福翁自伝 / 欧羅巴各国に行く・欧洲の政風人情
政治上の事に就ては竜動、巴里等に在留中、色々な人に逢うて色々な事を聞たが、固よりその事柄の由来を知らぬから能く分る訳けもない。当時は仏蘭西の第三世ナポレヲンが欧洲第一の政治家と持囃されてエライ勢力であったが、隣国の普魯士も日の出の新進国で油断はならぬ。墺地利との戦争、又アルサス、ローレンスの事なども国交際の問題として、何れ後年には云々の変乱が生ずるであろうなんと云うことは朝野政通の予言する所で、私の日記覚書にもチョイ/\記してある。又竜動に居るとき、或る社中の人が社名を以て議院に建言したと云うて、その草稿を日本使節に送て来た。建言の趣意は、在日本英国の公使アールコツクが新開国たる日本に居て乱暴無状、恰も武力を以て征服したる国民に臨むが如し云々とて、種々様々の証拠を挙げて公使の罪を責るその証拠の一つに、公使アールコツクが日本国民の霊場として尊拝する芝の山内に騎馬にて乗込たるが如き言語に絶えたる無礼なりと痛論したる節もある。私はこの建言書を見て大に胸が下った。成るほど世界は鬼ばかりでない、是れまで外国政府の仕振を見れば、日本の弱身に付込み日本人の不文殺伐なるに乗じて無理難題を仕掛けて真実困て居たが、その本国に来て見れば〔自から〕公明正大、優しき人もあるものだと思て、ます/\平生の主義たる開国一偏の説を堅固にしたことがある。
書き下し
政治上の事に就ては竜動、巴里等に在留中、色々な人に逢うて色々な事を聞たが、固よりその事柄の由来を知らぬから能く分る訳けもない。当時は仏蘭西の第三世ナポレヲンが欧洲第一の政治家と持囃されてエライ勢力であったが、隣国の普魯士も日の出の新進国で油断はならぬ。墺地利との戦争、又アルサス、ローレンスの事なども国交際の問題として、何れ後年には云々の変乱が生ずるであろうなんと云うことは朝野政通の予言する所で、私の日記覚書にもチョイ/\記してある。又竜動に居るとき、或る社中の人が社名を以て議院に建言したと云うて、その草稿を日本使節に送て来た。建言の趣意は、在日本英国の公使アールコツクが新開国たる日本に居て乱暴無状、恰も武力を以て征服したる国民に臨むが如し云々とて、種々様々の証拠を挙げて公使の罪を責るその証拠の一つに、公使アールコツクが日本国民の霊場として尊拝する芝の山内に騎馬にて乗込たるが如き言語に絶えたる無礼なりと痛論したる節もある。私はこの建言書を見て大に胸が下った。成るほど世界は鬼ばかりでない、是れまで外国政府の仕振を見れば、日本の弱身に付込み日本人の不文殺伐なるに乗じて無理難題を仕掛けて真実困て居たが、その本国に来て見れば〔自から〕公明正大、優しき人もあるものだと思て、ます/\平生の主義たる開国一偏の説を堅固にしたことがある。
現代語訳
政治上のことについては、ロンドン、パリなどに滞在中、いろいろな人に会っていろいろなことを聞きましたが、もともとその事柄の由来を知らないので、よく分かるわけもありません。当時はフランスの第三世ナポレオンがヨーロッパ第一の政治家ともてはやされ、たいへんな勢力でしたが、隣国のプロイセンも日の出の勢いの新進国で油断はなりません。オーストリアとの戦争、またアルザス・ロレーヌのことなども、国際関係の問題として、いずれ後年には何かの変乱が生ずるであろうなどということは、朝野の政治通の予言するところで、私の日記・覚書にもちょいちょい記してあります。またロンドンにいるとき、ある社中の人が、社名をもって議院に建言したといって、その草稿を日本の使節に送ってきたことがありました。建言の趣旨は、在日本英国公使オールコックが、新たに開国した日本にいて乱暴無礼で、あたかも武力で征服した国民に臨むようだ云々として、さまざまな証拠を挙げて公使の罪を責めるもので、その証拠の一つに、公使オールコックが日本国民の霊場として尊拝する芝の山内に、馬に乗ったまま乗り込んだのは言語に絶する無礼だと痛論した箇所もありました。私はこの建言書を見て、大いに胸のつかえが下りました。なるほど世界は鬼ばかりではない。これまで外国政府のやり方を見れば、日本の弱みにつけ込み、日本人の不文殺伐に乗じて無理難題を仕掛けて、本当に困っていたが、その本国に来てみれば、おのずから公明正大で、優しい人もいるものだと思って、ますます平生の主義である開国一辺倒の説を堅固にしたことがあります。
