福翁自伝 / 一身一家経済の由来・原書を名にして金を貪る
又或る時、家老奥平壱岐の処に原書を持参して、御買上を願うと持込んだ所が、この家老は中々黒人、その原書を見て云うに、是れは宜い原書だ、大層高価のものだろうと頻りに賞めるから、此方はチャンと向うの腹を知て居る、有益な本で実価は安いなどと威張て出掛けると、ソレじゃ外へ持て行けと云うに極て居るから、一番、その裏を掻て、「左様です、原書は誠に必要な原書ですが、之を私が奥平様にお買上げを願うと云うのは、この代金を私が請取て、その金は私が使て、爾うしてその御買上げになった原書を私が拝借しようと斯う云うので、正味を申せば私がマア金を唯貰おうと云う策略でござる。斯くの通り平たく心の実を明らさまに申上げるのだから、ドウかこの原書を名にして金を下さい。一口に申せば私は体の宜い乞食、お貰い見たようなものでござると打付けた所が、家老も仕方がない、その訳けは、家老が以前に自分の持て居る原書一冊を奥平藩に二十何両かで売付けたことがあるその事を聞込んだから私が行たので、若しも否めばお前さんはドウだと暴れて遣ろうと云う強身の伏線がある、丸で脅迫手段だから、家老も仕方なしに承知して、私も矢張りその原書を名にして先例に由り二十何両かの金を取て、その内十五両を故郷の母の方に送て一時の窮を凌ぎました。
書き下し
又或る時、家老奥平壱岐の処に原書を持参して、御買上を願うと持込んだ所が、この家老は中々黒人、その原書を見て云うに、是れは宜い原書だ、大層高価のものだろうと頻りに賞めるから、此方はチャンと向うの腹を知て居る、有益な本で実価は安いなどと威張て出掛けると、ソレじゃ外へ持て行けと云うに極て居るから、一番、その裏を掻て、「左様です、原書は誠に必要な原書ですが、之を私が奥平様にお買上げを願うと云うのは、この代金を私が請取て、その金は私が使て、爾うしてその御買上げになった原書を私が拝借しようと斯う云うので、正味を申せば私がマア金を唯貰おうと云う策略でござる。斯くの通り平たく心の実を明らさまに申上げるのだから、ドウかこの原書を名にして金を下さい。一口に申せば私は体の宜い乞食、お貰い見たようなものでござると打付けた所が、家老も仕方がない、その訳けは、家老が以前に自分の持て居る原書一冊を奥平藩に二十何両かで売付けたことがあるその事を聞込んだから私が行たので、若しも否めばお前さんはドウだと暴れて遣ろうと云う強身の伏線がある、丸で脅迫手段だから、家老も仕方なしに承知して、私も矢張りその原書を名にして先例に由り二十何両かの金を取て、その内十五両を故郷の母の方に送て一時の窮を凌ぎました。
現代語訳
また、あるとき、家老の奥平壱岐のところに原書を持参して、お買い上げを願うと持ち込んだところ、この家老はなかなか玄人で、その原書を見て、これはいい原書だ、大層高価の物だろうとしきりにほめます。こちらはちゃんと向こうの腹を知っていて、有益な本で実価は安いなどと威張って出れば、それじゃ外へ持って行けと言うに決まっているので、ひとつ、その裏をかいて、「左様です。原書は誠に必要な原書ですが、これを私が奥平様にお買い上げ願うというのは、この代金を私が受け取り、その金は私が使い、そのうえでそのお買い上げになった原書を私が拝借しようということで、正味を申せば、私がまあ金をただもらおうという策略でござる。このようにありのまま、心の実をあからさまに申し上げるのだから、どうかこの原書を名にして金をください。一口に申せば、私は体裁のいい乞食、お貰いのようなものでござる」と打ち付けたところ、家老も仕方がありません。その訳は、家老が以前に自分の持っていた原書一冊を奥平藩に二十何両かで売りつけたことがあり、そのことを聞き込んでいたので私が行ったのです。もし否むなら、お前さんはどうだと暴れてやろうという強みの伏線があり、まるで脅迫手段でしたから、家老も仕方なしに承知し、私もやはりその原書を名にして、先例に従い二十何両かの金を取り、そのうち十五両を故郷の母のほうに送って、一時の窮を凌ぎました。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『甲陽軍鑑』品第四十八扨また諸人の批判には、さいげんなき法花坊機にあがらん、又はあぶられんとのさた也、奉行衆も此以前岩村田法華坊主、何にても證拠なきさへ以て御分国をはらはるゝ、まして是は大方の御成敗にては有間敷、いそぎ改め出し、日記に付、言上申べしとて書立を以て申上る、
