福翁自伝 / 王政維新・本藩に対して功名心なし
既に心に決定して居れば、藩に居て功名心と云うものは更らにない、立身出世して高い身分になって錦を故郷に着て人を驚かすと云うような野心は少しもないのみか、私にはその錦が却て恥かしくて着ることが出来ない。グヅ/″\云えば唯この藩を出て仕舞う丈けの事だと云うのが若い時からの考えで、人にこそ云わね、私の心では眼中藩なしと斯う安心を極めて居ましたので、夫れから長崎に行き大阪に出て修業して居るその中に、藩の御用で江戸に呼ばれて藩中の子弟を教うると云うことをして居ながらも、藩の政庁に対しては誠に淡泊で、長い歳月の間只の一度も建白なんと云うことをしたことはない。能く世間にある事で、イヤどうも藩政を改革して洋学を盛にするが宜いとか、兵制を改革するが宜いとか云うことは書生の能く遣ることだ、けれども私に限り只の一度も云出したことがない。ソレと同時に自分の立身出世を藩に向て求めたことがない。ドウ云うように身分を取立てゝ貰いたい、ドウ云うようにして禄を増して貰いたいと云うような事は、陰にも陽にもどんな事があっても藩の長老に内願などしたことがない。ソコで江戸に参てからも、本藩の様子を見れば種々な事を試みて居る。兵制で申せば西洋流の操練を採用したことがある。けれども私はソレを宜いと云て誉めもしなければ悪いと云て止めたこともなし、又或は大に漢学を盛にすると云て頻りに学校の改革などを企てたこともある。或は兵制は甲州流が宜いと云て法螺の貝を吹て藩中で調練をしたこともある。ソレも私は只目前に見て居るばかりで、善いとも悪いとも一寸とも云たことがない。或時に家老の隠居があって、大層政治論の好きな人で、私が家老の家に行たらば、その隠居が、ドウも公武の間が甚だ穏かでない、全体どうも近衛様が爾うも有りそうもない事だとか、或は江戸の御老中が詰らないとか云うような慷慨談を頻りに云て居る。爾う云われると私も何か云いそうな事だ、所が私は決して云わない。如何にも爾うでしょう、ソリャ成程近衛様も爾うだろう、御老中も爾うだろうが、扨ソレが実地になると傍観者の思うようにはならぬもので、近くはこの奥平様の屋敷でも、マダして宜いこともあるだろう、為なくて宜いこともあるだろう、傍観者から之を見たらば嘸堪え難いことに思うでありましょうけれども、当局の御家老の身になって見れば又爾う思う通りに行かないもので、矢張り今の通りより外に仕様がない。余り人の事を批評しても詰らぬ事です。私は一体そんな事に就ては何を議論しようとも思わぬと云て、少しも相手にならなかった。
書き下し
既に心に決定して居れば、藩に居て功名心と云うものは更らにない、立身出世して高い身分になって錦を故郷に着て人を驚かすと云うような野心は少しもないのみか、私にはその錦が却て恥かしくて着ることが出来ない。グヅ/″\云えば唯この藩を出て仕舞う丈けの事だと云うのが若い時からの考えで、人にこそ云わね、私の心では眼中藩なしと斯う安心を極めて居ましたので、夫れから長崎に行き大阪に出て修業して居るその中に、藩の御用で江戸に呼ばれて藩中の子弟を教うると云うことをして居ながらも、藩の政庁に対しては誠に淡泊で、長い歳月の間只の一度も建白なんと云うことをしたことはない。能く世間にある事で、イヤどうも藩政を改革して洋学を盛にするが宜いとか、兵制を改革するが宜いとか云うことは書生の能く遣ることだ、けれども私に限り只の一度も云出したことがない。ソレと同時に自分の立身出世を藩に向て求めたことがない。ドウ云うように身分を取立てゝ貰いたい、ドウ云うようにして禄を増して貰いたいと云うような事は、陰にも陽にもどんな事があっても藩の長老に内願などしたことがない。ソコで江戸に参てからも、本藩の様子を見れば種々な事を試みて居る。兵制で申せば西洋流の操練を採用したことがある。けれども私はソレを宜いと云て誉めもしなければ悪いと云て止めたこともなし、又或は大に漢学を盛にすると云て頻りに学校の改革などを企てたこともある。