福翁自伝 / 欧羅巴各国に行く・見物自由の中又不自由
夫れは扨居き、私がこの前亜米利加に行たときには、カリフ※ルニヤ地方にマダ鉄道がなかったから、勿論鉄道を見たことがない、けれども今度は蘇士に上て始めて鉄道に乗り、ソレカラ欧羅巴各国を彼方此方と行くにも皆鉄道ばかり、到る処に歓迎せられて、海陸軍の場所を始めとして、官私の諸工場、銀行会社、寺院、学校、倶楽部等は勿論、病院に行けば解剖も見せる、外科手術も見せる、或は名ある人の家に晩餐の饗応、舞踏の見物など、誠に親切に案内せられて、却て招待の多いのに草臥れると云う程の次第であったが、唯こゝに一つ可笑しいと云うのは、日本はその時丸で鎖国の世の中で、外国に居ながら兎角外国人に遇うことを止めようとするのが可笑しい。使節は竹内、松平、京極の三使節、その中の京極は御目附と云う役目で、ソレには又相応の属官が幾人も附て居る。ソレが一切の同行人を目ッ張子で見て居るので、なか/\外国人に遇うことが六かしい。同行者は何れも幕府の役人連で、その中に先ず同志同感、互に目的を共にすると云うのは箕作秋坪と松木弘安と私と、この三人は年来の学友で互に往来して居たので、彼方に居てもこの三人だけは自然別なものにならぬ。何でも有らん限りの物を見ようと計りして居る、ソレが役人連の目に面白くないと見え、殊に三人とも陪臣で、然かも洋書を読むと云うから中々油断をしない。何か見物に出掛けようとすると、必ず御目附方の下役が附いて行かなければならぬと云う御定まりで始終附て廻る。此方は固より密売しようではなし、国の秘密を洩らす気遣いもないが、妙な役人が附て来れば只蒼蠅い。蒼蠅いのはマダ宜いが、その下役が何か外に差支があると、私共も出ることが出来ない。ソレは甚だ不自由でした。私はその時に==是れはマア何の事はない、日本の鎖国をそのまゝ担いで来て、欧羅巴各国を巡回するようなものだと云て、三人で笑たことがあります。
書き下し
夫れは扨居き、私がこの前亜米利加に行たときには、カリフ※ルニヤ地方にマダ鉄道がなかったから、勿論鉄道を見たことがない、けれども今度は蘇士に上て始めて鉄道に乗り、ソレカラ欧羅巴各国を彼方此方と行くにも皆鉄道ばかり、到る処に歓迎せられて、海陸軍の場所を始めとして、官私の諸工場、銀行会社、寺院、学校、倶楽部等は勿論、病院に行けば解剖も見せる、外科手術も見せる、或は名ある人の家に晩餐の饗応、舞踏の見物など、誠に親切に案内せられて、却て招待の多いのに草臥れると云う程の次第であったが、唯こゝに一つ可笑しいと云うのは、日本はその時丸で鎖国の世の中で、外国に居ながら兎角外国人に遇うことを止めようとするのが可笑しい。使節は竹内、松平、京極の三使節、その中の京極は御目附と云う役目で、ソレには又相応の属官が幾人も附て居る。ソレが一切の同行人を目ッ張子で見て居るので、なか/\外国人に遇うことが六かしい。同行者は何れも幕府の役人連で、その中に先ず同志同感、互に目的を共にすると云うのは箕作秋坪と松木弘安と私と、この三人は年来の学友で互に往来して居たので、彼方に居てもこの三人だけは自然別なものにならぬ。何でも有らん限りの物を見ようと計りして居る、ソレが役人連の目に面白くないと見え、殊に三人とも陪臣で、然かも洋書を読むと云うから中々油断をしない。何か見物に出掛けようとすると、必ず御目附方の下役が附いて行かなければならぬと云う御定まりで始終附て廻る。此方は固より密売しようではなし、国の秘密を洩らす気遣いもないが、妙な役人が附て来れば只蒼蠅い。蒼蠅いのはマダ宜いが、その下役が何か外に差支があると、私共も出ることが出来ない。ソレは甚だ不自由でした。私はその時に==是れはマア何の事はない、日本の鎖国をそのまゝ担いで来て、欧羅巴各国を巡回するようなものだと云て、三人で笑たことがあります。
現代語訳
それはさておき、私がこの前アメリカに行ったときは、カリフォルニア地方にまだ鉄道がなかったので、もちろん鉄道を見たことがありませんが、今度はスエズに上陸して初めて鉄道に乗り、それからヨーロッパ各国をあちらこちらと行くにも、みな鉄道ばかり、至るところで歓迎されて、陸海軍の施設をはじめ、官民の工場、銀行・会社、寺院、学校、クラブなどはもちろん、病院に行けば解剖も見せてくれ、外科手術も見せてくれます。あるいは名のある人の家で晩餐の饗応、舞踏の見物などもあり、まことに親切に案内されて、かえって招待の多いのに疲れるというほどのありさまでしたが、ただここに一つ可笑しいのは、日本はそのとき、まるで鎖国の世の中で、外国にいながら、とかく外国人に会うことを止めようとするのがおかしいことでした。