解説
この章句が説くこと
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福翁自伝・王政維新・洋行船中の談話夫れでも私に全く政治思想のないではない。例えば文久二年欧行の船中で松木弘安と箕作秋坪と私と三人、色々日本の時勢論を論じて、その時私が「ドウだ迚も幕府の一手持は六かしい、先ず諸大名を集めて独逸聯邦のようにしては如何と云うに、松木も箕作も、マアそんな事が穏かだろうと云う。夫れから段々身の上話に及んで、今日吾々共の思う通りを云えば、正米を年に二百俵貰うて親玉(将軍の事)の御師匠番になって、思う様に文明開国の説を吹込んで大変革をさして見たいと云うと、松木が手を拍て、左様だ/\、是れは遣て見たいと云たのは、松木の功名心もその時には二百俵の米を貰うて将軍に文明説を吹込むぐらいの事で、当時の洋学者の考は大抵皆大同小異、一身の為めに大きな事は考えない。後にその松木が寺島宗則となって、参議とか外務卿とか云う実際の国事に当たのは、実は本人の柄に於て商売違いであったと思います。 夫れは扨置き世の中の形勢を見れば、天下の浮浪即ち有志者は京都に集て居る。夫れから江戸の方では又幕府と云うものが勿論時の政府でリキンで居ると云う訳けで、日本の政治が東西二派に相分れて、勤王佐幕と云う二派の名が出来た。出来た所で、サア其処に至て私が如何するかと云うに、 第一、私は幕府の門閥圧制、鎖国士族が極々嫌いで之に力を尽す気はない。 第二、左ればとて彼の勤王家と云う一類を見れば、幕府より尚お一層甚だしい攘夷論で、こんな乱暴者を助ける気は固よりない。 第三、東西二派の理非曲直は姑く扨置き、男子が所謂宿昔青雲の志を達するは乱世に在り、勤王でも佐幕でも試みに当て砕けると云うが書生の事であるが、私にはその性質習慣がない。 今その次第を語りましょう。抑も私が始めて江戸に来た時からして幕府の人には感服しない。一寸と旗本御家人に出遇う所が、応接振りは上品で、田舎者と違い弁舌も好く行儀も立派であるが、何分にも外辺ばかりで、物事を微密に考える脳力もなければ又腕力も弱そうに見える、けれども先方は幕府の御直参、此方は又る影もない陪臣だから手の着けようもなく、旗本などに対してはその人の居ない処でも何様々々と尊敬して居るその塩梅式は、京都の御公卿様を取扱うように、唯見た所ばかりを丁寧にして心の中では見縊り抜て居た。
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福翁自伝・欧羅巴各国に行く・見物自由の中又不自由夫れは扨居き、私がこの前亜米利加に行たときには、カリフ※ルニヤ地方にマダ鉄道がなかったから、勿論鉄道を見たことがない、けれども今度は蘇士に上て始めて鉄道に乗り、ソレカラ欧羅巴各国を彼方此方と行くにも皆鉄道ばかり、到る処に歓迎せられて、海陸軍の場所を始めとして、官私の諸工場、銀行会社、寺院、学校、倶楽部等は勿論、病院に行けば解剖も見せる、外科手術も見せる、或は名ある人の家に晩餐の饗応、舞踏の見物など、誠に親切に案内せられて、却て招待の多いのに草臥れると云う程の次第であったが、唯こゝに一つ可笑しいと云うのは、日本はその時丸で鎖国の世の中で、外国に居ながら兎角外国人に遇うことを止めようとするのが可笑しい。使節は竹内、松平、京極の三使節、その中の京極は御目附と云う役目で、ソレには又相応の属官が幾人も附て居る。