春秋左氏伝 / 昭公二十三年 守りは四境に在り
楚囊瓦為令尹。城郢。沈尹戌曰。子常必亡郢。苟不能衛。城無益也。古者天子守在四夷。天子卑。守在諸侯。諸侯守在四鄰。諸侯卑。守在四竟。慎其四竟。結其四援。民狎其野。三務成功。民無内憂。而又無外懼。國焉用城。今吳是懼。而城於郢。守已小矣。卑之不獲。能無亡乎。昔梁伯溝其公宮而民潰。民棄其上。不亡何待。夫正其疆埸。脩其土田。險其走集。親其民人。明其伍候。信其鄰國。慎其官守。守其交禮。不僭不貪。不懦不耆。完其守備。以待不虞。又何畏矣。詩曰。無念爾祖。聿脩厥德。無亦監乎。若敖蚡冒。至于武文。土不過同。慎其四竟。猶不城郢。今土數圻而郢是城。不亦難乎。
新字:楚嚢瓦為令尹。城郢。沈尹戌曰。子常必亡郢。苟不能衛。城無益也。古者天子守在四夷。天子卑。守在諸侯。諸侯守在四鄰。諸侯卑。守在四竟。慎其四竟。結其四援。民狎其野。三務成功。民無内憂。而又無外懼。国焉用城。今呉是懼。而城於郢。守已小矣。卑之不獲。能無亡乎。昔梁伯溝其公宮而民潰。民棄其上。不亡何待。夫正其疆埸。脩其土田。険其走集。親其民人。明其伍候。信其鄰国。慎其官守。守其交礼。不僭不貪。不懦不耆。完其守備。以待不虞。又何畏矣。詩曰。無念爾祖。聿脩厥徳。無亦監乎。若敖蚡冒。至于武文。土不過同。慎其四竟。猶不城郢。今土数圻而郢是城。不亦難乎。
書き下し
楚の囊瓦令尹と為り、郢に城く。沈尹戌曰く、「子常必ず郢を亡はん。苟も衛る能はずんば、城くも益無し。古は天子の守りは四夷に在り。天子卑しければ、守りは諸侯に在り。諸侯の守りは四鄰に在り。諸侯卑しければ、守りは四竟に在り。其の四竟を慎み、其の四援を結び、民其の野に狎れ、三務功を成し、民内憂無く、而して又外懼無くんば、國焉んぞ城を用ゐん。今吳を是れ懼れて、郢に城く。守り已に小なり。之を卑くするも獲ず、能く亡ぶる無からんや。昔梁伯其の公宮に溝して民潰ゆ。民其の上を棄つ、亡びずして何をか待たん。夫れ其の疆埸を正し、其の土田を脩め、其の走集を險にし、其の民人に親しみ、其の伍候を明らかにし、其の鄰國に信あり、其の官守を慎み、其の交禮を守り、僭らず貪らず、懦ならず耆(つよ)からず、其の守備を完うして、以って不虞を待たば、又何をか畏れん。詩に曰く、『爾の祖を念ふ無からんや、聿(ここ)に厥の德を脩めよ』と。亦た監みる無からんや。若敖・蚡冒より、武・文に至るまで、土は同に過ぎず。其の四竟を慎み、猶ほ郢に城かず。今土は數圻にして郢を是れ城く、亦た難からずや」と。
現代語訳
楚の囊瓦(のうが、字は子常)が令尹となり、都の郢に城壁を築いた。沈尹戌(しんいんじゅつ)は言った。「子常はきっと郢を失うだろう。もし国を守ることができないのなら、城壁を築いても益はない。古には、天子の守りは四方の異民族の地にあった。天子の力が衰えると、守りは諸侯にあった。諸侯の守りは四方の隣国にあった。諸侯の力が衰えると、守りは四方の国境にあった。四方の国境に気を配り、四方の援助国と結び、民が自分の田野に安んじ、春夏秋の三つの農事がうまくいき、民に内の憂いがなく、外の恐れもなければ、国に城壁など何の必要があろう。いま呉を恐れて郢に城壁を築くのは、守る範囲がすでに小さくなっているということだ。そこまで縮めても守れないとなれば、滅びずにいられようか。昔、梁伯は自分の宮殿の周りに堀をめぐらし、民は離散した。民が上の者を見捨てたのだ。滅びる以外に何を待とう。そもそも国境を正し、田畑を整え、国境の要所を険しくし、民に親しみ、隣組と見張りの組織をはっきりさせ、隣国に信義を守り、官吏の職務を慎み、外交の礼を守り、分を越えず貪らず、弱腰にならず強引にもならず、守備を整えて不測の事態に備えるならば、何を恐れることがあろう。『詩経』に『汝の祖先を思わないのか、その徳を修めよ』とある。先例を鑑みないのか。若敖(じゃくごう)・蚡冒(ふんぼう)から武王・文王に至るまで、国土は方百里ほどにすぎなかったが、四方の国境に気を配り、それでも郢に城壁は築かなかった。いま国土は方千里が数つもあるのに郢に城壁を築くとは、なんと難儀なことではないか」。
解説
この章句が説くこと
