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福翁自伝 / 一身一家経済の由来・旧藩の平穏は自から原因あり

私の経済話から段々枝がさいて長くなりましたが、序ながら中津藩の事に就て、モ少し云う事があります。前に申す通り私は勤王佐幕など云う天下の政治論に少しも関係しないのみならず、奥平藩の藩政にまでも至極淡泊にあったと云うその為めに、茲に随分心に快いことがある、と云うのはあの王政維新の改革が行われたときに、諸藩の事情を察するに、勤王佐幕の議論が盛で、動もすれば旧大臣等に腹を切らせるとか、大英断を以て藩政改革とか云う為めに、一藩中に争論が起り、党派が分れて血を流すと云うようなことは、何れの藩も十中八、九、皆ソレであったその時に、若し私に政治上の功名心があって、藩に行て佐幕とか勤王とか何か云出せば、必ず一騒動を起すに違いない。所が私は黙て居て一寸も発言せず、人が噂をすれば、爾う喧しく云わんでも宜い、棄てゝ置きなさいと云うように、極淡泊にして居たから、中津の藩中が誠に静で、人殺しも何もなかったのはソレが為めだろうと思います。人殺しどころか人を黜陟したと云うこともなかった。

書き下し

私の経済話から段々枝がさいて長くなりましたが、序ながら中津藩の事に就て、モ少し云う事があります。前に申す通り私は勤王佐幕など云う天下の政治論に少しも関係しないのみならず、奥平藩の藩政にまでも至極淡泊にあったと云うその為めに、茲に随分心に快いことがある、と云うのはあの王政維新の改革が行われたときに、諸藩の事情を察するに、勤王佐幕の議論が盛で、動もすれば旧大臣等に腹を切らせるとか、大英断を以て藩政改革とか云う為めに、一藩中に争論が起り、党派が分れて血を流すと云うようなことは、何れの藩も十中八、九、皆ソレであったその時に、若し私に政治上の功名心があって、藩に行て佐幕とか勤王とか何か云出せば、必ず一騒動を起すに違いない。所が私は黙て居て一寸も発言せず、人が噂をすれば、爾う喧しく云わんでも宜い、棄てゝ置きなさいと云うように、極淡泊にして居たから、中津の藩中が誠に静で、人殺しも何もなかったのはソレが為めだろうと思います。人殺しどころか人を黜陟したと云うこともなかった。

現代語訳

私の経済の話から次第に枝が分かれて長くなりましたが、ついでに中津藩のことについて、もう少し言っておくことがあります。前に申したとおり、私は勤王だ佐幕だという天下の政治論にまったく関係しなかっただけでなく、奥平藩の藩政にまでもたいへん淡泊でしたが、そのおかげで、ここにずいぶん心地よいことがあります。というのは、あの王政維新の改革が行われたとき、諸藩の事情を見ると、勤王だ佐幕だという議論が盛んで、ともすれば旧来の大臣たちに腹を切らせるとか、大英断をもって藩政改革とかいうために、一藩の中に争論が起こり、党派が分かれて血を流すようなことは、どの藩も十に八、九までみなそうだったその時に、もし私に政治上の功名心があって、藩に行って佐幕とか勤王とか何か言い出せば、きっと一騒動を起こしたに違いありません。ところが私は黙っていて一言も発言せず、人が噂をすれば、そうやかましく言わなくてもよい、放っておきなさいというように、ごく淡泊にしていたから、中津の藩中がまことに静かで、人殺しも何もなかったのはそのせいだろうと思います。人殺しどころか、人を降格したり昇進させたりしたこともありませんでした。

解説

維新の動乱で多くの藩が内紛に陥るなか、中津藩が平穏だった理由を、福沢は自分が何も言い出さなかったことに求めています。中津は豊前の小藩で、福沢は藩の外に出て洋学者になった人物でした。藩の政治に口を出さない立場だったことが、結果として争いの火種を作らなかったと振り返っています。やや自画自賛にも聞こえますが、組織が揺れるとき、発言力のある人が功名心で動けば対立が深まるという指摘は鋭いものです。変化の局面では、何をするかだけでなく、何をしないかも責任のうちだと気づかされます。

この章句が説くこと

中津藩勤王佐幕淡泊藩政平穏

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