ソレが一切の同行人を目ッ張子で見て居るので、なか/\外国人に遇うことが六かしい。同行者は何れも幕府の役人連で、その中に先ず同志同感、互に目的を共にすると云うのは箕作秋坪と松木弘安と私と、この三人は年来の学友で互に往来して居たので、彼方に居てもこの三人だけは自然別なものにならぬ。何でも有らん限りの物を見ようと計りして居る、ソレが役人連の目に面白くないと見え、殊に三人とも陪臣で、然かも洋書を読むと云うから中々油断をしない。何か見物に出掛けようとすると、必ず御目附方の下役が附いて行かなければならぬと云う御定まりで始終附て廻る。此方は固より密売しようではなし、国の秘密を洩らす気遣いもないが、妙な役人が附て来れば只蒼蠅い。蒼蠅いのはマダ宜いが、その下役が何か外に差支があると、私共も出ることが出来ない。ソレは甚だ不自由でした。私はその時に==是れはマア何の事はない、日本の鎖国をそのまゝ担いで来て、欧羅巴各国を巡回するようなものだと云て、三人で笑たことがあります。
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福翁自伝・王政維新・幕府の攘夷主義(1)幕政の殻威張りが癇癪に障ると云うのは、是れは此方の血気の熱心であるとして姑く差置き、扨この日本を開いて外国交際をドウするかと云うことになっては、如何も見て居られない、と云うのは私は若い時から洋書を読で、夫れから亜米利加に行き、その次には欧羅巴に行き、又亜米利加に行て、只学問ばかりでなく実地を見聞して見れば、如何しても対外国是は斯う云うように仕向けなければならぬと、ボンヤリした処でも外国交際法と云うことに気の付くは当然の話であろう。ソコでその私の考から割出して、この徳川政府を見ると殆んど取所のない有様で、当時日本国中の輿論は都て攘夷で、諸藩残らず攘夷藩で徳川幕府ばかりが開国論のように見えもすれば聞えもするようでありますけれども、正味の精神を吟味すれば天下随一の攘夷藩、西洋嫌いは徳川であると云て間違いはあるまい。或は後年に至て大老井伊掃部頭は開国論を唱えた人であるとか開国主義であったとか云うような事を、世間で吹聴する人もあれば書に著わした者もあるが、開国主義なんて大嘘の皮、何が開国論なものか、存じ掛けもない話だ。井伊掃部頭と云う人は純粋無雑、申分のない参河武士だ。江戸の大城炎上のとき幼君を守護して紅葉山に立退き、周囲に枯草の繁りたるを見て非常の最中不用心なりとて、親から腰の一刀を抜てその草を切払い、手に幼君を擁して終夜家外に立詰めなりしと云う話がある。又この人が京都辺の攘夷論者を捕縛して刑に処したることはあれども、是れは攘夷論を悪む為めではない、浮浪の処士が横議して徳川政府の政権を犯すが故にその罪人を殺したのである。
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福翁自伝・欧羅巴各国に行く・事情探索の胸算夫れは扨置き私の欧羅巴巡回中の胸算は、凡そ書籍上で調べられる事は日本に居ても原書を読で分らぬ処は字引を引て調べさえすれば分らぬ事はないが、外国の人に一番分り易い事で殆んど字引にも載せないと云うような事が此方では一番六かしい。だから原書を調べてソレで分らないと云う事だけをこの逗留中に調べて置きたいものだと思て、その方向で以て是れは相当の人だと思えばその人に就て調べると云うことに力を尽して、聞くに従て一寸々々斯う云うように(この時先生細長くして古々しき一小冊子を示す)記して置て、夫れから日本に帰てからソレを台にして尚お色々な原書を調べ又記憶する所を綴合せて西洋事情と云うものが出来ました。凡そ理化学、器械学の事に於て、或はエレキトルの事、蒸汽の事、印刷の事、諸工業製作の事などは必ずしも一々聞かなくても宜しいと云うのは、元来私が専門学者ではなし、聞た所が真実深い意味の分る訳けはない、唯一通りの話を聞くばかり、一通りの事なら自分で原書を調べて容易に分るから、コンナ事の詮索は先ず二の次にして、外に知りたいことが沢山ある。