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福翁自伝 / 王政維新・門閥の人を悪まずしてその悪習を悪む

所がその不平の極は、人から侮辱されるその侮辱の事柄を悪み、遂には人を忘れて唯その事柄を見苦しきことゝ思い、門閥の故を以て漫に威張るは男子の愧ずべき事である、見苦しきことであると云う観念を生じ、例えば上士下士相対して上士が横風である、私は之を見てその上士の傲慢無礼を憤ると同時に、心の中では思直して、この馬鹿者めが、何も知らずに夢中に威張て居る、見苦しい奴だと却て気の毒に思うて、心中却て此方から軽蔑して居ました。私がその時老成人であるか又は仏者であったら、人道世教の為めに如何とか、又は平等を愛して差別を排するとか何とか云う説もあろうが、十歳以上十九か二十歳の少年にそんな六かしい奥ゆかしい考のあるべき筈はない。唯人間の殻威張は見苦しいものだ、威張る奴は恥知らずの馬鹿だとばかり思て居たから、夫れゆえ藩中に居て人に軽蔑されても侮辱されても、その立腹を他に移して他人を辱かしめると云うことはドウしても出来ない。例えば私が小士族の身分で上流に対しては小さくなって居なければならぬけれども、順を云えば又私より以下の者が幾らもあるから、その以下の者に向て自分が軽蔑された丈けソレ丈け軽蔑して遣れば、所謂江戸の敵を長崎で討て、勘定の立つようなものだが、ソレが出来ない。出来ない所ではない、その反対に私は下の方に向て大変丁寧にして居ました。

書き下し

所がその不平の極は、人から侮辱されるその侮辱の事柄を悪み、遂には人を忘れて唯その事柄を見苦しきことゝ思い、門閥の故を以て漫に威張るは男子の愧ずべき事である、見苦しきことであると云う観念を生じ、例えば上士下士相対して上士が横風である、私は之を見てその上士の傲慢無礼を憤ると同時に、心の中では思直して、この馬鹿者めが、何も知らずに夢中に威張て居る、見苦しい奴だと却て気の毒に思うて、心中却て此方から軽蔑して居ました。私がその時老成人であるか又は仏者であったら、人道世教の為めに如何とか、又は平等を愛して差別を排するとか何とか云う説もあろうが、十歳以上十九か二十歳の少年にそんな六かしい奥ゆかしい考のあるべき筈はない。唯人間の殻威張は見苦しいものだ、威張る奴は恥知らずの馬鹿だとばかり思て居たから、夫れゆえ藩中に居て人に軽蔑されても侮辱されても、その立腹を他に移して他人を辱かしめると云うことはドウしても出来ない。例えば私が小士族の身分で上流に対しては小さくなって居なければならぬけれども、順を云えば又私より以下の者が幾らもあるから、その以下の者に向て自分が軽蔑された丈けソレ丈け軽蔑して遣れば、所謂江戸の敵を長崎で討て、勘定の立つようなものだが、ソレが出来ない。出来ない所ではない、その反対に私は下の方に向て大変丁寧にして居ました。

現代語訳

ところがその不平の極みは、人から侮辱されるその侮辱の事柄を憎み、ついには人を忘れて、ただその事柄を見苦しいことと思い、門閥のゆえをもってみだりに威張るのは男子の恥ずべきこと、見苦しいことであるという観念を生じました。たとえば上士と下士が向き合って、上士が横柄である。私はこれを見て、その上士の傲慢無礼を憤ると同時に、心の中では思い直して、この馬鹿者め、何も知らずに夢中で威張っている、見苦しい奴だと、かえって気の毒に思い、心の中でむしろこちらから軽蔑していました。私がそのとき老成した人であるか、あるいは仏者であったなら、人道や世の教えのために云々とか、平等を愛して差別を排するとか何とか、そういう説もあるでしょうが、十歳以上十九か二十歳の少年に、そんな難しい奥ゆかしい考えがあるはずはありません。ただ人間の空威張りは見苦しいものだ、威張る奴は恥知らずの馬鹿だとばかり思っていたので、それゆえ藩中にいて人に軽蔑されても侮辱されても、その腹立ちを他に移して他人を辱めるということは、どうしてもできません。たとえば私が小士族の身分で、上流に対しては小さくなっていなければならないけれども、順を言えばまた私より下の者がいくらでもいるのだから、その下の者に向かって、自分が軽蔑されただけそれだけ軽蔑してやれば、いわゆる江戸の敵を長崎で討って勘定が合うようなものですが、それができません。できないどころではない、その反対に私は下の者に対して大変丁寧にしていました。

解説

福沢は、侮辱されて腹が立っても、その腹立ちを人ではなく事柄、つまり威張るという行為そのものに向け、それを見苦しいと感じたと説明します。立派な思想があったわけではなく、威張る人間は恥知らずの馬鹿だとしか思わなかった、と少年の素朴な感覚を強調するのも特徴です。上から受けた軽蔑を下に転嫁する、いわゆる江戸の敵を長崎で討つ振る舞いを、福沢は拒みました。立場が上の人に不満を抱えた経験は誰にもありますが、自分が上に立ったとき同じことをしないかという問いを、この一節は突きつけます。

この章句が説くこと

門閥傲慢殻威張り江戸の敵を長崎で討つ丁寧平等

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