福翁自伝 / 始めて亜米利加に渡る・不在中桜田の事変(1)
帰る時は南の方を通たと思う。行くときとは違て至極海上は穏かで、何でもその歳には閏があって、閏を罩めて五月五日の午前に浦賀に着した。浦賀には是非錨を卸すと云うのがお極りで、浦賀に着するや否や、船中数十日のその間は勿論湯に這入ると云うことの出来る訳けもない、口嗽をする水がヤット出来ると云う位な事で、身体は汚れて居るし、髪はクシャ/\になって居る、何は扨置き一番先に月代をして夫れから風呂に這入ろうと思うて、小舟に乗て陸に着くと、木村のお迎が数十日前から浦賀に詰掛けて居て、木村の家来に島安太郎と云う用人がある、ソレが海岸まで迎いに来て、私が一番先に陸に上てその島に遇うた。正月の初に亜米利加に出帆して浦賀に着くまでと云うものは風の便りもない、郵便もなければ船の交通と云うものもない。その間は僅に六箇月の間であるが、故郷の様子は何も聞かないから、殆んど六ヶ年も遇わぬような心地。ヒョイと浦賀の海岸で島に遇て、イヤ誠にお久振り、時に何か日本に変た事はないかと尋ねた所が、島安太郎が顔色を変えて、イヤあったとも/\大変な事が日本にあったと云うその時、私が、一寸と島さん待て呉れ、云うて呉れるな、私が中てゝ見せよう、大変と云えば何でも是れは水戸の浪人が掃部様の邸に暴込んだと云うような事ではないかと云うと、島は更らに驚き、どうしてお前さんはそんな事を知て居る、何処で誰れに聞た、聞たって聞ないたって分るじゃないか、私はマア雲気を考えて見るに、そんな事ではないかと思う、イヤ是れはどうも驚いた、邸に暴込んだ所ではない、斯う/\云う訳けだと云て、桜田騒動の話をした。その歳の三月三日に桜田に大騒動のあった時であるから、その事を話したので、天下の治安と云うものは大凡そ分るもので、私が出立する前から世の中の様子を考えて見るとゞうせ騒動がありそうな事だと思て居たから、偶然にも中たので誠に面白かった。
書き下し
帰る時は南の方を通たと思う。行くときとは違て至極海上は穏かで、何でもその歳には閏があって、閏を罩めて五月五日の午前に浦賀に着した。浦賀には是非錨を卸すと云うのがお極りで、浦賀に着するや否や、船中数十日のその間は勿論湯に這入ると云うことの出来る訳けもない、口嗽をする水がヤット出来ると云う位な事で、身体は汚れて居るし、髪はクシャ/\になって居る、何は扨置き一番先に月代をして夫れから風呂に這入ろうと思うて、小舟に乗て陸に着くと、木村のお迎が数十日前から浦賀に詰掛けて居て、木村の家来に島安太郎と云う用人がある、ソレが海岸まで迎いに来て、私が一番先に陸に上てその島に遇うた。正月の初に亜米利加に出帆して浦賀に着くまでと云うものは風の便りもない、郵便もなければ船の交通と云うものもない。その間は僅に六箇月の間であるが、故郷の様子は何も聞かないから、殆んど六ヶ年も遇わぬような心地。ヒョイと浦賀の海岸で島に遇て、イヤ誠にお久振り、時に何か日本に変た事はないかと尋ねた所が、島安太郎が顔色を変えて、イヤあったとも/\大変な事が日本にあったと云うその時、私が、一寸と島さん待て呉れ、云うて呉れるな、私が中てゝ見せよう、大変と云えば何でも是れは水戸の浪人が掃部様の邸に暴込んだと云うような事ではないかと云うと、島は更らに驚き、どうしてお前さんはそんな事を知て居る、何処で誰れに聞た、聞たって聞ないたって分るじゃないか、私はマア雲気を考えて見るに、そんな事ではないかと思う、イヤ是れはどうも驚いた、邸に暴込んだ所ではない、斯う/\云う訳けだと云て、桜田騒動の話をした。その歳の三月三日に桜田に大騒動のあった時であるから、その事を話したので、天下の治安と云うものは大凡そ分るもので、私が出立する前から世の中の様子を考えて見るとゞうせ騒動がありそうな事だと思て居たから、偶然にも中たので誠に面白かった。
現代語訳