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『政談』諸役人職分支配を分つ事譬へは国境郷村の境山垂れ等分明ならす、度々所々の公事絶ゆることなし、是兼ねて其の所を支配する人明かに我か支配を知らぬ故なり、其の支配所を知りて事出つへき所は下より申し出てすとも、申し立てゝ御当家の御定めありたきことなり、御当家の御定め無きに遠国の事を在江戸の奉行之を捌かんとするとも詮方なし、これによりてかろきみのう撿使につかはせはかりもの格を取証拠無けれは捌かれぬ故小田原又は信玄又は信長公又は太閤なとのときの奉行の書物を証拠とす、これは先方の時分にて惣体の模様違ひたる時代を証拠に引くこと埓もなきことなり、或は室町家或は鎌倉或は往古の綸旨等を証拠に引くも年数遥かに隔りて埓もなきことは、是れ皆奉行をする面々兎角何ことも先例を引き付けたるくせにて引くましき先例を引く也、是れ皆御当家の御定めなき故也、
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『政談』戶籍の事当時も紀州水戸にては人かへしあり、肥前なとにては出家にても他国へゆき十年かへらねは親類みな刑せらると承はる、薩摩其外九州は多くは国中の民を外へは出たさす、当時これある例なれは地頭の威勢を以て呼ひかへさんにはたやすくなるへきことなり、当時諸国の民耕作を厭ひ、米の飯を喜ひ、百姓を棄て商人になる故に衰微したる村々多きこと度々承ることなり、されは地頭のためにも実は甚だよきことなれとも、いつれも文盲なる故この合点行かす、世界は斯の如く成り下りたるなり、
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尚書・周官古に學びて官に入り、事を議するに制を以てすれば、政乃ち迷わず。
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『春秋左氏伝』昭公二十六年 王子朝の檄文天周を弔(あはれ)まず、王昏くして若(したが)はず、用って厥の位を愆(うしな)ふ。攜王(けいおう)命を奸(をか)す。諸侯之を替へて、王嗣を建て、用って郟鄏(こうじょく)に遷る。則ち是れ兄弟の能く力を王室に用ふるなり。惠王に至り、天周を靖んぜず、頹に禍心を生じ、叔帶に施(およ)ぶ。惠・襄難を辟け、王都を越え去る。則ち晉・鄭有りて、咸(みな)不端を黜け、以って王家を綏定す。則ち是れ兄弟の能く先王の命に率ふなり。定王の六年に在りて、秦人妖を降して曰く、『周其れ髭王有らん。亦た克く其の職を脩め、諸侯服享し、二世職を共にせん。王室其れ王位を間(うかが)ふもの有らん。諸侯圖らずして、其の亂災を受けん』と。靈王に至り、生まれながらにして髭有り。王甚だ神聖にして、諸侯に惡まるること無し。靈王・景王、克く其の世を終ふ。今王室亂る。單旗・劉狄、天下を剝亂し、壹に若はざるを行ひ、謂ふ、『先王何の常か之れ有らん。唯だ余が心の命ずる所なり。其れ誰か敢へて之を請はん』と。群不弔の人を帥ゐて、以って亂を王室に行ひ、侵欲厭くこと無く、規求度無し。
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『墨子』耕柱公孟子曰く、「先人に則有り、三のみ」と。子墨子曰く、「孰れか先人にして則有ること三のみと曰わん。子は未だ人の先に有りて後に生ずるを知らざるなり」と。
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