使節は竹内、松平、京極の三使節で、その中の京極は御目付という役目で、それにはまた相応の属官が幾人もついていました。それが一切の同行人を監視して見ているので、なかなか外国人に会うことが難しい。同行者はいずれも幕府の役人連で、その中で同志同感、たがいに目的を共にするのは箕作秋坪と松木弘安と私、この三人は年来の学友でたがいに往来していたので、あちらにいても、この三人だけは自然と別になります。何でもあらん限りの物を見ようとばかりしていたのが、役人連の目に面白くなかったようで、ことに三人とも陪臣で、しかも洋書を読むというので、なかなか油断をしません。何か見物に出かけようとすると、必ず御目付方の下役がついて行かなければならないというお決まりで、始終ついて回ります。こちらはもとより密売をするわけでもなし、国の秘密を漏らすおそれもないが、妙な役人がついて来ればただうるさい。うるさいのはまだよいが、その下役が何かほかに差し支えがあると、私どもも出ることができません。それは甚だ不自由でした。私はそのときに、これはまあ何のことはない、日本の鎖国をそのまま担いで来て、ヨーロッパ各国を巡回するようなものだと言って、三人で笑ったことがあります。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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福翁自伝・欧羅巴各国に行く・欧羅巴各国に行く(2)それから欧羅巴に行くと云うことになって、船の出発したのは文久元年十二月の事であった。この度の船は日本の使節が行くと云う為めに、英吉利から迎船のようにして来たオーヂンと云う軍艦で、その軍艦に乗て香港、新嘉堡と云うような印度洋の港々に立寄り、紅海に這入て、蘇士から上陸して蒸気車に乗て、埃及のカイロ府に着て二晩ばかり泊り、それから地中海に出て、其処から又船に乗て仏蘭西の馬塞耳、ソコデ蒸汽車に乗て里昂に一泊、巴里に着て滞在凡そ二十日、使節の事を終り、巴里を去て英吉利に渡り、英吉利から和蘭、和蘭から普魯西の都の伯林に行き、伯林から露西亜のペートルスボルグ、夫れから再び巴里に帰て来て、仏蘭西から船に乗て、葡萄牙に行き、ソレカラ地中海に這入て、元の通りの順路を経て帰て来たその間の年月は凡そ一箇年、即ち文久二年一杯、推詰てから日本に帰て来ました。 扨今度の旅行に就て申せば、私もこの時にはモウ英書を読み英語を語ると云うことが徐々出来て、夫れから前に申す通りに金も聊か持て居るその金は何も遣い所はないから、只日本を出る時に尋常一様の旅装をした丈けで、その当時は物価の安い時だから何もそんなに金の要る訳けがない、その余た金は皆携えて行て竜動に逗留中、外に買物もない、唯英書ばかりを買て来た。是れが抑も日本へ輸入の始まりで、英書の自由に使われるようになったと云うのも是れからの事である。 夫れから彼の国の巡回中色々観察見聞したことも多いが、是れは後の話にして、先ず使節一行の有様を申さんに、その人員は、 竹内下野守(正使)松平石見守(副使)京極能登守(御目付)柴田貞太郎(組頭)日高圭三郎(御勘定)福田作太郎(御徒士目付)水品楽太郎(調役)岡綺藤左衛門(同)高嶋祐啓(御医師但し漢方医なり)川崎道民(雇医)益頭駿次郎(御普請役)上田友助(定役元締)森鉢太郎(定役)福地源一郎(通弁)立広作(同)太田源三郎(同)斎藤大之進(同心)高松彦三郎(御小人目付)山田八郎(同)松木弘安(反訳方)箕作秋坪(同)福澤諭吉(同) 右の外に三使節の家来両三人ずつと、賄小使六、七人、この小使の中には内証で諸藩から頼んで乗込んだ立派な士人もある。松木、箕作、福澤等は先ず役人のような者ではあるが、大名の家来、所謂陪臣の身分であるから、一行中の一番下席で惣人数凡そ四十人足らず、孰れも日本服に大小を横えて巴里、竜動を闊歩したも可笑しい。
