福翁自伝 / 攘夷論・米と味噌と大失策
夫れから又可笑しい事がある。私の考えに、是れは何でも戦争になるに違いないから、マア米を買おうと思て、出入の米屋に申付けて米を三十俵買て米屋に預け、仙台味噌を一樽買て納屋に入れて置た。所が期日が切迫するに従て、切迫すればするほど役に立たないものは米と味噌、その三十俵の米を如何すると云うた所が、担いで行かれるものでもなければ、味噌樽を背負て駈けることも出来なかろう。是れは可笑しい、昔は戦争のとき米と味噌があれば宜いと云たが、戦争の時ぐらい米と味噌の邪魔になるものはない、是れはマア逃げる時はこの米と味噌樽は棄てゝ行くより外はないと云て、その騒動の真盛りに大笑いを催した事がある。その時にも新銭座の家に学生が幾人か居て、私はその時二分金で百両か百五十両持て居たから、この金を独りで持て居ても策でない、イザと云えば誰が何処にどう行くか分らない、金があれば先ず餒えることはないから、この金は私が一人で持て居るよりか、家内が一人で持て居るよりか、是れは銘々に分けて持つが宜かろうと云うので、その金を四つか五つに分けて、頭割にして銘々ソレを腰に巻て行こうと、用意金の分配まで出来て、明日か明後日は愈よ戦争の始まり、外に道はないと覚悟した所が、茲に幸な事があると云うのは、その時に唐津の殿様で小笠原壹岐守と云う閣老がある。夫れから横浜に浅野備前守と云う奉行がある。
新字:夫れから又可笑しい事がある。私の考えに、是れは何でも戦争になるに違いないから、マア米を買おうと思て、出入の米屋に申付けて米を三十俵買て米屋に預け、仙台味噌を一樽買て納屋に入れて置た。所が期日が切迫するに従て、切迫すればするほど役に立たないものは米と味噌、その三十俵の米を如何すると云うた所が、担いで行かれるものでもなければ、味噌樽を背負て駈けることも出来なかろう。是れは可笑しい、昔は戦争のとき米と味噌があれば宜いと云たが、戦争の時ぐらい米と味噌の邪魔になるものはない、是れはマア逃げる時はこの米と味噌樽は棄てゝ行くより外はないと云て、その騒動の真盛りに大笑いを催した事がある。その時にも新銭座の家に学生が幾人か居て、私はその時二分金で百両か百五十両持て居たから、この金を独りで持て居ても策でない、イザと云えば誰が何処にどう行くか分らない、金があれば先ず餒えることはないから、この金は私が一人で持て居るよりか、家内が一人で持て居るよりか、是れは銘々に分けて持つが宜かろうと云うので、その金を四つか五つに分けて、頭割にして銘々ソレを腰に巻て行こうと、用意金の分配まで出来て、明日か明後日は愈よ戦争の始まり、外に道はないと覚悟した所が、茲に幸な事があると云うのは、その時に唐津の殿様で小笠原壱岐守と云う閣老がある。夫れから横浜に浅野備前守と云う奉行がある。
書き下し
夫れから又可笑しい事がある。私の考えに、是れは何でも戦争になるに違いないから、マア米を買おうと思て、出入の米屋に申付けて米を三十俵買て米屋に預け、仙台味噌を一樽買て納屋に入れて置た。所が期日が切迫するに従て、切迫すればするほど役に立たないものは米と味噌、その三十俵の米を如何すると云うた所が、担いで行かれるものでもなければ、味噌樽を背負て駈けることも出来なかろう。是れは可笑しい、昔は戦争のとき米と味噌があれば宜いと云たが、戦争の時ぐらい米と味噌の邪魔になるものはない、是れはマア逃げる時はこの米と味噌樽は棄てゝ行くより外はないと云て、その騒動の真盛りに大笑いを催した事がある。その時にも新銭座の家に学生が幾人か居て、私はその時二分金で百両か百五十両持て居たから、この金を独りで持て居ても策でない、イザと云えば誰が何処にどう行くか分らない、金があれば先ず餒えることはないから、この金は私が一人で持て居るよりか、家内が一人で持て居るよりか、是れは銘々に分けて持つが宜かろうと云うので、その金を四つか五つに分けて、頭割にして銘々ソレを腰に巻て行こうと、用意金の分配まで出来て、明日か明後日は愈よ戦争の始まり、外に道はないと覚悟した所が、茲に幸な事があると云うのは、その時に唐津の殿様で小笠原壹岐守と云う閣老がある。夫れから横浜に浅野備前守と云う奉行がある。
現代語訳
