呻吟語 / 内篇・修身・第一に怕るるは是れ氣高し
少年大病,第一怕是氣高。
新字:少年大病,第一怕是気高。
書き下し
少年の大病は、第一に怕るるは是れ氣高きなり。
現代語訳
若い人の大きな病で、第一に恐ろしいのは、気位が高いことです。
解説
若さの病を一つに絞り、それを気位の高さだとします。無知でも未熟でもなく、気が高いこと。理由は書かれていませんが、気が高ければ人の言葉が入らず、直す機会そのものが失われるからでしょう。前に出てきた、欠点をかばわないのが第一の進歩だという段と裏表になっています。若い人に向けた、短く鋭い一句です。気位が高ければ、直す機会そのものが失われるからでしょう。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
若さ気位傲慢忠告病
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