福翁自伝 / 始めて亜米利加に渡る・少女の写真
それから布哇で石炭を積込んで出帆した。その時に一寸した事だが奇談がある。私は予て申す通り一体の性質が花柳に戯れるなどゝ云うことは仮初にも身に犯した事のないのみならず、口でもそんな如何わしい話をした事もない。ソレゆえ同行の人は妙な男だと云う位には思うて居たろう。夫れから布哇を出帆したその日に、船中の人に写真を出して見せた。是れはどうだ(その写真は此処に在りと、福澤先生が筆記者に示されたるものを見るに、四十年前の福澤先生の傍に立ち居るは十五、六の少女なり)。その写真と云うのはこの通りの写真だろう。ソコでこの少女が芸者か女郎か娘かは勿論その時に見さかいのある訳けはない――お前達は桑港に長く逗留して居たが、婦人と親しく相並んで写真を撮るなぞと云うことは出末なかったろう、サアどうだ、朝夕口でばかり下らない事を云て居るが、実行しなければ話にならないじゃないかと、大に冷かして遣た。是れは写真屋の娘で、歳は十五とか云た。その写真屋には前にも行たことがあるが、丁度雨の降る日だ、その時私独りで行た所が娘が居たから、お前さん一緒に取ろうではないかと云うと、亜米利加の娘だから何とも思いはしない、取りましょうと云うて一緒に取たのである。この写真を見せた所が、船中の若い士官達は大に驚いたけれども、口惜しくも出来なかろう、と云うのは桑港でこの事を云出すと直に真似をする者があるから黙て隠して置て、いよ/\布哇を雛れてもう亜米利加にも何処にも縁のないと云う時に見せて遣て、一時の戯に人を冷かしたことがある。
新字:それから布哇で石炭を積込んで出帆した。その時に一寸した事だが奇談がある。私は予て申す通り一体の性質が花柳に戯れるなどゝ云うことは仮初にも身に犯した事のないのみならず、口でもそんな如何わしい話をした事もない。ソレゆえ同行の人は妙な男だと云う位には思うて居たろう。夫れから布哇を出帆したその日に、船中の人に写真を出して見せた。是れはどうだ(その写真は此処に在りと、福沢先生が筆記者に示されたるものを見るに、四十年前の福沢先生の傍に立ち居るは十五、六の少女なり)。その写真と云うのはこの通りの写真だろう。ソコでこの少女が芸者か女郎か娘かは勿論その時に見さかいのある訳けはない――お前達は桑港に長く逗留して居たが、婦人と親しく相並んで写真を撮るなぞと云うことは出末なかったろう、サアどうだ、朝夕口でばかり下らない事を云て居るが、実行しなければ話にならないじゃないかと、大に冷かして遣た。是れは写真屋の娘で、歳は十五とか云た。その写真屋には前にも行たことがあるが、丁度雨の降る日だ、その時私独りで行た所が娘が居たから、お前さん一緒に取ろうではないかと云うと、亜米利加の娘だから何とも思いはしない、取りましょうと云うて一緒に取たのである。この写真を見せた所が、船中の若い士官達は大に驚いたけれども、口惜しくも出来なかろう、と云うのは桑港でこの事を云出すと直に真似をする者があるから黙て隠して置て、いよ/\布哇を雛れてもう亜米利加にも何処にも縁のないと云う時に見せて遣て、一時の戯に人を冷かしたことがある。
書き下し
それから布哇で石炭を積込んで出帆した。その時に一寸した事だが奇談がある。私は予て申す通り一体の性質が花柳に戯れるなどゝ云うことは仮初にも身に犯した事のないのみならず、口でもそんな如何わしい話をした事もない。ソレゆえ同行の人は妙な男だと云う位には思うて居たろう。夫れから布哇を出帆したその日に、船中の人に写真を出して見せた。是れはどうだ(その写真は此処に在りと、福澤先生が筆記者に示されたるものを見るに、四十年前の福澤先生の傍に立ち居るは十五、六の少女なり)。その写真と云うのはこの通りの写真だろう。ソコでこの少女が芸者か女郎か娘かは勿論その時に見さかいのある訳けはない――お前達は桑港に長く逗留して居たが、婦人と親しく相並んで写真を撮るなぞと云うことは出末なかったろう、サアどうだ、朝夕口でばかり下らない事を云て居るが、実行しなければ話にならないじゃないかと、大に冷かして遣た。是れは写真屋の娘で、歳は十五とか云た。その写真屋には前にも行たことがあるが、丁度雨の降る日だ、その時私独りで行た所が娘が居たから、お前さん一緒に取ろうではないかと云うと、亜米利加の娘だから何とも思いはしない、取りましょうと云うて一緒に取たのである。この写真を見せた所が、船中の若い士官達は大に驚いたけれども、口惜しくも出来なかろう、と云うのは桑港でこの事を云出すと直に真似をする者があるから黙て隠して置て、いよ/\布哇を雛れてもう亜米利加にも何処にも縁のないと云う時に見せて遣て、一時の戯に人を冷かしたことがある。
現代語訳
それからハワイで石炭を積み込んで出帆しました。そのとき、ちょっとしたことですが奇談があります。私は、かねて申すとおり、もともと花柳界で戯れるなどということは、かりそめにも身に犯したことがないばかりか、口でもそんな怪しげな話をしたことがありません。そのため、同行の人は、妙な男だというくらいには思っていたことでしょう。さて、ハワイを出帆したその日に、船中の人に写真を出して見せました。これはどうだ(その写真はここにあると、福沢先生が筆記者に示されたものを見ると、四十年前の福沢先生のそばに立っているのは、十五、六歳の少女である)。その写真というのはこのとおりの写真です。この少女が芸者か女郎か娘かは、もちろんそのとき、見分けのつくわけがない。「お前たちはサンフランシスコに長く逗留していたが、婦人と親しく並んで写真を撮るなどということは、できなかっただろう。さあどうだ、朝夕口でばかり下らないことを言っていても、実行しなければ話にならないじゃないか」と、大いに冷やかしてやりました。これは写真屋の娘で、歳は十五とか言いました。その写真屋には前にも行ったことがあるが、ちょうど雨の降る日で、そのとき私が一人で行ったところ、娘がいたので、お前さん一緒に撮ろうではないかと言うと、アメリカの娘だから何とも思わず、撮りましょうと言って一緒に撮ったのです。この写真を見せたところ、船中の若い士官たちは大いに驚きましたが、悔しがっても、もうできません。というのは、サンフランシスコでこのことを言い出せばすぐ真似をする者がいるから、黙って隠しておいて、いよいよハワイを離れて、もうアメリカにも何処にも縁がないというときに見せてやって、一時の戯れに人をからかったことがあります。
解説
この章句が説くこと
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『後世への最大遺物』第二回・己の信ずることを実行する者己の信ずることを実行するものが真面目なる信者です。ただただ壮言大語することは誰にもできます。いくら神学を研究しても、いくら哲学書を読みても、われわれの信じた主義を真面目に実行するところの精神がありませぬあいだは、神はわれわれにとって異邦人であります。それゆえに、われわれは神がわれわれに知らしたことをそのまま実行いたさなければなりません。こういたさねばならぬと思うたことは、われわれはことごとく実行しなければならない。もしわれわれが、正義はついに勝つものにして不義はついに負けるものであるということを世間に発表するものであるならば、そのとおりにわれわれは実行しなければならない。これを称して真面目なる信徒と申すのです。
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人生を、一行の式にしてみた。
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