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福翁自伝 / 始めて亜米利加に渡る・事物の説明に隔靴の歎あり

夫れから又、亜米利加人が案内して諸方の製作所などを見せて呉れた。その時は桑港地方にマダ鉄道が出来ない時代である。工業は様々の製作所があって、ソレを見せて呉れた。其処がどうも不思議な訳けで、電気利用の電灯はないけれども、電信はある。夫れからガルヴァニの鍍金法と云うものも実際に行れて居た。亜米利加人の考に、そう云うものは日本人の夢にも知らない事だろうと思て見せて呉た所が、此方はチャント知て居る。是れはテレグラフだ。是れはガルヴァニの力で斯う云うことをして居るのだ。又砂糖の製造所があって、大きな釜を真空にして沸騰を早くすると云うことを遣て居る。ソレを懇々と説くけれども、此方は知て居る、真空にすれば沸騰が早くなると云うことは。且つその砂糖を清浄にするには骨炭で漉せば清浄になると云うこともチャント知て居る。先方では爾う云う事は思いも寄らぬ事だと斯う察して、懇ろに数えて呉れるのであろうが、此方は日本に居る中に数年の間そんな事ばかり穿鑿して居たのであるから、ソレは少しも驚くに足らない。只驚いたのは、掃溜に行て見ても浜辺に行て見ても、鉄の多いには驚いた。申さば石油の箱見たような物とか、色々な缶詰の空などが沢山棄てゝある。是れは不思議だ。江戸に火事があると焼跡に釘拾いがウヤ/\出て居る。所で亜米利加に行て見ると、鉄は丸で塵埃同様に棄てゝあるので、どうも不思議だと思うたことがある。 夫れから物価の高いにも驚いた。牡蠣を一罎買うと、半弗、幾つあるかと思うと二十粒か三十粒位しかない。日本では二十四文か三十文と云うその牡蠣が、亜米利加では一分二朱もする勘定で、恐ろしい物の高い所だ、呆れた話だと思たような次第で、社会上、政治上、経済上の事は一向分らなかった。

書き下し

夫れから又、亜米利加人が案内して諸方の製作所などを見せて呉れた。その時は桑港地方にマダ鉄道が出来ない時代である。工業は様々の製作所があって、ソレを見せて呉れた。其処がどうも不思議な訳けで、電気利用の電灯はないけれども、電信はある。夫れからガルヴァニの鍍金法と云うものも実際に行れて居た。亜米利加人の考に、そう云うものは日本人の夢にも知らない事だろうと思て見せて呉た所が、此方はチャント知て居る。是れはテレグラフだ。是れはガルヴァニの力で斯う云うことをして居るのだ。又砂糖の製造所があって、大きな釜を真空にして沸騰を早くすると云うことを遣て居る。ソレを懇々と説くけれども、此方は知て居る、真空にすれば沸騰が早くなると云うことは。且つその砂糖を清浄にするには骨炭で漉せば清浄になると云うこともチャント知て居る。先方では爾う云う事は思いも寄らぬ事だと斯う察して、懇ろに数えて呉れるのであろうが、此方は日本に居る中に数年の間そんな事ばかり穿鑿して居たのであるから、ソレは少しも驚くに足らない。只驚いたのは、掃溜に行て見ても浜辺に行て見ても、鉄の多いには驚いた。申さば石油の箱見たような物とか、色々な缶詰の空などが沢山棄てゝある。是れは不思議だ。江戸に火事があると焼跡に釘拾いがウヤ/\出て居る。所で亜米利加に行て見ると、鉄は丸で塵埃同様に棄てゝあるので、どうも不思議だと思うたことがある。 夫れから物価の高いにも驚いた。牡蠣を一罎買うと、半弗、幾つあるかと思うと二十粒か三十粒位しかない。日本では二十四文か三十文と云うその牡蠣が、亜米利加では一分二朱もする勘定で、恐ろしい物の高い所だ、呆れた話だと思たような次第で、社会上、政治上、経済上の事は一向分らなかった。

現代語訳

それからまた、アメリカ人が案内していろいろな製作所などを見せてくれました。そのころは、サンフランシスコ地方にまだ鉄道ができていない時代です。工業にはさまざまな製作所があり、それを見せてくれました。そこがどうも不思議なところで、電気を利用した電灯はありませんが、電信はあります。またガルバニの鍍金法というものも実際に行われていました。アメリカ人の考えでは、そういうものは日本人が夢にも知らないことだろうと思って見せてくれたのでしょうが、こちらはちゃんと知っています。これはテレグラフだ。これはガルバニの力でこういうことをしているのだ。また砂糖の製造所があって、大きな釜を真空にして沸騰を早くするということをやっていました。それを丁寧に説明してくれますが、こちらは知っています。真空にすれば沸騰が早くなるということを。そのうえ、その砂糖を清浄にするには骨炭で漉せば清浄になるということも、ちゃんと知っています。先方では、そういうことは思いも寄らないことだろうと察して、ねんごろに教えてくれるのでしょうが、こちらは日本にいるうちに数年のあいだそんなことばかり研究していたのですから、少しも驚くに足りません。ただ驚いたのは、ごみ捨て場に行って見ても浜辺に行って見ても、鉄の多いことでした。いわば石油の箱のようなものとか、いろいろな缶詰の空き缶などがたくさん捨ててあります。これは不思議だ。江戸では火事があると焼け跡に釘拾いがうようよと出ています。ところがアメリカに行って見ると、鉄はまるでごみ同様に捨ててあるので、どうも不思議だと思いました。 それから物価の高いのにも驚きました。牡蠣を一瓶買うと半ドル、いくつあるかと思うと二十粒か三十粒ぐらいしかありません。日本では二十四文か三十文というその牡蠣が、アメリカでは一分二朱もする勘定で、恐ろしい物価の高いところだ、あきれた話だと思ったようなしだいで、社会上、政治上、経済上のことはまるで分かりませんでした。

解説

同じ光景に、福沢は二つの反応を示します。電信やガルバニ鍍金、真空製糖といった理学上の事柄は、蘭学で学んだ知識があったので少しも驚きませんでした。一方、ごみのように捨てられた鉄と、牡蠣一瓶の高値には驚きます。これは知識として知っていたことと、社会の仕組みとして知らなかったことの差です。江戸の火事跡に釘拾いが出る日本と、鉄が余るアメリカという対比は、資源の豊かさと経済の規模の違いを一目で示します。学んだ理屈と暮らしの現実は別物で、後者は現地に出てみなければ見えません。それが福沢の後の関心の出発点です。

この章句が説くこと

理学電信真空製糖捨てられた鉄物価社会の仕組み

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