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『墨子』魯問魯君、子墨子に謂いて曰く、「吾れ齊の吾を攻めんことを恐る。救う可きか」と。子墨子曰く、「可なり。昔者、三代の聖王、禹・湯・文・武は、百里の諸侯なり。忠を説き義を行いて、天下を取る。三代の暴王、桀・紂・幽・厲は、讐怨し暴を行いて、天下を失う。吾れ願わくは主君の、上は天を尊び鬼に事え、下は百姓を愛し利し、厚く皮幣を為り、辭令を卑くし、函く徧く四隣の諸侯を禮し、國を敺りて以て齊に事えんことを。患い救う可きなり。願うに非ざれば為す可き者無し」と。
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『春秋左氏伝』昭公元年 垂櫜して入る小國恃みを失ひて、諸侯を懲らさば、憾みざる者莫からしめ、君命に距違して、壅塞して行はれざる所有らんことを是れ懼る。然らずんば、敝邑は館人の屬なり。其れ敢へて豐氏の祧を愛しまんや」と。伍舉其の備へ有るを知るなり、請ふ櫜を垂れて入らんと。之を許す。正月乙未、入りて逆へて出づ。遂に虢に會す。宋の盟を尋ぬるなり。祁午趙文子に謂ひて曰く、「宋の盟に、楚人晉に志を得たり。今令尹の不信、諸侯の聞く所なり。子戒めずんば、懼らくは又宋の如くならん。子木の信、諸侯に稱せらるるも、猶ほ晉を詐りて駕す。況んや不信の尤なる者をや。楚重ねて晉に志を得ば、晉の恥なり。子晉國に相として、以て盟主と為ること、今に於て七年なり。再び諸侯を合し、三たび大夫を合し、齊・狄を服し、東夏を寧んじ、秦の亂を平らげ、淳于に城く。師徒頓れず、
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『春秋左氏伝』昭公五年 始めを敬して終はりを思ふ晉の韓宣子楚に如きて女を送る。叔向介為り。鄭の子皮・子大叔、諸を索氏に勞ふ。大叔叔向に謂ひて曰く、「楚王の汏侈已甚し。子其れ之を戒めよ」と。叔向曰く、「汏侈已甚しきは、身の災ひなり。焉んぞ能く人に及ばん。若し吾が幣帛を奉じ、吾が威儀を慎み、之を守るに信を以てし、之を行ふに禮を以てし、始めを敬して終はりを思はば、終に復せざる無し。從ひて儀を失はず、敬して威を失はず、之を道くに訓辭を以てし、之を奉ずるに舊法を以てし、之を考ふるに先王を以てし、之を度るに二國を以てせば、汏侈と雖も我を若何せん」と。楚に及ぶ。楚子其の大夫を朝せしめて曰く、「晉は吾が仇敵なり。苟も志を得ば、其の他を恤ふる無けん。今其の來たる者は、上卿・上大夫なり。若し吾韓起を以て閽と為し、羊舌肸を以て司宮と為さば、以て晉を辱むるに足り、吾も亦た志を得ん。可ならんか」と。大夫對ふる莫し。薳啟彊曰く、「可なり。苟も其の備へ有らば、何の故に可ならざらん。匹夫を恥づかしむるすら以て備へ無かるべからず、況んや國を恥づかしむるをや。是を以て聖王は禮を行ふに務めて、人を恥づかしむるを求めず。
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『春秋左氏伝』昭公五年 晋、備えを失はず朝聘に珪有り、享覜に璋有り。小は述職有り、大は巡功有り。机を設けて倚らず、爵盈ちて飲まず。宴に好貨有り、飧に陪鼎有り。入るに郊勞有り、出づるに贈賄有り。禮の至りなり。國家の敗るるは、之が道を失へばなり。則ち禍亂興る。城濮の役、晉楚の備へ無くして、以て邲に敗る。邲の役、楚晉の備へ無くして、以て鄢に敗る。鄢より以來、晉備へを失はず、而して之に加ふるに禮を以てし、之を重ぬるに睦を以てす。是を以て楚報ゆる能はずして、親しみを求む。既に姻親を獲て、又之を恥づかしめんと欲し、以て寇讎を召く。之に備ふること若何。誰か其れ此を重んぜん。若し其の人有らば、之を恥づかしむるも可なり。若し其れ未だ有らずんば、君亦た之を圖れ。晉の君に事ふる、臣は可なりと曰はん。諸侯を求むれば麇(むら)がり至り、昏を求むれば女を薦む。君親ら之を送り、上卿及び上大夫之を致す。猶ほ之を恥づかしめんと欲す、君其れ亦た備へ有らん。然らずんば奈何せん。韓起の下に、趙成・中行吳・魏舒・范鞅・知盈有り。羊舌肸の下に、
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