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福翁自伝・始めて亜米利加に渡る・事物の説明に隔靴の歎あり夫れから又、亜米利加人が案内して諸方の製作所などを見せて呉れた。その時は桑港地方にマダ鉄道が出来ない時代である。工業は様々の製作所があって、ソレを見せて呉れた。其処がどうも不思議な訳けで、電気利用の電灯はないけれども、電信はある。夫れからガルヴァニの鍍金法と云うものも実際に行れて居た。亜米利加人の考に、そう云うものは日本人の夢にも知らない事だろうと思て見せて呉た所が、此方はチャント知て居る。是れはテレグラフだ。是れはガルヴァニの力で斯う云うことをして居るのだ。又砂糖の製造所があって、大きな釜を真空にして沸騰を早くすると云うことを遣て居る。ソレを懇々と説くけれども、此方は知て居る、真空にすれば沸騰が早くなると云うことは。且つその砂糖を清浄にするには骨炭で漉せば清浄になると云うこともチャント知て居る。先方では爾う云う事は思いも寄らぬ事だと斯う察して、懇ろに数えて呉れるのであろうが、此方は日本に居る中に数年の間そんな事ばかり穿鑿して居たのであるから、ソレは少しも驚くに足らない。只驚いたのは、掃溜に行て見ても浜辺に行て見ても、鉄の多いには驚いた。申さば石油の箱見たような物とか、色々な缶詰の空などが沢山棄てゝある。是れは不思議だ。江戸に火事があると焼跡に釘拾いがウヤ/\出て居る。所で亜米利加に行て見ると、鉄は丸で塵埃同様に棄てゝあるので、どうも不思議だと思うたことがある。 夫れから物価の高いにも驚いた。牡蠣を一罎買うと、半弗、幾つあるかと思うと二十粒か三十粒位しかない。日本では二十四文か三十文と云うその牡蠣が、亜米利加では一分二朱もする勘定で、恐ろしい物の高い所だ、呆れた話だと思たような次第で、社会上、政治上、経済上の事は一向分らなかった。
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福翁自伝・欧羅巴各国に行く・事情探索の胸算夫れは扨置き私の欧羅巴巡回中の胸算は、凡そ書籍上で調べられる事は日本に居ても原書を読で分らぬ処は字引を引て調べさえすれば分らぬ事はないが、外国の人に一番分り易い事で殆んど字引にも載せないと云うような事が此方では一番六かしい。だから原書を調べてソレで分らないと云う事だけをこの逗留中に調べて置きたいものだと思て、その方向で以て是れは相当の人だと思えばその人に就て調べると云うことに力を尽して、聞くに従て一寸々々斯う云うように(この時先生細長くして古々しき一小冊子を示す)記して置て、夫れから日本に帰てからソレを台にして尚お色々な原書を調べ又記憶する所を綴合せて西洋事情と云うものが出来ました。凡そ理化学、器械学の事に於て、或はエレキトルの事、蒸汽の事、印刷の事、諸工業製作の事などは必ずしも一々聞かなくても宜しいと云うのは、元来私が専門学者ではなし、聞た所が真実深い意味の分る訳けはない、唯一通りの話を聞くばかり、一通りの事なら自分で原書を調べて容易に分るから、コンナ事の詮索は先ず二の次にして、外に知りたいことが沢山ある。例えばコヽに病院と云うものがある、所でその入費の金はどんな塩梅にして誰が出して居るのか、又銀行と云うものがあってその金の支出入は如何して居るか、郵便法が行れて居てその法は如何云う趣向にしてあるのか、仏蘭西では徴兵令を行して居るが英吉利には徴兵令がないと云う、その徴兵令と云うのは、抑も如何云う趣向にしてあるのか、その辺の事情が頓と分らない。ソレカラ又政治上の選拳法と云うような事が皆無分らない。分らないから選拳法とは如何な法律で議院とは如何な役所かと尋ねると、彼方の人は只笑て居る、何を聞くのか分り切た事だと云う様な訳。ソレが此方では分らなくてどうにも始末が付かない。又党派には保守党と自由党と徒党のような者があって、双方負けず劣らず鎬を削て争うて居ると云う。何の事だ、太平無事の天下に政治上の喧嘩をして居ると云う。サア分らない。コリャ大変なことだ、何をして居るのか知らん。少しも考の付こう筈がない。彼の人と此の人とは敵だなんと云うて、同じテーブルで酒を飲で飯を喰て居る。少しも分らない。ソレが略分るようになろうと云うまでには骨の折れた話で、その謂れ因縁が少しずつ分るようになって来て、入組んだ事柄になると五日も十日も掛てヤット胸に落ると云うような訳で、ソレが今度洋行の利益でした。