例えばコヽに病院と云うものがある、所でその入費の金はどんな塩梅にして誰が出して居るのか、又銀行と云うものがあってその金の支出入は如何して居るか、郵便法が行れて居てその法は如何云う趣向にしてあるのか、仏蘭西では徴兵令を行して居るが英吉利には徴兵令がないと云う、その徴兵令と云うのは、抑も如何云う趣向にしてあるのか、その辺の事情が頓と分らない。ソレカラ又政治上の選拳法と云うような事が皆無分らない。分らないから選拳法とは如何な法律で議院とは如何な役所かと尋ねると、彼方の人は只笑て居る、何を聞くのか分り切た事だと云う様な訳。ソレが此方では分らなくてどうにも始末が付かない。又党派には保守党と自由党と徒党のような者があって、双方負けず劣らず鎬を削て争うて居ると云う。何の事だ、太平無事の天下に政治上の喧嘩をして居ると云う。サア分らない。コリャ大変なことだ、何をして居るのか知らん。少しも考の付こう筈がない。彼の人と此の人とは敵だなんと云うて、同じテーブルで酒を飲で飯を喰て居る。少しも分らない。ソレが略分るようになろうと云うまでには骨の折れた話で、その謂れ因縁が少しずつ分るようになって来て、入組んだ事柄になると五日も十日も掛てヤット胸に落ると云うような訳で、ソレが今度洋行の利益でした。
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福翁自伝・王政維新・英国王子に潔身の祓私が明治政府を攘夷政府と思たのは、決して空に信じたのではない、自から憂うべき証拠がある。先ず爰に一奇談を申せば、王政維新となって明治元年であったか二年であったか歳は覚えませぬが、英吉利の王子が日本に来遊、東京城に参内することになり、表面は外国の貴賓を接待することであるから固より故障はなけれども、何分にも穢れた外国人を皇城に入れると云うのはドウも不本意だと云うような説が政府部内に行われたものと見えて、王子入城の時に二重橋の上で潔身の祓をして内に入れたことがある、と云うのは夷狄の奴は不浄の者であるからお祓をして体を清めて入れると云う意味でしょう。所がソレが宜い物笑いの種サ。その時に亜米利加の代理公使にポルトメンと云う人が居まして、毎度ワシントン政府に自分の任所の模様を報知して遣る、けれども余り必要でない事は大統領がその報告書を見ない、此方では又ソレを見て貰うのが公使の名誉としてある。ソコで公使が今度英の王子入城に付き潔身の祓云々の事を探り出して大に悦び、是れは締めた、この大奇談を報告すれば大統領が見て呉れるに違いないと云うので、その表書に即ちエッヂンボルフ王子の清めと云う可笑しな不思議な文字を書て、中の文句はドウかと云うに、この日本は真実、自尊自大の一小鎖国にして、外国人をば畜生同様に取扱うの常なり、既にこの程英吉利の王子入城謁見のとき、城門外に於て潔身の祓を王子の身辺に施したり、抑も潔身の祓とは上古穢れたる者を清めるに灌水法を行いしが、中世、紙の発明以来紙を以て御幣なるものを作り、その御幣を以て人の身体を撫で、水の代用として一切の不浄不潔を払うの故実あり、故に今度英の王子に施したるはその例に由ることにして、日本人の眼を以て見れば王子も亦唯不浄の畜生たるに過ぎず云々とて、筆を巧に事細かに書て遣たことがある。ソレは私が尺振八から詳に聞きました。この尺振八と云う人はその時、亜米利加公使館の通弁をして居たので、尺が私の処に来てこの間是れ/\の話、大笑いではないかと云て、その事実もその書面の文句も私に親しく話して聞かせましたが、実に苦々しい事で、私は之を聞て笑い所ではない泣きたく思いました。
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