それからまた可笑しいことがあります。私の考えでは、これは何でも戦争になるに違いないから、まず米を買おうと思い、出入りの米屋に言いつけて米を三十俵買って米屋に預け、仙台味噌を一樽買って納屋に入れておきました。ところが期日が切迫するにつれて、切迫すればするほど役に立たないものは米と味噌で、その三十俵の米をどうするといっても、担いで行けるものでもなく、味噌樽を背負って駆けることもできないでしょう。これは可笑しい、昔は戦争のとき米と味噌があればよいと言ったが、戦争のときくらい米と味噌が邪魔になるものはない、これはまあ逃げるときはこの米と味噌樽は捨てていくより仕方がないと言って、その騒動の真っ盛りに大笑いしたことがありました。そのときも新銭座の家に学生が何人かいて、私はその時、二分金で百両か百五十両持っていたので、この金を独りで持っていても得策ではない、いざとなれば誰がどこにどう行くかわからない、金があればまず飢えることはないから、この金は私が一人で持っているよりも、家内が一人で持っているよりも、めいめいに分けて持つのがよかろうというので、その金を四つか五つに分けて、頭割りにしてめいめいそれを腰に巻いていこうと、用意金の分配までできて、明日か明後日はいよいよ戦争の始まり、ほかに道はないと覚悟したところ、ここに幸いなことがあったというのは、そのとき唐津の殿様で小笠原壱岐守という老中がいます。それから横浜に浅野備前守という奉行がいます。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』定公八年 陽虎、宝玉大弓を取る之に違へば死を徵す。死すとも主に益無し」と。桓子曰く、「何の後るることか之有らん。而、能く我を以て孟氏に適かんか」と。對へて曰く、「敢へて死を愛まず。主を免れしめざらんことを懼る」と。桓子曰く、「往け」と。孟氏、圉人の壯なる者三百人を選び、以て公期の為に室を門外に築かしむ。林楚、馬を怒らせ、衢に及びて騁す。陽越、之を射て中らず。築く者、門を闔づ。門の間より陽越を射る有りて、之を殺す。陽虎、公と武叔とを劫かして以て孟氏を伐つ。公斂處父、成人を帥ゐ、上東門より入りて陽氏と南門の內に戰ふ。勝たず。又棘下に戰ふ。陽氏敗る。陽氏、甲を說きて公宮に如き、寶玉・大弓を取りて以て出で、五父の衢に舍る。寢ねて食を為る。其の徒曰く、「追ふもの其れ將に至らんとす」と。虎曰く、「魯人、余の出づるを聞かば、死を徵すを喜ばん。何の暇ありてか余を追はん」と。從者曰く、「嘻、速かに駕せよ。公斂陽在り」と。公斂陽、之を追はんことを請ふ。孟孫許さず。陽、桓子を殺さんと欲す。孟孫懼れて之を歸す。子言、辨く爵を季氏の廟に舍きて出づ。陽虎、讙・陽關に入りて以て叛く。鄭の駟歂、子大叔を嗣ぎて政を為す。
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『春秋左氏伝』成公九年 備へ無きかな冬十一月、楚の子重陳より莒を伐ち、渠丘を圍む。渠丘城惡し。眾潰えて、莒に奔る。戊申、楚渠丘に入る。莒人楚の公子平を囚ふ。楚人曰く、「殺す勿かれ。吾而の俘を歸さん」と。莒人之を殺す。楚の師莒を圍む。莒の城も亦た惡し。庚申、莒潰ゆ。楚遂に鄆に入る。莒備へ無きが故なり。君子曰く、「陋を恃みて備へざるは、罪の大なる者なり。不虞に備豫するは、善の大なる者なり。莒其の陋を恃みて、城郭を脩めず。浹辰の間にして、楚其の三都に克つ。備へ無きかな。詩に曰く、『絲麻有りと雖も、菅蒯を棄つる無かれ。姬姜有りと雖も、蕉萃を棄つる無かれ。凡百の君子、匱しきに代はらざる莫し』と。備への以て已むべからざるを言ふなり」と。秦人・白狄晉を伐つ。諸侯貳するが故なり。鄭人許を圍む。晉に君を急がざるを示すなり。是れ則ち公孫申之を謀りて曰く、「我師を出だして以て許を圍み、將に君を改め立てんとする者の為にして、而して晉の使を紓べば、晉必ず君を歸さん」と。中城に城く。時を書するなり。十二月、楚子公子辰をして晉に如かしむ。鍾儀の使に報い、好を修め成を結ばんことを請ふ。
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