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福翁自伝・欧羅巴各国に行く・欧洲の政風人情政治上の事に就ては竜動、巴里等に在留中、色々な人に逢うて色々な事を聞たが、固よりその事柄の由来を知らぬから能く分る訳けもない。当時は仏蘭西の第三世ナポレヲンが欧洲第一の政治家と持囃されてエライ勢力であったが、隣国の普魯士も日の出の新進国で油断はならぬ。墺地利との戦争、又アルサス、ローレンスの事なども国交際の問題として、何れ後年には云々の変乱が生ずるであろうなんと云うことは朝野政通の予言する所で、私の日記覚書にもチョイ/\記してある。又竜動に居るとき、或る社中の人が社名を以て議院に建言したと云うて、その草稿を日本使節に送て来た。建言の趣意は、在日本英国の公使アールコツクが新開国たる日本に居て乱暴無状、恰も武力を以て征服したる国民に臨むが如し云々とて、種々様々の証拠を挙げて公使の罪を責るその証拠の一つに、公使アールコツクが日本国民の霊場として尊拝する芝の山内に騎馬にて乗込たるが如き言語に絶えたる無礼なりと痛論したる節もある。私はこの建言書を見て大に胸が下った。成るほど世界は鬼ばかりでない、是れまで外国政府の仕振を見れば、日本の弱身に付込み日本人の不文殺伐なるに乗じて無理難題を仕掛けて真実困て居たが、その本国に来て見れば〔自から〕公明正大、優しき人もあるものだと思て、ます/\平生の主義たる開国一偏の説を堅固にしたことがある。
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『論語と算盤』実業と士道・天然の抵抗を征服せよさてそのごとく世界は広大無辺のものなれば、とても我々の人智では容易にこれを究むることのできるもので無いとしていたのである。しかるに文明の進歩とともに交通機関が発達して来たために、地球の面積は漸次に減縮せられ、最近の半世紀間においては、ほとんど隔世の感がある。顧みれば千八百六十七年、ナポレオン第三世が在位の時に当たり、フランスのパリに世界大博覧会の開かるるに際し、我が徳川幕府よりは将軍の親弟徳川民部大輔を特命使節として差遣せられ、余は随行員の一人として渡欧したのであるが、当時一行の者は横浜よりフランス郵船に乗りインド洋および紅海を経てスエズの地峡に到りしに、フランス人レセップス氏の経営に係る同所開鑿の一大工事は、すでに着手せられていたけれども、いまだ成就しなかったがため、一行は船を棄てて地峡に上り、鉄道によりてエジプトを横断し、「カイロー」を経て「アレキサンドリヤ」に出で、再び乗船して地中海を航し、横浜出帆以来五十五日にして、初めてフランスの「マルセーユ」に到着したのであった。かくて翌年の冬期に帰朝する時にそこを過ぎたが、なお運河の工事は竣成の運びに至らなかった。
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福翁自伝・始めて亜米利加に渡る・敷物に驚く所が此方は一切万事不慣れで、例えば馬車を見ても始めてだから実に驚いた。其処に車があって馬が付て居れば乗物だと云うことは分りそうなものだが、一見したばかりでは一寸と考が付かぬ。所で戸を開けて這入ると馬が駈出す。成程是れは馬の挽く車だと始めて発明するような訳け。何れも日本人は大小を挟して穿物は麻裏草履を穿て居る。ソレでホテルに案内されて行て見ると、絨氈が敷詰めてあるその絨氈はどんな物かと云うと、先ず日本で云えば余程の贅沢者が一寸四方幾干と云て金を出して買うて、紙入にするとか莨入にするとか云うようなソンナ珍らしい品物を、八畳も十畳も恐ろしい広い処に敷詰めてあって、その上を靴で歩くとは、扨々途方もない事だと実に驚いた。けれども亜米利加人が往来を歩いた靴の儘で颯々と上るから此方も麻裏草履でその上に上た。上ると突然酒が出る。徳利の口を明けると恐ろしい音がして、先ず変な事だと思うたのはシャンパンだ。そのコップの中に何か浮て居るのも分らない。三、四月暖気の時節に氷があろうとは思いも寄らぬ話で、ズーッと銘々の前にコップが並んで、その酒を飲む時の有様を申せば、列座の日本人中で、先ずコップに浮いて居るものを口の中に入れて胆を潰して吹出す者もあれば、口から出さずにガリ/″\噛む者もあると云うような訳けで、漸く氷が這入て居ると云うことが分った。ソコで又煙草を一服と思た所で、煙草盆がない、灰吹がないから、そのとき私はストーヴの火で一寸と点けた。マッチも出て居たろうけれどもマッチも何も知りはせぬから、ストーヴで吸付けた所が、どうも灰吹がないので吸殻を棄る所がない。夫れから懐中の紙を出してその紙の中に吸殻を吹出して、念を入れて揉で/\火の気のないように捩付けて袂に入れて、暫くして又後の一服を遣ろうとするその時に、袂から煙が出て居る。何ぞ図らん、能く消したと思たその吸殻の火が紙に移て煙が出て来たとは大に胆を潰した。
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