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福翁自伝 / 攘夷論・事態いよ/\迫る

是れはいよ/\遣るに違いないと鑑定して、内の方の政府を見れば何時迄も説が決しない。事が喧しくなれば閣老は皆病気と称して出仕する者がないから、政府の中心は何処に在るか訳が分らず、唯役人達が思い/\に小田原評議のグヅ/\で、愈よ期日が明後日と云うような日になって、サア荷物を片付けなければならぬ。今でも私の処に疵の付た箪笥がある。愈よ荷物を片付けようと云うので箪笥を細引で縛て、青山の方へ持て行けば大丈夫だろう、何も只の人間を害する気遣はないからと云うので、青山の穏田と云う処に呉黄石と云う芸州の医者があって、その人は箕作の親類で、私は兼て知て居るから、呉の処に行てどうか暫く此処に立退場を頼むと相談も調い、愈よ青山の方と思うて荷物は一切拵えて名札を付けて担出す計りにして、そうして新銭座の海浜にある江川の調練場に行て見れば、大砲の口を海の方に向けて撃つような構えにしてある。是れは今明日の中にいよ/\事は始まると覚悟を定めた。その前に幕府から布令が出てある。愈よ兵端を開く時には浜御殿、今の延遼館で、火矢を挙げるから、ソレを相図に用意致せと云う市中に布令が出た。江戸ッ子は口の悪いもので、「瓢箪(兵端)の開け初めは冷(火矢)でやる」と川柳があったが、是れでも時の事情は分る。

書き下し

是れはいよ/\遣るに違いないと鑑定して、内の方の政府を見れば何時迄も説が決しない。事が喧しくなれば閣老は皆病気と称して出仕する者がないから、政府の中心は何処に在るか訳が分らず、唯役人達が思い/\に小田原評議のグヅ/\で、愈よ期日が明後日と云うような日になって、サア荷物を片付けなければならぬ。今でも私の処に疵の付た箪笥がある。愈よ荷物を片付けようと云うので箪笥を細引で縛て、青山の方へ持て行けば大丈夫だろう、何も只の人間を害する気遣はないからと云うので、青山の穏田と云う処に呉黄石と云う芸州の医者があって、その人は箕作の親類で、私は兼て知て居るから、呉の処に行てどうか暫く此処に立退場を頼むと相談も調い、愈よ青山の方と思うて荷物は一切拵えて名札を付けて担出す計りにして、そうして新銭座の海浜にある江川の調練場に行て見れば、大砲の口を海の方に向けて撃つような構えにしてある。是れは今明日の中にいよ/\事は始まると覚悟を定めた。その前に幕府から布令が出てある。愈よ兵端を開く時には浜御殿、今の延遼館で、火矢を挙げるから、ソレを相図に用意致せと云う市中に布令が出た。江戸ッ子は口の悪いもので、「瓢箪(兵端)の開け初めは冷(火矢)でやる」と川柳があったが、是れでも時の事情は分る。

現代語訳

これはいよいよやるに違いないと判断して、こちらの政府を見ると、いつまでも意見が決まりません。事がやかましくなれば老中は皆病気と称して出仕する者がなく、政府の中心がどこにあるのかわからず、ただ役人たちがめいめいに、小田原評定のぐずぐずで、いよいよ期日が明後日というような日になって、さあ荷物を片付けなければなりません。今でも私のところに傷のついた箪笥があります。いよいよ荷物を片付けようということで、箪笥を細縄で縛り、青山の方へ持っていけば大丈夫だろう、ただの人間を害する心配はないからというので、青山の穏田という所に呉黄石という芸州の医者がいて、その人は箕作の親類で、私は前から知っていたので、呉のところに行って、どうかしばらくここに立ち退く場所を貸してほしいと相談もまとまり、いよいよ青山の方へと思って、荷物は一切こしらえて名札を付け、担ぎ出すばかりにして、そして新銭座の海辺にある江川の調練場に行って見ると、大砲の口を海の方に向けて撃つような構えにしてあります。これは今日明日のうちにいよいよ事が始まると覚悟を決めました。その前に幕府から布令が出ていました。いよいよ戦端を開く時には、浜御殿、今の延遼館から火矢を挙げるから、それを合図に用意せよという布令が市中に出たのです。江戸っ子は口が悪いもので、「瓢箪(兵端)の開け初めは冷(火矢)でやる」という川柳がありましたが、これでも当時の事情はわかります。

解説

戦争が目前に迫る江戸の緊迫を、荷造りと避難先の手配という生活目線で描いています。老中が病気を理由に出仕しない、評議がまとまらないという幕府のありさまは、責任の所在が曖昧な組織の典型です。それでも福沢は、実際に動ける範囲で避難先を確保し、現場の砲台まで見に行きました。川柳にある瓢箪と兵端、冷と火矢の掛け言葉は、緊張の中でも笑いを忘れない江戸の気風を伝えます。リスクに備えて現場を自分の目で確かめる姿勢は、危機管理の基本です。

この章句が説くこと

小田原評定避難新銭座火矢危機管理川柳

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