福翁自伝 / 始めて亜米利加に渡る・不在中桜田の事変(2)
その前年から徐々攘夷説が行れると云う世の中になって来て、亜米利加に逗留中、艦長が玩具半分に蝙蝠傘を一本買た。珍しいものだと云て皆寄て拈くって見ながら、如何だろう之を日本に持て帰てさして廻たら、イヤそれは分切て居る、新銭座の艦長の屋敷から日本橋まで行く間に浪人者に斬られて仕舞うに違いない、先ず屋敷の中で折節ひろげて見るより外に用のない品物だと云たことがある。凡そこのくらいな世の中で、帰国の後は日々に攘夷論が盛になって来た。
書き下し
その前年から徐々攘夷説が行れると云う世の中になって来て、亜米利加に逗留中、艦長が玩具半分に蝙蝠傘を一本買た。珍しいものだと云て皆寄て拈くって見ながら、如何だろう之を日本に持て帰てさして廻たら、イヤそれは分切て居る、新銭座の艦長の屋敷から日本橋まで行く間に浪人者に斬られて仕舞うに違いない、先ず屋敷の中で折節ひろげて見るより外に用のない品物だと云たことがある。凡そこのくらいな世の中で、帰国の後は日々に攘夷論が盛になって来た。
現代語訳
その前年から次第に攘夷論が行われる世の中になってきて、アメリカに逗留中、艦長が玩具半分に蝙蝠傘を一本買いました。珍しいものだというので、みなが寄ってきて、ひねくり回して見ながら、どうだろう、これを日本に持ち帰ってさして歩いたら、と言うと、「いやそれは決まっている。新銭座の艦長の屋敷から日本橋まで行く間に、浪人者に斬られてしまうに違いない。まず屋敷の中で、折々広げて見るよりほかに用のない品物だ」と言ったことがあります。だいたいこのくらいの世の中で、帰国の後は日々に攘夷論が盛んになってきました。
解説
アメリカで艦長が買った蝙蝠傘を、日本でさしたら斬られるだろうと皆で笑った、という短い逸話です。外国の物を持つだけで命の危険がある。万延元年、桜田門外の変の後で、攘夷論が高まる世相の描写として、これほど具体的な例はありません。福沢は傘一本で、帰国後の日本の空気をすでに読んでいます。同時に、新しいものを持ち帰る人は、周囲の感情に配慮して使い方を選ぶ必要があるということも示唆します。現代でも、新しいやり方を導入する人は、その価値だけでなく、受け入れる側の空気も見極める必要があります。
この章句が説くこと
蝙蝠傘攘夷論新銭座浪人世相持ち帰り
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