福翁自伝 / 欧羅巴各国に行く・旅行中用意の品々失策又失策(2)
先ずこんな塩梅式だから、吾々一行の失策物笑いは数限りもない。シガーとシュガーを間違えて烟草を買いに遣て砂糖を持て来るもあり、医者は人参と思て買て来て生姜の粉であったこともある。又或るときに三使節中の一人が便所に行く、家来がボンボリを持て御供をして、便所の二重の戸を明放しにして、殿様が奥の方で日本流に用を達すその間、家来は袴着用、殿様の御腰の物を持て、便所の外の廊下に平き直てチャント番をして居るその廊下は旅館中の公道で、男女往来織るが如くにして、便所の内外瓦斯の光明昼よりも明なりと云うから堪らない。私は丁度其処を通り掛て、驚いたとも驚くまいとも、先ず表に立塞がって物も言わずに戸を打締めて、夫れからそろ/\その家来殿に話したことがある。
書き下し
先ずこんな塩梅式だから、吾々一行の失策物笑いは数限りもない。シガーとシュガーを間違えて烟草を買いに遣て砂糖を持て来るもあり、医者は人参と思て買て来て生姜の粉であったこともある。又或るときに三使節中の一人が便所に行く、家来がボンボリを持て御供をして、便所の二重の戸を明放しにして、殿様が奥の方で日本流に用を達すその間、家来は袴着用、殿様の御腰の物を持て、便所の外の廊下に平き直てチャント番をして居るその廊下は旅館中の公道で、男女往来織るが如くにして、便所の内外瓦斯の光明昼よりも明なりと云うから堪らない。私は丁度其処を通り掛て、驚いたとも驚くまいとも、先ず表に立塞がって物も言わずに戸を打締めて、夫れからそろ/\その家来殿に話したことがある。
現代語訳
まずこんなぐあいですから、われわれ一行の失策・物笑いは数限りもありません。シガー(葉巻)とシュガー(砂糖)を間違えて、煙草を買いに行かせたのに砂糖を持ってきた者もあり、医者は人参だと思って買ってきたのが生姜の粉だったこともあります。またあるとき、三使節のうちの一人が便所に行くとき、家来がぼんぼりを持ってお供をして、便所の二重の戸を開けっ放しにして、殿様が奥の方で日本流に用を足す間、家来は袴を着けたまま、殿様のお腰の物を持って、便所の外の廊下にひざまずいてちゃんと番をしている。その廊下は旅館の中の公道で、男女の往来が織るようであり、便所の内外はガス灯の光で昼よりも明るいというのですから、たまりません。私はちょうどそこを通りかかって、驚いたとも驚かないとも言いようがなく、まず表に立ちふさがって、物も言わずに戸を打ち締めて、それからそろそろその家来殿に話したことがあります。
解説
この章句が説くこと
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