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福翁自伝 / 攘夷論・小笠原壱岐守

ソレ等の人が極秘密に云合せた事と見えて、五月の初旬、十日前後と思いますが、愈よ今日と云う日に、前日まで大病だと云て寝て居た小笠原壹岐守がヒョイとその朝起きて、日本の軍艦に乗て品川沖を出て行く。スルト英吉利の砲艦が壹岐守の船の尻に尾いて走ると云うのは、壹岐守は上方に行くと云て品川湾を出発したから、若し本当にその方針を取て本牧の鼻を廻れば英人は後から砲撃する筈であったと云う。所が壹岐守は本牧を廻らずに横浜の方へ這入て、自分の独断で即刻に償金を払うて仕舞た。十万磅を時の相場にすればメキシコ弗で四十万になるその正銀を、英公使セント・ジョン・ニールに渡して先ず一段落を終りました。

新字:ソレ等の人が極秘密に云合せた事と見えて、五月の初旬、十日前後と思いますが、愈よ今日と云う日に、前日まで大病だと云て寝て居た小笠原壱岐守がヒョイとその朝起きて、日本の軍艦に乗て品川沖を出て行く。スルト英吉利の砲艦が壱岐守の船の尻に尾いて走ると云うのは、壱岐守は上方に行くと云て品川湾を出発したから、若し本当にその方針を取て本牧の鼻を廻れば英人は後から砲撃する筈であったと云う。所が壱岐守は本牧を廻らずに横浜の方へ這入て、自分の独断で即刻に償金を払うて仕舞た。十万磅を時の相場にすればメキシコ弗で四十万になるその正銀を、英公使セント・ジョン・ニールに渡して先ず一段落を終りました。

書き下し

ソレ等の人が極秘密に云合せた事と見えて、五月の初旬、十日前後と思いますが、愈よ今日と云う日に、前日まで大病だと云て寝て居た小笠原壹岐守がヒョイとその朝起きて、日本の軍艦に乗て品川沖を出て行く。スルト英吉利の砲艦が壹岐守の船の尻に尾いて走ると云うのは、壹岐守は上方に行くと云て品川湾を出発したから、若し本当にその方針を取て本牧の鼻を廻れば英人は後から砲撃する筈であったと云う。所が壹岐守は本牧を廻らずに横浜の方へ這入て、自分の独断で即刻に償金を払うて仕舞た。十万磅を時の相場にすればメキシコ弗で四十万になるその正銀を、英公使セント・ジョン・ニールに渡して先ず一段落を終りました。

現代語訳

そうした人々が極秘のうちに申し合わせたことと見えて、五月の初旬、十日前後と思いますが、いよいよ今日という日に、前日まで大病だといって寝ていた小笠原壱岐守がひょいとその朝起きて、日本の軍艦に乗り、品川沖を出ていきます。するとイギリスの砲艦が壱岐守の船の尻について走るというのは、壱岐守は上方に行くと言って品川湾を出発したので、もし本当にその方針をとって本牧の鼻を回れば、イギリス人は後ろから砲撃するはずであったといいます。ところが壱岐守は本牧を回らず、横浜の方へ入って、自分の独断で即刻償金を払ってしまいました。十万ポンドを当時の相場にすればメキシコドルで四十万、その正銀をイギリス公使ジョン・ニールに渡して、まず一段落を終わりました。

解説

1863年5月、老中格の小笠原長行が、独断で十万ポンドの償金を支払い、戦争の危機を回避した場面です。前日まで大病と称していた人物が、朝になって急に動いたという書き方に、事前の根回しの秘密性が出ています。評議が決まらず時間だけが過ぎる中、責任を引き受けて決断した人が事態を収めました。組織では、全員が同意するまで待っていては間に合わない局面があります。責任を負う覚悟のある決断者がいるかどうかで、結果が大きく変わります。

この章句が説くこと

小笠原壱岐守償金独断決断横浜極秘

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