或は兵制は甲州流が宜いと云て法螺の貝を吹て藩中で調練をしたこともある。ソレも私は只目前に見て居るばかりで、善いとも悪いとも一寸とも云たことがない。或時に家老の隠居があって、大層政治論の好きな人で、私が家老の家に行たらば、その隠居が、ドウも公武の間が甚だ穏かでない、全体どうも近衛様が爾うも有りそうもない事だとか、或は江戸の御老中が詰らないとか云うような慷慨談を頻りに云て居る。爾う云われると私も何か云いそうな事だ、所が私は決して云わない。如何にも爾うでしょう、ソリャ成程近衛様も爾うだろう、御老中も爾うだろうが、扨ソレが実地になると傍観者の思うようにはならぬもので、近くはこの奥平様の屋敷でも、マダして宜いこともあるだろう、為なくて宜いこともあるだろう、傍観者から之を見たらば嘸堪え難いことに思うでありましょうけれども、当局の御家老の身になって見れば又爾う思う通りに行かないもので、矢張り今の通りより外に仕様がない。余り人の事を批評しても詰らぬ事です。私は一体そんな事に就ては何を議論しようとも思わぬと云て、少しも相手にならなかった。
現代語訳
すでに心に決まっていれば、藩にいて功名心というものはまったくなく、立身出世して高い身分になり、錦を故郷に着て人を驚かすというような野心は少しもないのみか、私にはその錦がかえって恥ずかしくて着ることができません。ぐずぐず言えば、ただこの藩を出てしまうだけのことだというのが若い時からの考えで、人には言わないが、私の心では眼中に藩なしと、こう覚悟を決めていました。それから長崎に行き、大阪に出て修業しているうちに、藩の御用で江戸に呼ばれて藩中の子弟を教えるということをしながらも、藩の政庁に対しては誠に淡泊で、長い歳月の間、ただの一度も建白などということをしたことはありません。世間でよくあることで、いやどうも藩政を改革して洋学を盛んにするのがよいとか、兵制を改革するのがよいとかいうことは、書生がよくやることですが、私に限ってただの一度も言い出したことがありません。それと同時に、自分の立身出世を藩に向かって求めたこともありません。どのように身分を取り立ててもらいたい、どのようにして禄を増してもらいたいというようなことは、陰にも陽にも、どんなことがあっても、藩の長老に内願などしたことがありません。そこで江戸に来てからも、本藩の様子を見れば、いろいろなことを試みています。兵制でいえば、西洋流の操練を採用したことがあります。けれども私はそれをよいと言って誉めもしなければ、悪いと言って止めたこともなく、またあるいは大いに漢学を盛んにするといって、しきりに学校の改革などを企てたこともあります。あるいは兵制は甲州流がよいといって、法螺貝を吹いて藩中で調練をしたこともあります。それも私はただ目の前に見ているばかりで、よいとも悪いとも少しも言ったことがありません。あるとき家老の隠居がいて、大層政治論の好きな人で、私が家老の家に行ったところ、その隠居が、どうも公武の間が甚だ穏やかでない、全体どうも近衛様がそうも有りそうもないことだとか、あるいは江戸の老中がつまらないとか、慷慨談をしきりに言っています。そう言われると私も何か言いそうなものですが、私は決して言いません。「いかにもそうでしょう、それはなるほど近衛様もそうでしょう、御老中もそうでしょうが、さてそれが実地になると、傍観者の思うようにはならないもので、近くはこの奥平様のお屋敷でも、まだしてよいこともあるでしょう、しなくてよいこともあるでしょう。傍観者からこれを見たら、さぞ堪え難いことに思うでしょうけれども、当局の御家老の身になってみれば、またそう思う通りに行かないもので、やはり今の通りよりほかに仕様がない。あまり人のことを批評してもつまらないことです。私は一体、そういうことについては何を議論しようとも思いません」と言って、少しも相手にならなかった。
解説
この章句が説くこと
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