福翁自伝 / 欧羅巴各国に行く・樺太の境界談判
それからその逗留中に誠に情けなく感じたことがあると申すは、私共の出立前からして日本国中、次第々々に攘夷論が盛になって、外交は次第々々に不始末だらけ、今度の使節が露西亜に行た時に此方から樺太の境論を持出して、その談判の席には私も出て居たので、日本の使節がソレを云出すと先方は少しも取合わない。或は地図などを持出して、地図の色は斯う/\云う色ではないか、自から此処が境だと云うと、露西亜人の云うには、地図の色で境が極れば、この地図を皆赤くすれば世界中露西亜の領分になって仕舞うだろう、又これを青くすれば世界中日本領になるだろうと云うような調子で漫語放言、迚も寄付かれない。マア兎にも角にもお互に実地を調べたその上の事に為ようと云うので、樺太の境は極めずに宜加減にして談判は罷になりましたが、ソレを私が傍から聞て居て、是れは迚も仕様がない、一切万事便る所なし、日本の不文不明の奴等が威張りして攘夷論が盛になればなる程、日本の国力は段々弱くなる丈けの話で、仕舞には如何云うようになり果てるだろうかと思て、実に情けなくなりました。
書き下し
それからその逗留中に誠に情けなく感じたことがあると申すは、私共の出立前からして日本国中、次第々々に攘夷論が盛になって、外交は次第々々に不始末だらけ、今度の使節が露西亜に行た時に此方から樺太の境論を持出して、その談判の席には私も出て居たので、日本の使節がソレを云出すと先方は少しも取合わない。或は地図などを持出して、地図の色は斯う/\云う色ではないか、自から此処が境だと云うと、露西亜人の云うには、地図の色で境が極れば、この地図を皆赤くすれば世界中露西亜の領分になって仕舞うだろう、又これを青くすれば世界中日本領になるだろうと云うような調子で漫語放言、迚も寄付かれない。マア兎にも角にもお互に実地を調べたその上の事に為ようと云うので、樺太の境は極めずに宜加減にして談判は罷になりましたが、ソレを私が傍から聞て居て、是れは迚も仕様がない、一切万事便る所なし、日本の不文不明の奴等が威張りして攘夷論が盛になればなる程、日本の国力は段々弱くなる丈けの話で、仕舞には如何云うようになり果てるだろうかと思て、実に情けなくなりました。
現代語訳
さてその滞在中に、まことに情けなく感じたことがあります。私たちが出発する前から日本国中でだんだん攘夷論が盛んになり、外交はますますでたらめだらけになっていました。今度の使節がロシアに行ったとき、こちらから樺太の境界の問題を持ち出し、その談判の席には私も出ていたのですが、日本の使節がそれを言い出すと、先方はまったく取り合わない。あるいは地図などを持ち出して、地図の色はこれこれの色ではないか、自然とここが境だと言うと、ロシア人は、地図の色で境が決まるなら、この地図を全部赤く塗れば世界中ロシアの領分になってしまうだろう、青く塗れば世界中が日本領になるだろう、といった調子でいいたい放題、とても寄りつけません。まあともかくお互いに現地を調べたうえでのことにしようということで、樺太の境は決めずに、いい加減にして談判は終わりになりました。それを私は傍らで聞いていて、これはとても仕方がない、頼れるものは何もない、日本の不文不明の連中が威張って攘夷論が盛んになればなるほど、日本の国力は弱くなるばかりで、しまいにはどうなり果てるだろうかと思い、本当に情けなくなりました。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『春秋左氏伝』昭公二十三年 守りは四境に在り楚の囊瓦令尹と為り、郢に城く。沈尹戌曰く、「子常必ず郢を亡はん。苟も衛る能はずんば、城くも益無し。古は天子の守りは四夷に在り。天子卑しければ、守りは諸侯に在り。諸侯の守りは四鄰に在り。諸侯卑しければ、守りは四竟に在り。其の四竟を慎み、其の四援を結び、民其の野に狎れ、三務功を成し、民内憂無く、而して又外懼無くんば、國焉んぞ城を用ゐん。今吳を是れ懼れて、郢に城く。守り已に小なり。之を卑くするも獲ず、能く亡ぶる無からんや。昔梁伯其の公宮に溝して民潰ゆ。民其の上を棄つ、亡びずして何をか待たん。夫れ其の疆埸を正し、其の土田を脩め、其の走集を險にし、其の民人に親しみ、其の伍候を明らかにし、其の鄰國に信あり、其の官守を慎み、其の交禮を守り、僭らず貪らず、懦ならず耆(つよ)からず、其の守備を完うして、以って不虞を待たば、又何をか畏れん。詩に曰く、『爾の祖を念ふ無からんや、聿(ここ)に厥の德を脩めよ』と。亦た監みる無からんや。若敖・蚡冒より、武・文に至るまで、土は同に過ぎず。其の四竟を慎み、猶ほ郢に城かず。今土は數圻にして郢を是れ城く、亦た難からずや」と。
-
尉繚子・制談此くの如くんば、戦ひ勝つと雖も国益々弱く、地を得るも国益々貧しきは、国中の制弊るるに由るなり。
-
『韓非子』飾邪第十九地無く民無くんば、堯・舜も以て王たること能はず、三代も以て強きこと能はず。人主又以て過予し、人臣又以て徒取す。法律を舎てて先王明君の功を言ふ者を、上之に任ずるに国を以てす。
-
史記 楚世家是の歳、庸を滅ぼす。六年、宋を伐ち、五百乗を獲たり。
-
『韓非子』初見秦第一今秦の地は長きを折りて短きを補へば、方数千里、名師数十百万。秦の号令賞罰、地形利害、天下若くもの莫きなり。此を以て天下に与すれば、天下兼ねて有つに足らざるなり。是の故に秦戦ひて未だ嘗て克たずんばあらず、攻めて未だ嘗て取らずんばあらず、当たる所未だ嘗て破らずんばあらず、地を開くこと数千里、此れ其の大功なり。
-
孫子・作戦篇その戦を用うるや勝つと雖も、久しければ兵鈍く鋭を挫き…国用足らず。
人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る