福翁自伝 / 緒方の塾風・豚を殺す
そんな訳けだから塾中の書生に身なりの立派な者は先ず少ない。そのくせ市中の縁日など云えば夜分屹度出て行く。行くと往来の群集、就中娘の子などは、アレ書生が来たと云て脇の方に避けるその様子は、何か穢多でも出て来て夫れを穢ながるようだ。如何も仕方がない。往来の人から見て穢多のように思う筈だ。或るとき難波橋の吾々得意の牛鍋屋の親爺が豚を買出して来て、牛屋商売であるが気の弱い奴で、自分に殺すことが出来ぬからと云て、緒方の書生が目指された。夫れから親爺に逢て、「殺して遣るが、殺す代りに何を呉れるか」――「左様ですな」――「頭を呉れるか」――「頭なら上げましょう。」夫れから殺しに行た。此方は流石に生理学者で、動物を殺すに窒塞させれば訳けはないと云うことを知て居る。幸いその牛屋は河岸端であるから、其処へ連て行て四足を縛て水に突込で直ぐ殺した。そこでお礼として豚の頭を貰って来て、奥から鉈を借りて来て、先ず解剖的に脳だの眼だの能く/\調べて、散々いじくった跡を煮て喰たことがある。是れは牛屋の主人から穢多のように見込れたのでしょう。
書き下し
そんな訳けだから塾中の書生に身なりの立派な者は先ず少ない。そのくせ市中の縁日など云えば夜分屹度出て行く。行くと往来の群集、就中娘の子などは、アレ書生が来たと云て脇の方に避けるその様子は、何か穢多でも出て来て夫れを穢ながるようだ。如何も仕方がない。往来の人から見て穢多のように思う筈だ。或るとき難波橋の吾々得意の牛鍋屋の親爺が豚を買出して来て、牛屋商売であるが気の弱い奴で、自分に殺すことが出来ぬからと云て、緒方の書生が目指された。夫れから親爺に逢て、「殺して遣るが、殺す代りに何を呉れるか」――「左様ですな」――「頭を呉れるか」――「頭なら上げましょう。」夫れから殺しに行た。此方は流石に生理学者で、動物を殺すに窒塞させれば訳けはないと云うことを知て居る。幸いその牛屋は河岸端であるから、其処へ連て行て四足を縛て水に突込で直ぐ殺した。そこでお礼として豚の頭を貰って来て、奥から鉈を借りて来て、先ず解剖的に脳だの眼だの能く/\調べて、散々いじくった跡を煮て喰たことがある。是れは牛屋の主人から穢多のように見込れたのでしょう。
現代語訳
そんな訳ですから、塾中の書生で身なりの立派な者はまず少ない。そのくせ、市中の縁日などと言えば夜には必ず出て行きます。行くと往来の群衆、とりわけ娘たちは、「あれ、書生が来た」と言って脇に避けますが、その様子は、まるで何か穢多でも出て来てそれを穢らわしがるようです。どうも仕方がありません。往来の人から見て穢多のように思うのも当然です。 ある時、難波橋の私たち得意の牛鍋屋の親爺が豚を買い出して来ましたが、牛屋の商売でありながら気の弱い奴で、自分で殺すことができないからと言って、緒方の書生が目指されました。それから親爺に会って、「殺してやるが、殺す代わりに何をくれるか」と言うと、「そうですな」。「頭をくれるか」「頭なら差し上げましょう」。それから殺しに行きました。こちらはさすがに生理学者で、動物を殺すには窒息させればわけはないということを知っています。幸いその牛屋は河岸端なので、そこへ連れて行って四足を縛り、水に突っ込んですぐに殺しました。そこでお礼として豚の頭をもらって来て、奥から鉈を借りて来て、まず解剖的に脳や眼をよく調べ、散々いじくった後で煮て食べたことがあります。これは、牛屋の主人から穢多のように見込まれたのでしょう。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『墨子』公孟子墨子の門に游ぶ者有り、子墨子に謂いて曰く、「先生、鬼を以て神眀にして知り、能く人に禍いを為すと為すか」と。子墨子の門に游ぶ者有り、身體强良、思慮狥通なり。隨いて學ばしめんと欲す。子墨子曰く、「姑く學べ。吾れ将に子を仕えしめん」と。善言に勸められて學ぶ。其の年にして、仕えんことを子墨子に責む。子曰く、「子を仕えしめず。子も亦た夫の魯の語を聞かんか。昆弟五人なる者有り。其の父死して、其の長子、酒を嗜みて葬らず。其の四弟曰く、『子、我と葬らば、當に子の為に酒を沽うべし』と。善言に勸められて葬る。已に葬りて、酒を其の四弟に責む。四弟曰く、『吾れ未だ子に酒を予えず。子は子の父を葬り、我れは吾が父を葬る。豈に獨り吾が父ならんや。子、葬らずんば、則ち人、将に子を笑わんとす。故に子に葬るを勸めしなり』と。今、子は義を為し、我も亦た義を為す。豈に獨り我が義ならんや。子、學ばずんば、則ち人、将に子を笑わんとす。故に子に學を勸めしなり」と。
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