の気風として、利を貪るは君子の事に非ずなんと云うことが脳に染込んで、商売は愧かしいような心持がして、是れも自から身に着き纏うて居るでしょう。既に江戸に始めて来たとき、同藩の先輩岡見彦曹と云う人が、和蘭辞書の原書を翻刻して一冊の代価五両、その時には安いもので随分望む人もある中に、私が世話をして朋友に一冊買わせて、その代金五両を岡見に持て行くと、主人が金一分、紙に包んで呉れたから驚いた、是れは何の事か少しも分らん、本の世話をして売たその礼とは呆れた話だ、畢竟主人が少年書生と見縊て金を恵む了簡であろう、無礼な事をするもの哉と少し心に立腹して、真面目になって争う事があると云うような次第で、物の売買に手数料などゝ云うことは町人共の話として、書生の身には夢ほども知らない。

書き下し

話は以前に立還て復た経済を語りましょう。私は金銭の事を至極大切にするが、商売は甚だ不得手である、その不得手とは敢て商売の趣意を知らぬではない、その道理は一通り心得て居る積りだが、自分に手を着けて売買貸借は何分ウルサクて面倒臭くて遣る気がない。且つむかしの士族書生の気風として、利を貪るは君子の事に非ずなんと云うことが脳に染込んで、商売は愧かしいような心持がして、是れも自から身に着き纏うて居るでしょう。既に江戸に始めて来たとき、同藩の先輩岡見彦曹と云う人が、和蘭辞書の原書を飜刻して一冊の代価五両、その時には安いもので随分望む人もある中に、私が世話をして朋友に一冊買わせて、その代金五両を岡見に持て行くと、主人が金一分、紙に包んで呉れたから驚いた、是れは何の事か少しも分らん、本の世話をして売たその礼とは呆れた話だ、畢竟主人が少年書生と見縊て金を恵む了簡であろう、無礼な事をするもの哉と少し心に立腹して、真面目になって争う事があると云うような次第で、物の売買に手数料などゝ云うことは町人共の話として、書生の身には夢ほども知らない。

現代語訳

話は元に戻って、また経済を語りましょう。私は金銭のことをたいへん大切にしますが、商売はきわめて不得手です。その不得手というのは、決して商売の趣旨を知らないのではなく、その道理は一通り心得ているつもりですが、自分で手を下して売買貸借をするのは、どうにもうるさくて面倒くさく、やる気がありません。かつ昔の士族書生の気風として、利をむさぼるのは君子のすることではない、などということが頭に染み込んでいて、商売は恥ずかしいような気持ちがし、これも自然と身についているのでしょう。すでに江戸に初めて来たとき、同藩の先輩の岡見彦曹という人がオランダ辞書の原書を翻刻して、一冊の代価が五両で、その時には安いものでずいぶん欲しがる人もいるなか、私が世話をして友人に一冊買わせ、その代金五両を岡見に持っていくと、主人が金一分を紙に包んでくれたので驚きました。これは何のことか少しも分からない。本の世話をして売ったその礼とはあきれた話だ、結局、主人が少年書生と見くびって金を恵むつもりなのだろう、無礼なことをするものだと、少し腹を立てて、真面目になって争ったということがありました。そのような次第で、物の売買に手数料などということは町人たちの話で、書生の身には夢にも知らなかったのです。

解説

福沢は金銭を大切にしながら、商売は苦手だと正直に告白します。理屈は分かるが、手を動かすのが面倒で、利を求めるのは君子のすることではないという士族の気風も染みついていた、というのです。江戸に出たばかりの頃、辞書の売買を仲介して手数料を渡されたとき、礼金を恵みと受け取って腹を立てた逸話は、仲介の対価という発想がなかった書生の姿を伝えます。知識はあっても、仕事の対価を受け取る感覚は別の訓練だと分かります。専門職が自分の仕事に値段をつけることを恥ずかしがる現代の姿にも重なります。

この章句が説くこと

金銭商売士族手数料岡見彦曹利

関連する章句

『人生の方程式』の表紙

人生を、一行の式にしてみた。

志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。

本の中身を見る
本2冊(人生の方程式・人生の教科書)+師導1か月=700円 本を見る