帰りは南の方を通ったと思います。行くときとは違って海上はごく穏やかで、その年には閏月があり、閏を含めて五月五日の午前に浦賀に着きました。浦賀には必ず錨を下ろすというのが決まりで、浦賀に着くやいなや、船中数十日のあいだは、もちろん風呂に入るということのできるはずもなく、うがいをする水がやっとできるくらいで、身体は汚れ、髪の毛はくしゃくしゃ、何はさておき一番先に月代を剃って、それから風呂に入ろうと思い、小舟に乗って陸に着くと、木村の迎えの者が数十日前から浦賀に詰めかけていました。木村の家来に島安太郎という用人がいて、それが海岸まで迎えに来ており、私が一番先に陸に上がってその島に会いました。正月のはじめにアメリカに出帆して浦賀に着くまでというもの、風の便りもなく、郵便もなければ船の往来もない。その間はわずか六か月ですが、故郷の様子は何も聞かないので、ほとんど六年も会わなかったような心地です。ひょいと浦賀の海岸で島に会い、いやまことにお久しぶり、ときに何か日本に変わったことはないかと尋ねたところ、島安太郎が顔色を変えて、いやあったとも、大変なことが日本にあったと言うその時、私が、ちょっと島さん待ってくれ、言ってくれるな、私が当てて見せよう、大変といえば何でもこれは水戸の浪人が掃部様の屋敷に暴れ込んだというようなことではないかと言うと、島はさらに驚き、どうしてあなたはそんなことを知っている、どこで誰に聞いた、と言います。聞いたって聞かなくたって分かるじゃないか、私はまあ雲行きを考えてみると、そんなことではないかと思う、と言うと、いやこれはどうも驚いた、屋敷に暴れ込んだどころではない、こうこうだと言って、桜田騒動の話をしました。その年の三月三日に桜田で大騒動があったときですから、そのことを話したのです。天下の治安というものはだいたい分かるもので、私が出発する前から世の中の様子を考えてみるとどうせ騒動がありそうだと思っていたので、偶然にも当たって、まことに面白うございました。
解説
この章句が説くこと
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『墨子』魯問彭輕生子曰く、「往く者は知る可し、來たる者は知る可からず」と。子墨子曰く、「藉設して親、百里の外に在りて、則ち難に遇わば、期するに一日を以てす。之に及べば則ち生き、及ばざれば則ち死す。今、固車良馬、此に有り。又た駑馬四隅の輪、此に有り。子をして焉を擇ばしめば、子、将た何をか乗らん」と。對えて曰く、「良馬固車に乗らん。以て速やかに至る可し」と。子墨子曰く、「焉んぞ來を在らんや」と。
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『春秋左氏伝』昭公七年 同始異終十一月、季武子卒す。晉侯伯瑕に謂ひて曰く、「吾が問ふ所の日食、從へり。常とすべきか」と。對へて曰く、「不可なり。六物同じからず、民心壹ならず、事序類せず、官職則らず。始めを同じくして終はりを異にす。胡ぞ常とすべけんや。詩に曰く、『或いは燕燕として居息し、或いは憔悴して國に事ふ』と。其の終はりを異にするや是くの如し」と。公曰く、「何をか六物と謂ふ」と。對へて曰く、「歲・時・日・月・星・辰、是れを謂ふなり」と。公曰く、「多く寡人に辰を語るも、同じきこと莫し。何をか辰と謂ふ」と。對へて曰く、「日月の會、是れを辰と謂ふ。故に以って日に配す」と。
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『呻吟語』外篇・物理・造化も亦た定め得ず恒常を以て氣數を度り、知識を以て窈冥を定むるは、皆な造化の笑ふ所の者なり。造化も亦た定め得ず。造化も尚ほ自然に命を聽く。而るに況んや造化に造化せらるる者をや。堪輿星卜の諸書は、皆な屢しば中たる者なり。
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『春秋左氏伝』襄公十八年 南風競わず子孔・子展・子西守る。二子子孔の謀を知り、守りを完くし入りて保つ。子孔敢へて楚の師に會せず。楚の師鄭を伐ち、魚陵に次る。右師上棘に城き、遂に潁を涉り、旃然に次る。蒍子馮・公子格、銳師を率ゐて費滑・胥靡・獻于・雍梁を侵し、右に梅山を回りて、鄭の東北を侵し、蟲牢に至りて反る。子庚純門に門し、城下に信して還り、魚齒の下に涉る。甚雨之に及び、楚の師多く凍え、役徒幾ど盡く。晉人楚の師有るを聞く。師曠曰く、「害あらず。吾驟々北風を歌ひ、又南風を歌ふ。南風競はず、死聲多し。楚必ず功無からん」と。董叔曰く、「天道多く西北に在り。南師時ならず。必ず功無からん」と。叔向曰く、「其の君の德に在るなり」と。
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